ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2003年12月25日更新

第20話 経済状態の生むボーダー

 何度も行った事があった成田空港は、いつもは自分が出て行く側。でも、誰かを送り出す為の道のりのレインボーブリッチは、晴れた空にとてもせつなく見える。ここ何年か、北京語や中華料理の勉強をしたり、大晦日や正月も中国人の友人と『中国式』というのを楽しんで過ごした。出会いがあれば、別れが必ずある。その友人も7年間の日本での出稼ぎ生活を終え、今月福建省へ帰る事になり、私は成田へ見送りに行った。出会ってから3年ほどの関係ではあったけれど、ひとつふたつ年上の彼らには、本当にお世話になった。中国の人はいつも商売が念頭にあって、利益のない物には興味がないと聞くが、彼らは利害関係の全くない私達とも、家族同然付き合ってくれた。福建省の"出稼ぎ御殿"や"港につく違法密入国者"、新宿などの繁華街の"ビザなしの人々"のニュースはよく目にするが、顔の良く似たアジアの人たちとの問題は驚くほどたくさん、私達の周りにある。
 私のチェンマイの友人も何年か前に、タイ国の不景気から仕事がなくなり、日本に働きに来たいと言ってきた事がある。「旅行のビザで呼んでくれれば、後は居すわるつもり」だった様だが、私はちゃんとした手続きを踏んでからでなければ、日本には呼べないと言った。それは、逃げ隠れして肩身の狭い状態で日本での暮らしをして欲しくなかったからだ。それからは外務省や大使館に連絡して、必要な書類を集めた。両親の会社にもなんとか雇ってもらえるように協力もお願いした。母はなんとか納得してくれたもの、父は、明らかに金銭的にも変化する海外暮らしの中で、人が変わってしまうんじゃないかと最後まで反対し、本来の家族の為に出稼ぎに来た事も忘れてしまったら、私達にはその責任が取りきれないとも言った。確かに、タイでは1ヶ月にいっぱい働いて、5000円から1万円。木になった果物を食べて、雨水を飲んでいる。こちらに来て、違う人になってしまう可能性はたくさんある。それでも私は、「日本に別の女の人ができたとしても、お金さえ送ってくれたら」と涙ながらに言う奥さんの願いに、書類を用意し、タイまで行った。ところがこんな苦労も大使館で働く人には関係なく、何度と確認した話も次から次へと変わるし、必要書類も日本とタイとでは言っている事が違う。タイという日本とはお金の価値のひらきがある国からやって来る事は、考えていた以上に難しく、手続きは全く進まなかった。銀行に100万円近くのお金が預金してある事に始まり、歌手やタイ料理人など、タイ人であるその人にしか出来ない仕事を持っていたりしない限り、ビザはおりない。日本人になんとか気に入られて結婚するのが手っ取り早いと、安易な考えに走ってしまうのも、生活のかかった人間にしてみたらわからなくもないと思ってしまった。国際電話代等のかかった費用は全く無駄になり、友人は結局、日本へ来られなかった。
 確かに、誰でもかれでも呼び寄せて、風紀の乱れにつながる事はとても怖いけれど、お金のある人だけが世界を自由に行き来できる事に疑問が残ってしまった。マナーやモラルのない人だとしても、お金があったらなんでもできるのだとしたら、人々がお金に執着してしまっても仕方ないような気がする。私も毎年、宝くじにかけているのだから、お金はやっぱり大事なのかも・・・。