第26話 「死」への傾斜
身内の不幸や飲み友達が亡くなったりで、昨年末から通夜とお葬式が何件か続いた。命のロウソクが本当にあるのかはわからないが、まだまだ長く残っているもの、ほとんど残っていないもの、太い短いも人それぞれ。静かにゆっくり消えても突然消えても、炎が消えるその時は覚悟など関係なく、寂しくつらいのはいつも同じ。また、故人に対してやり残した事をはじめ、自分の死に対しても深く考えさせられる瞬間である。私には昔から悪い癖があって、「人は何の為に生まれて、また次を生みだし消えてゆくのか?」などと、終わりのない話をエンエンと考えてしまう。それでも最近は、そんな夜も睡眠欲に負けてしまっては、バカバカしいとベットに潜り込める図太さを身に着けた。年をとるごとに変わっていく自分に、いつかは少しの繊細さもなくしてしまって、本当の「オバタリアン街道』」歩いていくのでは? という恐怖さえ感じる。
我が実家には、話好きの友人がよく遊びに来た。信じられない事に、黙っていたら、何ヶ月も、何年も滞在していく人達がいて、一銭の得にもならないまま追い出す事も珍しくなかった。もちろん、家庭や財布に事情のある人、何かから逃げている人や、とっても暇な人と理由はさまざま。その中には「心の病気」を抱えた人も何人かいて、重い相談にのる事もたびたびある。彼等は、何かあるごとに「死にたい」と口にする。私も自分の今までを振り返って、なんとかジャストな言葉で励ましてあげたいとか、その人のヒントになる事があればと考えるが、どんなに考えて努力しても、彼等には届かない事がほとんどだった。今を生き悩んでいる人に、過去の自分の言葉や結果など、薄まってしまった通りすがりの会話にしかならなかったし、また本人達も、ただうなずいてくれる人が必要だっただけだったりで、答えなど他人には探されたくないのかもしれない。そんな事が何年も続き、ひっきりなしにやって来る友人達の悩みに、私の方が「心の病気」になってしまった。ただ聞いている事はできても、全て受け入れてあげて満たされない心のケアを求められても、素人の私が無制限の時間で対応しきれないのは当たり前だった。救ってあげたい気持ちとはウラハラに、次第に人を家に全くあげられなくなった。 今ではせっかく生まれて、どうせ死ねずに生きているなら、どんな事もおおいに楽しんで最高の人生に生きてやろうと思っている私も、悩み多き年頃には、恋愛やいくつかの事柄に胸を痛めて、同じように「死にたい」とよく言っていた。祖母にそんな悩みを話した時、「死んだ気になったら何でもできる。生きていたらいい事もある」と、涙ながらに話された記憶があるが、その時には同じように全く耳に入らなかったし、似たような悩みを持っている人にしか、交流を持てずに心を開けなかった。さまよっている自分も、周囲のこちらに向かっている愛も感じられないまま、時にわがままに主張だけを繰り返し、誰かを傷つけていたかもしれない。友人達の瞳を通して聞いた言葉に、過去の自分を知ったような気がする。 ライブでも歌わない私の叫びを書いた曲がある。いつか音楽仲間に聞かせた時、彼は皮肉顔で「負け犬の歌」と呼んだ。社会では強いものが勝ちといわれているが、弱い人間だって、強く歩くことで勝つことができる。私は馬鹿にされたようで、世の中は「勝ち犬の歌」だけが必要なのか? とひどく腹が立ったし、本当の涙を知らない人に、本当の優しい歌は書けないと思った。今でも同じように、「お前が負け犬!」と叫んでやりたいが、強くならなければ人を愛したり守ったりできないという事も知った今日、いつかは勝ち犬となって、このうたを歌いたい。 |