第29話 「女らしさ」の渦の中で
毎日、一番楽しみにしていた昼のドラマが終わった。いつもこの枠でやっているドラマは、これでもかというくらいドロドロしていてタマラナイ。また、始まる5分前に携帯のアラームを設定して、外出時はビデオを録るほどハマッテイル自分がとても滑稽で大好きだ。
今回はテーマにそった挿入歌があったのだが、深夜にふと「牡丹と薔薇は〜」と口ずさんでしまうこともあった。ヒロインはとてもかわいそうな女性に描かれている。初めはなんてかわいそうなんだろうと同情していたが、話が続く中でその不幸さゆえに許されてしまう不公平さが許せなくなったりする。昔から、「君は強いから大丈夫」とか「長生きするよ」と言われてきた自分は、シトシト泣いていつもかわいそうに見える「男が守りたい女」に何度も泣かされた。そういう弱々しい女性が嫌いな私も、実はとても羨ましくもあるからなのだが、私生活にまで演技を取り入れられるほど暇もなく、開き直って巨大化してしまう。フェミニスト論争まで発展させるつもりもないが、強そう、元気そう、頑丈そうは決して得しない。私は、賢くてかわいい女になれるのか? 小学校の時も、よく男の子と取っ組み合いのケンカをして、泣かせた事も数え切れず。運動が得意なわけでも、体が大きかったわけでもないのに、意地でも負けられない持ち前の気の強さは、先生達も手に負えなかったようだ。今のように陰湿なものではなかったが、クラスには何年生になってもシカトされてしまう子がいて、私はそういう子ともよくケンカした。だいたいがテストの点数や成績など、見栄を張って嘘をついた事が始まりで、そのうち容姿などを貶されるようになる。私は、「なんで嘘をつくの?」「なんで黙って泣いてるの?」そう責め立てただろう。助ける気持ちもあって、その原因を改善したらいいと話したつもりなのに、小学校という場所ではうまくは伝わらない。もちろん私は、群れをなしてその子にもの申し立てしていたわけでもなかったし、みんなと同様にシカトしていたのではなかったが、担任の先生には、イジメの台風の目のように扱われ、いつも一人呼び出され厳重注意される始末。 先生のお気に入りの勉強のできるお嬢チャマ達は、涼しい顔をして彼女をイジメているのに、「その子達は怒らないのですか? 嘘はついてもいいの?」と意見したら、「人間は、みんな完璧ではないから」と返ってきた。家に帰れば、母や祖母は「女の子はやさしくね」なんて涙流しているし、矛盾を感じ、しっかり理解もしないまま、私は悪い子だと自己嫌悪した。良かれと思った大きなお世話と、意見はするだけ損だとすっかりひねくれてしまった私の心には、小さな社会の疑問が今でも変わりなく存在している。時々、私の言い方が悪かったのか、ただ目立っていたからなのか、あの職員更衣室の畳の上で聞いた、担任の先生の言葉を意味を考える事がある。ただわかる事は、私がもっと女の子らしくあったら、掛ける言葉も違っただろうし、先生との誤解もなかったような気がする。細木数子氏の言葉にも、「男は男らしく、女は女らしく」がいつもある。私の人生ドラマにとって大きなテーマだ。 ブルーハーツの『人にやさしく』を歌いながら、その難しさを痛感し、「がんばれー!」と叫んでみる。そう、私もやさしくされたい。がんばれ! 私。 |