ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2003年8月28日更新

第3話 新たな出会い

 レッスンで知り合った友人が舞踏をやっていて、大野一雄氏の道場に通っていた。
 私も一度、連れて行ってもらった事がある。小田急線の相模大野の方だったと思う。
 道場は薄暗く、外国の人もたくさんいた。大野氏が話を始め、「踊ろうと思わないでください。自分を凝視し、奥のほうまで見つめなさい。そうすれば、体は後からついてくる。それがダンスになる」
 去年亡くなったおじいちゃんは、私によくこう言った。「他人を知りたいと思ったら、まず自分を知る事だよ。自分を知れば知るほど、周りのことも見えてくるんだ。これが宇宙の法則だよ」  その言葉によく似ていた。
 この日のテーマは"花"だったと思う。私は、静かに自分を凝視してみた。体はちっとも動かなかったし、悲しみだけがちらついた。結局、最後までに左手の薬指が動いただけだった。
 私はいつも、自由じゃなかった。厳しい家に育って、ちゃんとしなきゃいけないと教えられ、その事が、いつも私の邪魔をした。歌も芝居も、人と話すことも、ちっとも自由じゃなかった。これはレッスンをいくら受けようと、訓練しようと、根本の自分に変化がなければ何も変わらない。
 それからしばらくして、富良野塾の研究生として富良野を訪れることになり、それを期に、父のバンドを離れる事にした。東京ではなく、北海道の富良野に暮らす俳優やライターをそばで感じることで、何か変わるかもしれないという期待が山のようにあった。
 生活は稽古場の二階で、「ニングル」公演の稽古を、毎日、見学させてもらった。音楽やテレビ、新聞のない暮らしは初めてだったので、芝居の中に流れる森山良子さんの曲は、真夏の暑い中、のどが渇いたと飲むポカリスエットのように、スーッと体に吸収されていった。同じように、倉本先生の台詞のひとつひとつが、心に沁みていった。
 河口湖ステラシアターでのリハーサルが始った。私は車輪のついた木の中に入って、お芝居に参加させてもらった。紗がかかり、中は見えなくなっているものの、こちらからは芝居がよく見えた。本当に自分が、周りの人間を見ている木になったようだった。
 卒業生を含む塾生の顔は、東京に住む俳優の友人達と明らかに違っていた。朝早くに起床し、農作業に出かけ、夜に芝居の稽古や倉本先生の授業を受ける。掃除や炊事、夜中までニングルの人形を作ったり、それぞれ毎日の仕事の分担をし生活していた。都会での軟弱な私の生活とは、何もかもがかけ離れていた。
 舞台美術にしても、本当の森を作り出しているし、農業のシーンなどは、やっぱり本物だった。もちろんテレビではよくあるスローモーションだって、彼らの鍛えられた肉体だからこそ、舞台で実現するのだと確信した。
 よく、楽器を演奏する前の調律のように、役者やダンサーは体を調整しろと言われる。パフォーマンスにも、これは不可欠だけれど、精神にも大きくかかわっていることを彼らの瞳から知らされた。強くなることで、私が私自身を、もっと深く理解できるような気がした。