ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2004年4月28日更新

第31話 酒の害について

 毎日少しずつ、外を散歩するようにしている。桜の時期にはいつも海外に行っている事が多かったので、花見のできた今年は、春からの贈り物をたくさん楽しむ事ができた。家の近くは畑も多く、少し歩くだけで、いろんな花や野菜を目にする。今日は大家さんから、美味しいたけのこをもらった。お返しに笹団子をわけてあげる。「なんて幸せなんだろう」と思う。「ただ普通に暮らす事が、こんなに素晴らしいなんて」と思う。最近は、なんでもない事ばかりの毎日だけれど、ここへ越して来て本当に良かったと感じる。今までのあの不健康な毎日には、できればもう戻りたくないとまで思う。
 お酒を全く飲まなくなって、一年ぐらいになる。なにか行事がないと飲まなくなって、四年くらいになる。以前は酒好きの友人も多いこともあって、飲みくらべと称して一升瓶をならべては、熱めのウキウキでお酒を飲んでいた。"飲んで〜飲んで〜飲まれて〜飲んで〜"と歌いながら、ドラマなどで見る玄関で眠るお父さんのように、布団までありつけない事もいつもだったし、恥ずかしながら道路で寝た事もある。飲み始めてすぐに酔っ払うものの、具合が悪くなろうがその先がだらだら長く、どこまで飲めば気が済むのか自分でもわからない。疲れて酔いつぶれるまで飲み明かす"酒が飲める飲めるぞ!"のような日々。かなり酒好きな父と飲むんでも、彼が「酔っ払いは嫌だね」とあきれて酔えないほど手に負えない始末だった。願掛けの為の禁酒も48日しか続かなかったくらいお酒大好きの私も、四年ほど前の母と祖父母の入院をきっかけに、お酒の量がだいぶ減っていった。家族に何かあるかもしれない時に、酔っ払ってグタグタ言ってられなくなってしまったのだけれど、体が疲れている時に限って悪酔いしてしまうから、飲むのが怖くなったのが本音だったと思う。酔っ払いと激論する事に疲れて次の日気分が悪い中に反省したり、嵐の後のなんとも言えないせつなさが残り、やりきれない自分が、明日のモヤモヤを生む繰り返し。まさに"悲しくてやりきれない"だったから。
 多くの酒飲みは、大事な話をする時も酒を飲む。また、シラフでは決して言えない事も、酒の力ですんなり話せたりする。また、びっくりするようなすごいアイディアも、浮かんできちゃったりする。確かに、楽しい宴の席や労働した後のビールは本当においしい。ミュージシャンや俳優の友人の中には、酒場でくだをまく事を「ダメな僕のかっこいいスタイル」としている人が多いが、気の知れた仲間と、音楽や芝居、人生について語らう事も、お酒があるからなお楽しいのだ。今このひとつの楽しみがなくなって、ハテ?これ以上の幸せが何処にあるか探してみる。「死ぬんじゃないか」と思うほどの胃痛や訳の分からない検査が減った事、二日酔いで起きれなかった朝も深呼吸で清々しくさわやか。そう、健康的な私を作り出してくれているんだ。今ではそんな毎日を手に入れた私は、飲んだくれている父や友人を見て、ひそかに「ノンベエは嫌だな」と思いながら、「お酒は怖いよ」と、助言してみたりしている。