ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2004年5月6日更新

第32話 人はみな老いていく

 エレベーターのないマンションの五階に住む友人が、別のマンションの四階に住む親の老後にとても悩んでいて、「何かあった時の為に引っ越したい」と言う。私の周りでもここ何年かは、老人介護の会社を始めたり、資格を取る人もたくさんいて、少子化や老人社会に向けて動いている。私の中学も新設校だったが、方々に車椅子のスロープがあったりで、最初から、将来は老人ホームになるかもしれないと言われていた。今では、介護の情報やグッズもどこにでもあって、深刻だとは感じるが、それでも自分ごとにはあまり考えられないでいるのが現状。私も今年で30才になり、実際に親の年も赤いちゃんちゃんこに近づいているのに、元気に「そーらん、そーらん」なんて唄ってるから、ピンとこない。それでも最近は、年金特集などを見ては、「自分の事で精一杯なので、その時の為のお金は、今から貯めておいてください」と、言うようにしている。
 父方の祖父母は、私が生まれる前に亡くなっていて会った事がないから、母方の祖父母の事でしかわからないが、祖父が亡くなる前に寝たきりになって、その頃は痩せて細くなっていたのに、力の入っていない体がこんなに重いのかと思った。また、一緒に年を取っていた祖母が一人で面倒をみていたから、足の爪を切るような小さな事でも大ゲンカするほどだったし、身動きがとれない本人のイライラも重なって、ここに簡単はないと知った。病院や老人福祉の場で働く友人は、いつも男の人のようなチカラコブで、「白衣の天使なんて、あんたが思うようなものじゃないよ」と大笑いするが、改めて彼女達を深く尊敬した。メンタルな部分でも、初めのうちはたくさんショックを受けた。大好きな釣りやビリヤードができなくなって、散歩にも行けなくなって、祖父は「情けない」と泣いていた。そういう風になってからは私も、もっといろんな事をしたかったと後悔したし、亡くなってからは、もっともっとそう思った。お葬式でお坊さんが、「後悔ばかりで気をおとすのではなく、お疲れ様と送ってやってください」と言う。見送る側もみんないつかはいなくなる。「どう死ぬか」と、毎日その事だけ考えて生きてはいられないが、そのいつかの為に"いろんな事いっぱいしておきたい!"山田かまちの「24時間じゃ足りない」の言葉のようだ。
 小学生の頃、祖母の家へ向かうバスの中、「おばあちゃんもいつかは死んじゃうんだ」と、急に泣き出したことをふと思い出す。小さな頃から、銭湯へ連れて行ってくれたり、ご飯をたべさせてもらっていた祖母は、今でも私の大好きなヒト。祖父が亡くなってからは寂しさからか、ずいぶんと元気がなくなった。最近はナイ知恵を使っては、祖母の喜ぶ事を考えているが、結局、近くの丸井にランチに誘う事ぐらいしかできない。昔のように手をつないで歩く事が、初めは照れくさかったが、今では随分慣れてきた。あと何回こうして歩けるのか? あと何回おばあちゃんを喜ばせてあげられるのかな? と思う。もっともっと、おばあちゃんと出かけよう!