第34話 ニューヨーク行2
2003年1月16日。J.F.ケネディ空港に着き、友人のBJに連絡しようと、公衆電話へ向かったが、壊れているのか? 私が悪いのか? うんともすんとも言わない。イライラするので、携帯を借りる手続きをとる。最先端のNY、アメックスさえあれば、何でもできてしまうんだから、クレジットカードは本当に怖い。BJはこの日ライブを予定していた為、「空港に行く時間がないから、マンハッタンの店に、直接来るように」と言う。タイはタクシーに乗って、強盗に殺されたりする事はまれにある。それを思うと、とても怖かったが、仕方なくイエローキャブに乗る。日本にも無愛想な人はいるが、頭にターバンを巻いた運転手さんは、何も返事しない。空港からマンハッタンまでがどれくらいの距離かも知らないでいる無知な私は、「もう着くだろう」「まだ着かないのか?」妄想しては、ドキドキしっぱなし。サンザン迷ったあげくに着いた薄暗いボロボロの店は、ライブハウスの殿堂とも呼ばれる、『ニッティングファクトリー』スゴイ所だった。BJはベースやサックスを演奏し、バンドはドラムとキーボードで構成されていて、デジタル音ピコピコの変わったロックバンドだった。インディーズのCDを発売したばかりではあったが、お客さんも満員の上、アメリカではよくある全米ライブハウスツアーも決まったばかりで、ノリに乗っているリズム。最近の若者とカラオケに行くと、そのリズム感のよさにびっくりする事もあるが、決してまだプロフェッショナルとはいえない彼等の演奏を聞いただけで、日本人とアメリカ人との間の取り方には、やはり決定的な違いがあるように感じる。また、この店の地下や上の階にあるいくつかのスペースでは、他のライブを楽む人達でごった返していたので、この街の夜には、音楽を提供する店や人、それを楽しみ支える人が、本当にたくさんいるのだと知る。「つぶれていかないで、東京のライブハウス!」と、応援したくなってしまった。
ライブには友人の大学時代の同級生などもたくさん来ていて、恐ろしい数の人に自己紹介を始めたが、空港から直行、サムソナイトのでっかいスーツケースを持って会いに来た私と彼との関係に、みんなの質問は集中する。以前、BJが日本へ遊びに来ていた時に、渋谷のアピアでライブを手伝ってもらったという以外何もないのだが、押しかけ女房じゃないか? と、勘ぐるジョーク。確かに、日本を出る時はどんな部屋かもわからなかったので、狭い部屋に二人で寝るなんて事になってはと心配はしていたが、状況によってはNY着いてからホテルを探せばいいとぐらいしか考えてなかった。マッタク! 危機感もなく、なんて安易なんだろう……。「今日はどこに泊まるのか?」と聞かれたので、「BJの家へ」と答えると、「それなら僕らと一緒だ」と3人の男の子が言う。BJのアパートは、たくさんのアーティストが暮らしていると聞いていた。彼らが芸術家と知って、服装からなにからじっくり観察した。 ライブの後片付けも終わり、店の前に止めた大きなジープで、ブルックリンへ帰る。運転していくBJは、駐禁をとられてカリカリしていたから、ギュウギュウに押し込められた私達は、最高のドライブに酔う。何人かを下ろして、オレンジの街頭のある、横浜本牧埠頭のような倉庫街に入り、落書きだらけの建物、ずいぶん大きなアパートに着いた。向こう岸にはマンハッタンの夜景があったが、辺りはとても静かで寒くて、少し怖くてブルブルした。先ほどの三人もBJハウスについて来て、何事もなく鍵を開け、それぞれ別のドアに入っていった。私は、40畳以上あるリビングのソファーベットに寝る。そして、「まさか」はどんぴしゃ。この日から約一ヶ月、男子4人との不思議な共同生活が始まった。 |