第37話 ニューヨーク行5
NY滞在も残りわずかとなった頃、知り合いがいるうちに来たかったとかで日本から友人がやって来た。周りは「お荷物になるだろうから呼ばない方が良い」と言ったが、旅の終わりも近づき、パーティで一人寂しく飲むビールよりはいいと承諾する事にした。彼女は英語を話せるわけでもなかったが、二人で歩くブルックリンは少しだけ心強く、大勢の人とごった返すバーやクラブでも、物怖じせずにいたれたと思う。以前、父の仕事でエジプトに行った時も、バンドのメンバーにこっぴどくやられていて、ピラミッドを目の前にしても「入りましょう!」という気にはなれなかった事がある。その時の気分で、単純に観光できないという困った私がいつもいて、NYも同じになってしまう所だったのだが、彼女のおかげでここぞとばかり、タイムズスクエアーや多くの人が夢見るカーネギーホールなどで記念写真を撮って歩く。食材や関羽グッズを買いに行ったチャイナタウンでは、タイの露天と同じようなものがあったり、韓国の人が寿司を握っていたりで、英語もほとんど通じないから、どんな国を歩いているのか錯覚しながらワクワクした。BJ達には「ブロードウェイなんか行くべきではない」と言われたが、観光客が存分に楽しめる場所もたくさんある。また自分自身の問題で、何度か近くまで行って引き返したグランドゼロには、結局訪れる事ができなかったが、たいした知識もないままに目にするには大きすぎるものだったから、今でもこれで良かったと思っている。
友人がメールを通して紹介してくれた、NYに住むデザイナーの日本人の女の子とやっと会うことができた。地味なカラーのベッドフォード小さな交差点で、柱にもたれてサングラスをしてたたずむ姿はとても印象的だった。近くのピザ屋で軽食をとり、喫茶店で話し込んだが、オキ楽日本人の私達の話は、彼女の何の足しにもならなかっただろう。反対に、彼女は夢を持ってこちらへ来てからずいぶん経っていたし、学ぶべき心意気は私にとってたくさんあって、まだ若いのに達成や生活の目処がつかない限り、恋愛もしないと彼女ははっきり言い切った。多くの人の場合がここでつまずいてしまうし、とくに私はいつも父から叱られる事が多かった。「男がいなきゃ生きていけないのか」と言われたら、「そんな事はない!」とは答えるが、あらゆる面で抑制されている気がして、作られた自分に反発しての繰り返しを考えたら、何の為にNYにいるのか明確な彼女の意見はごもっともだ。この事ひとつにしても、強かに生きている人は私の周りにもたくさんいるが、私にはそこまでしても獲得したいものがないなら、「想いが足りない!お前は甘い!」と言われても仕方ない。 また彼女は、NYで最近増えている精神的な病気についても話してくれた。夢を持って生きている人が都会にはたくさんいて、なんでも叶うわけではない現状もある。負けたくない!成功したい!という気持ちは、多くの悩みをも生み出しているのは確かで、急に怒鳴ったりヒステリックになったり、ひどく落ち込んだりは、たとえ手に入れた人でさえバランスが取れない事もある。「東京にも、たくさんある事じゃない?」大人は大変なんだな…。いつもみんなでBJの仕事やバンド活動についても、よく話し合っていた。スーツを着て面接を受けているチャットは、BJ自身の展望や親の意見を問いただす。好きな事ばかりできないのも辛い事で、好きな事を続けるのも辛い事。夢がどこまでのものか、自身にもわからないのだから、幼い頃に描いた夢の続きが色褪せないでいるには、初恋のように葬るしかないのかもしれない…。 |