ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2004年8月7日更新

第38話 ニューヨーク行6

 アパート近くの古着屋さんやアウトレットショップで、たくさんの洋服を買った。下北沢で手に入れた肩のこる皮の重いコートもスーツケースにしまい込んで、バービーのような新しいコートで足早に颯爽と歩いてみる。一ヶ月もこちらにいれば少しは様になっているのかと、ショーウィンドウに映る自分を眺めてみるが、"川崎市溝の口!"の匂いは消せない。日本での想像の中では、毎日ライブや美術館めぐりで忙しいはずだったが、地下鉄に乗って行くとなると億劫になってしまう。結局マンハッタンでは、知人に誘われたオフオフブロードウェイでのゴスペルミュージカル、タップライブやCDレコーディングの為のジャズライブぐらいしか行けなかった現状。夜遅くのベッドフォードを、アカヌケナイ日本人一人歩くのはとても怖かったし、よく目にした「この店で買い物を終えた後、子供と消えてしまった妻を捜しています」の張り紙を思い出すと、人気のない倉庫街に走る車が映画で見るこわーい不良達じゃないかとビビッテいたのも正直なところのこころ。『チャイディースゥースゥア』タイのことわざを唱えても、虎のような強い心でジャングルを歩く事はできなかった。
 散歩の途中に隣駅のグリーンポイントまで行って、お世話になったみんなにお礼のプレゼントを買った。BJにはとびっきりポップなハート柄のスリッパとバスタオル。朝ご飯のフルーツサラダやパスタを作ってくれた料理好きのアレックスにはエプロンを用意し、コーヒー好きの私に、コーヒーメーカー買って来てくれたチャットには、ゴディバのフレーバーコーヒーを。ファイヤーパターンの入ったピカピカのバイクで、かっ飛ばしているアンディには、同じ模様の馬の置物をと、それぞれ一番のものを選んだ。また帰国の翌日は、バレンタインデーでもあったので、ひとりひとりに宛てた詩を書いたカードも添えて粋にキメル。初めて部屋に来た日は、みんなも私以上に驚き、どうコミュニケーションをとればよいのか、試行錯誤していただろう。毎日やる事もなくて、テレビからひっきりなしに流れる新作映画にかぶり付く私に、「何をしにNYへ来たのか」と何度も聞いてきた。次第に「NYのテレビは、日本のテレビと違うんだぜ!」なんてジョークまで言われるようになったほど、本当におかしな日本人だったと思う。いつも必ず誰かが私を見守ってくれていたのに、何もわからないからと子ども扱いするわけでもなく、上手にフォローしてくれる所なんかは「アメリカって国なんだなー」と感じた。
 帰る日の前夜は、BJがいつもと変わらずにバーへ連れて行ってくれた。いつものメンバーといつものハイネケンで、私のすったもんだを振り返ってたくさん笑いあった。ひどく酔った帰りにスペイン語のラジオの流れるタクシーに乗った時、知っているありったけのスペイン語を歌詞にしてうたを歌ったら、運転手さんがタクシー代をおまけしてくれた事、ブルックリンの地ビールを飲み過ぎて、おおいびきで寝ていた夜の事。毎日かかさず花を飾った事や料理のレシピ、BJやアンディに彼女がいない訳など、朝早くの出発時間も忘れて何時間も話し続けた。疲れきって家に帰った後、アンディだけは眠らずにテレビの前に座り、「しばらく君の料理が食べられないのだから、何か作ってくれないか?」と言う。友人が日本から持ってきたそばを茹で、残り物の野菜と炒めて出すと、おいしいと言いながら今度来る日の話をする。「こちらに住みたいと思うなら、時間をあけずにすぐにおいで。言葉も忘れてしまうし、僕の食事にとっても、深刻な問題だ」とジョークを言った。確かにタイ語にしても、帰ってから使わないでいるとすぐに忘れてしまう。また何事でも、勢いがついた状態で計画を始めないと、何年も先になってしまうのもいつもの事。どこで生きて、どこで歌うか? いつまでこうしているのか? と一緒に、真剣に考えよう…。
 いつでも旅の終わりはせつなくて号泣する事が多いのに、この旅の終わりはなんともあっさりしていた。NYという都会のシステムなのか、誰一人として起きて見送りもしてくれない。テーブルに置いたプレゼントとカードを確認して、タクシーに乗り込む。誰かが泣きながら手を振るより、ずっと清々しいお別れかな?「またすぐ来れるんだ…」いつもよりずっと、暖かなBJハウスでの最後の朝だった。