第40話 自分の歌
最近は友人達もみんな、本当に上手に歌っているけれど、カラオケというのはなかなか難しい。機械の流す一定のリズムとキーに、どうやったら合うのか、プロにコツを聞きたい。私は小さい頃から何度も、カラオケや民謡のナントカ子供大会などというものに参加してきたけれど、いつも結果はイマイチ。親の会から民謡の大会に出ても、日頃から練習していないんだから、入賞なんて出来るはずがない。そういう類のものには、必ず決まりごとがあるから、練習しなきゃ勝てるはずがない。もしかしたら、そこに個性なんかなくていいのかもしれない。何かに「合わせる」は大嫌いの私には、参加費を払うだけ無駄な事だといつも思っている。反対に地道に習う事に努力していれば、今頃ずっと近道していたかもしれないとは思うけれど、反対に今の私が手に入れた物はなかったかと思うと、"株の心得"じゃないけれど、「あれをしていれば、こうだった」は、考えないようにしよう。当たり前の事だけれど、こんな私でも録音した声というのはいつも同じ。久しぶりに聞く自分のCDは、どこかフヌケでなんだか恥ずかしくなる。「あれー? こんなうただったかなー?」少しは成長したから、そう思うんだ!と思い込んでみる。確かにジャケットの写真を見て、「若かったなー」と納得する。
2002年2月23日。私の28回目の誕生日に、「めぐる」というCDを自主発売した。誰かが後押ししてくれて作ってくれるほど力のある自分ではなかったが、資金作りも交渉も全て一から自分で始めた。喜多郎さんのサポートキーボディストである海老原真二さんをはじめとする、それまで一緒に音楽を作ってきてくれたミュージシャンや写真家、たくさんの仲間達が参加してくれて、その一枚はやっと完成したのだった。何を作るにも同じ事だろうが、制作過程も発売後も、周りからはもちろんいろんな意見があった。それでも一日一日年をとれば、好みや表現したい事も、付き合う人や出入りする場所も少しずつ変わっていく。過ぎていく時間の中で今日という日には今日の、明日には明日の私がいる。マダマダな歌や時期であっても、そのマダマダな声も今も一度しかない。どんなに毎日努力しても、どんなライブだったのか? いい歌が歌えたかもわからない毎日の中、終わりなんてやってこないから、ここまでよ! のヒトクギリが欲しかった。そして自分を遠目から見たり聞いてみたりする事で、その先の事を考えたかったのかもしれない。たとえそれが未完成な自分の等身大となる、とても滑稽な恥ずかしいものであっても私にはとても重要な事だった。 誰のプロフィールやエピソードも、気がついたらすでに在ったものではないような気がする。その時の自分が、歩みたい方へ向かうからこそ足跡が残る。いったいどれだけ振り返る自分を作れたのだろうか? と時々考える事がある。今でも回り道ばかりしてはいるものの、自分勝手に伊藤多喜雄の娘というプロフィールしかないと思っていた頃よりも、ケーキのロウソクの分だけの私があるのだと自信が持てるようになっている。 アピアのライブの帰りに、三上寛さんが言ってくれた言葉、「二代目はアキラメテクダサイ。分家でイキマス」は、私にぴったりのキャッチフレーズになった。意味のある一枚であるこのCDの、カラオケはもちろん作ってもらったが、実際はこれすら歌えない自分がとても寂しい……。 |