ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2004年9月18日更新

第41話 蛇が皮を脱ぐごとく

 台風の最中、ずぶ濡れになったポストを開けると、チェンマイに住む親友のオイから、久々に手紙が来ていた。誕生日やクリスマスなど必ずカードを送ってくれるのだが、今回はずいぶんと大きくなった息子FIFAの写真も同封されていた。また手紙には、弟が大学をやっと卒業した事の御礼の言葉もあった。彼女は十代で両親をエイズで亡くしてから、親戚の手を借りて親代わりをしながら働き、この弟を育ててきた。今は結婚をして幸せに暮らしてはいるが、夫婦でミネラルウォーターの会社のバイトや病院の事務などしながら子供と弟を学校に通わせてきた。生活が苦しくて、弟は何度も大学を辞めたいと言ったのだったが、家族みんなで卒業できるよう努力してきた何年かだったので、これは本当に嬉しいニュースだった。私はほんの少しの送金しかできなかったが、会うといつも真摯で丁寧な感謝の言葉をくれる立派な青年になった。今では大学で学んだ日本語も、だいぶ話せるようになったと聞く。飲んだり、食べたりすれば、すぐ無くなってしまう一万円が、なかなかすぐには送れなかったりしていたのだが、こうやって続けてこれたのも、オイやその家族から贈られた全てが私の人生において、とても大きいものだったからだと改めて感じながら、ぼーっと振り返っていた。CD「めぐる」のSpecial Thanks to……にある"OY's family"のように、クレジットに書かれたたくさんの人々の名前は、私の人生物語の大切な登場人物。そう! なにも血のツナガリだけで、人はツナガッテはいないのだ。
 大切なCDの発売日は、面白い事に『いのちの祭り』でチェンマイにいたので、出来たてホヤホヤの記念すべき一枚目は、タイバーツで買ってもらった。「日本へ帰ったら民謡をうたう!」と決めてから、ムーンムアンのゲストハウスの屋上で何度も練習した「道南口説」と、その旅を描いた詩をのせた「木曾節」をうたう。チェンマイにハマルきっかけを作ってくれた祭りの舞台の上に、そっと海老原氏のピアノが流れ、同行してくれた友人の作ってくれた真っ赤な衣装で立てば、五年分のいろいろな想いや人が過る。地元の新聞を握って、「載ってるぞ!」と駆け寄る友人もいれば、「君だったのか!」と興奮する人。
 CDを手にしたオイは「おめでとう。あなたはいつも約束を守ってくれる。そして必ず、夢を実現してくれる!」そう言って、心の底から喜んでくれた。周りから見れば少し大袈裟なそれらの姿も私にはとても大事で、何処の馬の骨かもわからない飲兵衛で貧乏日本人の私と、互いを大切にしながら、ずーっとツナガッテいてくれたのは、タイ人のマイペンライな性格からしても、ほとんど奇跡みたいなものだったのだ。もちろん祭りはチャリティーで行われているので、もともと"お仕事"ではないし、募金を集める事の方が、大切な"仕事"だったのだが、それでもこの場所でうたうという事が、今までも、そしてその先の私をも、どれだけ励ましてくれた事だろう。人は全ての細胞が7年の間で入れ替わるという説があるが、この28周年の記念日に、私は4回目の脱皮をした。新しく歩いて行く為の力を、またもやチェンマイからもらったのだった。