ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2004年10月2日更新

第42話 凄さを引っさげて

「日本の民謡を、もっとたくさんの人にきいてもらいたい!」
 そう思った'97年のチエンマイ"いのちの祭り"だったけれど、何年か経った二回目の祭りの同じ場所で、自分がうたえる様になるとはコレッポッチも想像もしていなかった。本音をいえば太鼓や三味線、名人達の唄を聞かせたかったくらい重要な事だったけれど、そうする為にはたくさんの事が必要になる。スゴイ芸を持った人々が、方々へ飛び出していけるようになる為には、若い後継者の育て方を見直していくか、民謡などの邦楽がビックジビネス!になるような日本になるか…どれも本当に遠い話。今まであった衣装もテリトリーもなくて、新しい仲間と音楽を作り、知らない人や言葉に出会い、全く知らない人にそれを聞かせる。「知ってもらいたいから、聞かせたいから」とは言っても、自分の財布からどこまでも果てしなく資金を出し続けられるほどの捨て身の勇気なんて、みんな持ってやしない。目に見えないものへの投資、価値観をいつまで持ち続けられるか?新しい場所へ出て行くというのは、それくらい怖くて難しくて、やりたくてもできないのが現実。だから私みたいな奴はなおさら、ほそぼそ自分の民謡を確立しながら歩いて行くだけ、そして与えられたチャンスを精一杯やるだけなのだ。
 三日間の"いのちの祭り"が終わった次の日、打ち上げも兼ねた『ジャパンナイト』が川沿いのライブレストランで行われた。ミニアピアのような状態ではあったが、祭りに出た数名のミュージシャンが何曲づつか演奏し、南正人さんをはじめに、頭脳警察のとしサンや私の尊敬する歌手、火取ゆきサンが参加していた。私も2曲ほどうたわせてもらえる事になったが、ピアノの海老原さんと二人では心配なくらい、酔いしれたその場は盛り上がっていた。レパートリーの中では、テンポのいい牛深ハイヤをうたう事にしたが、ヒラメイタ突然のアイデア、太鼓やドラムを叩いてくれる人が見つからない。仕方ないと肩を落として半分あきらめかけた時、「大丈夫、僕にまかせて!」スーパーヒーローのように遠藤ミチロウさんが登場する。十代の頃はラフィンノーズの追っかけをしてパンクなども少しは聞いていたけれど、アピアのママに「貴方知らないの? 嘘でしょう?」と言われるまで、恥ずかしながら名前すら知らなかったのだった。後に彼のCDや本、人柄を知れば知るほどスゴイいと思う気持ちはどんどん大きくなっていく。そんな矢先の出来事、私なんかの為に申し訳ない気持ちばかりだった。結局ミチロウさんは会場をグルーッと走り回って、「僕もよく知っているし、大丈夫だから」と、ジャンベを叩く仲間を連れてきてくれたので、私の出番は無事に終る事ができた。前日が私の誕生日だったのでプレゼントと素敵なカードを贈ってくれたり、同行する周りの人にも気をつかってくれていたり、いつも走っている姿ばかりみかけた。「すごい人は、やっぱり何をしてもスゴイんだな」と頭が上がらない。ミチロウさんの歌の狂気だったものや、超越したものとは正反対の所に、「やさしい丸」が絶対に存在している気がした。確かに、いい人だから誰でもステージがスゴイわけでもないし、嫌な人にもスゴイ人はたくさんいる。偉くなったりベテランになれば、ふんぞり返ってアクションしていなければならない場面もあるけれど、持つべきプライドの方向性が間違ってしまうと、とんだ勘違いした人になってしまうし、外に出れば上には上がいて、知らない事も山ほどある。ところ変わればいつまでも、どこまでも新人なのだという事を忘れずに、誰かを思いやるやさしさや謙虚心をたくさん持って、どこまでも飛んで行けるスーパーウーマンに成長していきたい。