ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2004年10月15日更新

第43話 和物再評価

 イマドキの若者達もファッションや音楽をはじめとする全ての文化を通して、和の要素を取り入れながら上手に表現しているので、「和物がダサイ」なんて感覚はなくなって来ているような気がする。私の小さい頃は浴衣や着物を着るのもとても珍しかったし、踊りをやっている事も隠すほどだったのに、今じゃ太鼓や三味線を習う子供なんてたくさんいる。もちろん外国人が変な日本語のTシャツを着るように、面白おかしく取り上げられる場面もあるようではあるけれど、そこを手がかりにもっともっとルーツをさかのぼって行けば、名人や職人に接する機会も増える。よその国に染まっていってしまった時代も、見直してみればやる事もたくさん日本で見つけられるのだ。
 おととしの夏に、恐ろしい筋肉痛を味わった。以前から憧れていた津軽踊りを、青森へ習いに行ったからだった。民舞や日舞は幼少に勉強したけれど、複数で連なって踊るものばかりだったので、一人踊りが踊れるようになるのは夢のまた夢。まして津軽の三大手踊りが見せられるようになったら、かっこいいなんてもんじゃない。父に頼んで知人を介して探してもらい、石川義野先生という素晴らしい人に出会う事になった。習いに行く事前に、先生に会いに行った羽田空港では、なかなか姿を見つけることができなかったほど、想像していた「民謡界の踊りの先生ファッション」ではなく、薄いピンクのスーツ、おしゃれで本当に素敵なヒトだった。母の協力もあって、青森駅前の安いビジネスホテルに宿泊しながら、先生の所に何度か通わせてもらえる事になった。
 先生の大変立派な自宅兼稽古場は、青森空港と青森駅のちょうど真ん中あたり。見晴らしの良い高台なので風の流れも良く、夏なのにとても涼しかった。また、贅沢な話だが津軽三味線の名手であるご主人の長谷川裕二先生が、お弟子さんの稽古をつけている日には、二階から津軽三味線の太い曲引きが聞こえてくる。「スゴイなー。津軽の人になったみたいだ」私は、"じょんがら"を習っている。もちろん一からの出発、先生には申し訳なかったが覚えるだけでそうとう時間がかかってしまった。また覚えた後も大切なのは、テンポの速い唄の中、流さないできちっと決める事な訳だから、テープに合わせる?なんてずっとずっと先の話だろう。
 たびたび先生のお弟子さんで大会優勝者の人の"よされ"や小学生や中学生の踊りを見る事ができて、本当に貴重な体験する事ができた。小さい頃から習い続けている彼女達の姿には、独特の首の傾げ方やしなりがある。これはどうにもまねできない、ゾクッとくるものがあった。私の生まれ育った土地では特に昔からの唄や踊りもなく、祭りの囃子連もごく一部の人たちの物で、人類がいつどこから生まれたかもよくわからないのに、「地元の地の家の長男坊」と決まっている。ねぶた等のたくさんのイベントにしても、青森は若者への伝承、独自の文化が根付いているのだ。自分のライブ活動の中でもいつも思う事だったが、民謡と言えばダントツの強さの沖縄。持っているカラーが明るく楽しい事もあるけれど、どこのライブも満員の上、みんなが踊り歌いながら盛り上がる。ほとんどの若者がさんしんを奏でる事ができるなんて、素晴らしいとしか言いようがない。
 いつも先生は口をすっぱくして、「ディスコでもどこでもいいから、踊んないとダメ」何度もそう言っていた。一応のメニューが終わってからは、ビデオを見てたまに?練習しているくらい。確かにこのままいくと、タイ舞踊のように親にも見せないままスッカリ忘れてしまうおそれがある。時々先生にも見ていただかないといけないのだが、わかっていてもそれはスゴク怖い。今年の冬こそは猛練習して、八甲田山の雪が解けた頃に電話をかけてみよう!「三大手踊り」はまだ二つもあるのに、初めからこれでは夢の実現など程遠い…。