第44話 若さの基準
携帯電話の会社を変えようと、ドコモショップへ出かけると若者割引が使えないと
聞く。二月で三十歳になった私は、今日はじめて会ったカウンターの女の人に「もう、おばさんです」と言われたようだった。帰り道はなんだかとてもせつなく、「いつからいつまでが若者だとか誰が決めるものじゃない!」なんて励ましてる。なにも新しい機種ばかりがいいわけではないのです! 三十歳といえば、この年までにはどういう風になっていたいとか、たくさんの事を目標にしてきた憧れの場所。本当だね、人生は思うようにいかないものなんだ。さて次は、何歳の自分に目標を持つべきなのかNTTドコモに問い合わせたいくらい。我が家に若者がやってくると、私の好んで聴いている音楽に「昔のってかっこいいね」なんて褒めてくれる。十代の頃から流行りものには疎くて、いつも昭和歌謡や古いCDばかりを選んでいた。今でもそういう音楽に毎日囲まれているけれど、昔の曲は本当に覚えやすくてすぐに口ずさめる。それは音楽にはとても重要な事で、多く歌い継がれてきた代表的な民謡だって、残っているものにはこれがバッチリ当てはまっているように思う。
愛媛松山から、いつも美味しいみかんを送ってもらう。瀬戸の風が吹く山で大事に育てられたデコポンなど、東京ではたくさんお金を出さないと買えない物なのに、贅沢にも口いっぱいにほおばっている。知人から紹介されて、保内町を訪れたのはおととしの春の事で、初日は夜の松山で、さんざん美味しいものをご馳走になり、次の日から揚げたてジャコテンをかじりながら、海沿いをかっ飛ばして一時間半の保内みかん山へ。海沿い近くに住んでいる音楽や写真を撮るのが大好きなハイカラなおじちゃんもいたので、モデルなどしてみながら釣りをしたり、ちょっとした観光などにも連れて行ってもらった。またちょうど選挙などもあって、町内アナウンスで流れる選挙情速報なんかは予想もしなかったので、癒されてはとても興奮した旅だった。訪れる前から「毎日、山の仕事!」に張り切っていたのだが、お世話になった農家さんには「お客さんだから」と気を使わせてしまったようで、山の手伝いはあまり言いつけてもらえなかった。確かに行動力のあるのはいいけれど、出会ってまもない人には私の「やってみたい症候群」は理解できなかったのかも…。それでも無理やり、持ってきた作業着に着替え山へ行く。時期ではなかったので、一番忙しいみかん取りは手伝えなかったものの、甘い実を育てる為に不必要な葉の芽取りや倉庫の片付けをやらせてもらった。初めは摘んでしまった葉っぱが「もしかしたら、いい枝を作ったかもしれない」なんて思ってばかりで仕事が進まなかったりもした。また今までの農業体験と何が違うかと言えば、たった数日の事でも何時間も山の斜面に立ったり座ったりしていると、足首はイタイイタイと悲鳴をあげる。普段は平らな場所で生きているのだから、足の裏や指を全部を使って体重を支えるのはとても難しかった。また、人様の住む場所や海を上からずっと眺めているのは、神様になったくらい気持ちが良くて、山に生きる人の醍醐味なんだと何度も深呼吸した。「みかんの花が〜咲いている」と口ずさむと、ここにもきっと山の民謡があるんだろうと思いつく。町内誌や人を尋ねて探してはみるものの、ほとんどの人がわからないと答えた。やっとの思いで歌える人を見つけ、ママさんバレーボールの練習中のその人に会いに行けば、歌詞の内容が現代では歌えない差別的言葉があった事を知る。また一回や二回じゃ覚えられないほど難しいメロディとくれば、消えていきそうな子守唄の問題点は明らかとなった。なくなってしまうものにはそれなりの原因があって、残るものにもそれなりのものがあるのだと実感する。
自宅に帰って来てから、子守唄に私なりの新しい詩を書いた。またライブを再開した時には、仲間とアレンジして歌い続けていくだろうと思う。それでもこの曲が歌われていた頃の人の生活や考えは、伝える事はできなくなる。"いるものだけ残して、いらないものを捨てて"今まで何曲も歌詞を作ってきたが、民謡などのもうあるものに対して書く事のその難しさの意味をはじめて感じた気がした。
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