阿武秀子


2004年12月1日更新

第45話 サバを読む

 明日起きる事の全てを覚悟してばかりも生きてはいられないけれど、何事にしても恐怖に心を脅迫されているよりは、少しの備えを用意して自分の気持ちが落ち着く方がいい。あんなに無鉄砲に走ってきた自分にブレーキをかけるのは、大人になったのか? 弱腰になったのか? いや、きっと大事なものが見えてきたのじゃないかと思っている。父も新潟や佐渡へ行く仕事が増えてきて、昨年は笹団子もたくさん頂いた。私自身もアピアの田植えにちょくちょく参加していたので岩室へは何度も通っていた。だからなおさらかもしれないけれど、テレビで新潟の映像を見るたびに、こんなに寒い中被災者の方たちがどんな思いでいるのか心配でたまらないし、なんでもない毎日の生活が一変してしまうなんて想像もつかない。また、募金も少しばかりしかできなかったり、ボランティアに も出かけられない自分が本当にもどかしくて仕方なくもある。十代の頃に父のバンドで、奥尻地震のチャリティー大道芸ツアーに一ヶ月近く行った。経費も引かないでお客さんから頂いた投げ銭全てを寄付したのだけれど、後日のニュースで有名人や企業が集めれば、たとえ経費を引いたって何十倍も何百倍もたくさん募金を集められると知った時には愕然としたように思う。お金も時間にも余裕が欲しいと思うのは、なにも自分が苦しい時ばかりではないんだ。
 初めは「田植え唄うたってよ」なんて役割だった気がする。事務所にある普段あまり使われる事のない大量の民謡全集から、岩室にできるだけ近い場所の「田植え唄」を探して、なんだか覚えずらい歌を田植えのメンバーと練習した。太鼓など持ち寄って、いざ田んぼに入れば、中腰作業の上にどうにも許せないヌルヌル生暖かい…。うたうどころではないので、田楽法師にでもなった気分であぜ道に座ってみんなを励ましてみるとする。初めの何年かは、夜酒盛りになれば岩室甚句をうたって、和みのエッセンスくらいにしかならないのに、ちゃんと分け前の美味しいお米はもらっていたのだから、私も世の中の詐欺師とも紙一重じゃないかと思ってしまう。
 お米と言えば子供の頃におばあちゃんが、「お百姓さんが大事に作ったお米だよ。一粒でもご飯を残したら、目がつぶれるよ」と言っては、お茶碗にお茶を入れてすすっていたのを思い出す。あの頃はあまりピンとこなかったはずなのに、参加するようになってからはそれはマルッキリ変わった。もちろん機械など使わずに地道に作業するからなのかもしれないが、天候が悪かったりで思うように実らなかった不作の年の稲刈りなんかは、落ちている小さな稲穂をいつまでもいつまでも拾ってかき集めても、通常の十分の一くらいにしかならなくて、寂しくって、悲しくって…落胆した。またそんなお米を炊いてお茶碗に盛ってみると、その輝いた白の一粒一粒がいったいどれだけの数で構成されているのかなんてジッと眺めてしまったり、研いでいる途中にお水と一緒に流れた米粒を拾ったりするようになった。裕福な時代に生まれて、また家業の助けもありたくさんの人から送られてくる物に囲まれて育ったので、断食の修行でもしない限り、お金がなくても食べるものに飢えを経験する事はないが、育む事で知った食への感謝の気持ちによって、レストランでハンバーグを食べる時の大抵残ってしまうお皿のライスまで深く考えさせられるようにまでなった。仏教で食への感謝の気持ちや飢えに苦しんでいる人へ分け与えたいという気持ちを込めて、自分のお茶碗から少しづつ取り分けるという慣わしがある。ご飯を炊く時にその分を前もって足す事を「サバを読む」というのを聞いたことがある。いつも心に太陽を! そして毎日に少しのサバを! 持っていたいと私は願うのです。