阿武秀子


2005年1月23日更新

第47話 プーケットの恋

 新しい年の過ごし方をどうするかなんて考えては、間に合わない大掃除にクラクラしている所に、スマトラ島沖地震によって立ち直れないほどの衝撃。プーケットに住む何人かの友人にも連絡はつかないし、また怖くて連絡できない人もいる。
 年が明けても、テレビから流れてくる悲惨な状況が繰り返し涙をつれて来ては、怖くて仕方なくて目を伏せてしまっている。やさしく微笑んでくれた人も、何度も通った店もあのホテルも、私をピカピカに照らしてくれた太陽と海と砂浜、みんなどこにいて、どこにあるんだろう…。
 まだ高校生だった友人で、妹分のさっちゃんと、タイの北部ばかりではなく「白い砂浜キラリ! 南の方の海も見てみたいな」なんて盛り上がって、ただの好奇心からタイのプーケットを訪れた。日本人がたくさんいるビーチよりも、ヨーロッパの人たちが好むような、カタビーチなどの静かなホテルに滞在する事が多かったので、マリンスポーツもやった事のなかった私は、ただ水着に着替え海を眺めたり、土産物屋をブラブラしたりしては、日焼け用オイルのココナッツの香りを楽しんでいた。チェンマイでは見たことのない商売もたくさんあって、同じ国でも海があるのとないのとではこんなに違うのかと興奮する。ちょっとカフェなどで暇をつぶしたりしているとビーチボーイのお誘いや、サイババの写真を持った人に簡単な手品を見せられて、貴方の幸せを祈りますから! いくらでも良いですから! と、寄付を強請られるのがリゾートのお約束と思っていたが、私と友人には「マッサージ? マニキュア? ヘアー? タトゥアート?」と擦り寄ってくるおばさん以外声はかからない。醍醐味を味わえない事に少し損した気分でいると、やっと声を掛けてきてくれた人にボブ・マーレーの写真の入ったチラシをもらう。その名もズバリ『レゲエバー』だった。毎日することもなく早寝早起きにストレスがたまってウズウズの頃だったので、少しはプーケットの夜も楽しもう!
 その日はその店で一杯やると決めたけれど、いくら私でも知らない町の夜遊びは勇気もいる。ホテルの日本人カウンターでその店についてリサーチしていると、たまたまそばにいたタクシー運転手さんが「連れて行ってあげるよ」と。これはメッケモン、夕食後に用意をして待ち合わせのロビーに降りると、三人の男の人が白い歯ニコニコ手を振っている。運転手さんと一緒にいたのは、彼の友人でタイ人ソミットさんとイタリア人のマウロさんだった。「さっちゃん! 大丈夫かねー?」と二人でハテナ顔ではあったものの、人数が多い方が楽しい! とかなんとかありったけの理由をつけて一緒に遊びに出かける。いつも運がいいから生きているものの、後々考えると誰とでもお友達になりすぎなのが私の長所であり短所…でも本当に運がいいんだ。インチキなボブさんというマスターの店でとてつもなく楽しい時を過ごし、一緒に行った三人とも仲良くなって、残りの滞在全てをも彼らと毎日過ごす事になり、また新しいラブロマンスのドラマの始まりだった。
 ソミットさんはツアーガイドで、イタリア語と英語、フランス語とスペイン語を話し、アラビア語とヘブライ語を勉強しているイスラム教徒だった。もうお解りの通り、BMWをこよなく愛するスマートな彼に私はどんどん恋に落ちてしまう。最終的には一年間のうち3、4ヶ月をプーケットで過ごすほどになっていた。日本に帰ればみんなが「ビーチボーイやガイドは貢いで遊ばれるだけだ」と口をそろえて言い、タイ人の友人は「怖い怖い」と泣く。それでも彼はお金持ちだったのでご馳走してもらうのはいつも私だったし、どんな時も紳士だったからと、周りの言葉は耳に入らないまま。思い出すとすごくダサイ話だけれど、その頃は毎日のように六本木のバーで、ホテルカルフォニアをリクエストして涙していた。やしの木の並ぶ海沿いにゴルチェの香水のかおり、BMWのラジオから流れるあの曲を思い出していたのだろう…。遠ければ遠いほど気持ちは大きくなり、いつのまにか国際電話も毎日になってKDDのお得意さんになっていった。