安曇野めぐ留

2005年6月2日更新

第52話 書くということ

 友人やファンの人達は、この『ダイヤ・ノ・ヒト』の連載を、いつも楽しみに読んでくれている。普段の生活やライブ等では、なかなか落ち着いて話をできる事も少ないから、「あの時は、こんな事考えていたんだね!」なんて言われる事も多い。"いつもは見えない私"を知ってもらえる大切な場所なんだと、『電脳くろにか』に声をかけてもらえた事に、また違う感謝の気持ちが生まれている。いろんな人が行き来するインターネットの世界なので、周囲の状況も考えては全て語りきれない事も正直たくさんある。いつか倉本聰先生の脚本の授業見学で、書いている作業よりも消去していく方が難しくて大切な事だと教えられた。日頃民謡のアレンジをしていると、コンピューターサウンドの中で大切な言葉や音が切り貼りされていく作業があるが、それと同じように何かいい方法はないのかと手を止めて考えてしまう。自分から出てきた言葉や私自身の人生のエピソードをキーボードを使ってポンッと消す……いつも身を切られるような思いがするのだ。また本当の事を書いているはずでも、いつかは嘘になる事もあるし、今日の気持ちが、明日には変わっている事もたくさんある。追求すればするほどわからなくなるのだから、"自分の事"って面白くて仕方ない。
 私がこうやって文章を書く事が好きになったのは、短い学生生活の中で出会った先生方のおかげでもある。中学生の時に何の気もなしに書いた夏休み感想文が、たまたま担任の先生に褒められて、読書感想文の学校代表ノミネートに名前が挙がった。コンクールの為に文章を増やさなければならなくなり、放課後居残りしては意欲的に書き進め、初めのうちは味わった事のない爽快な気持ちで、原稿用紙に鉛筆をスキップさせていた。ところがそんなにうまく事は運ばず、何事にも持続力と忍耐力のない私は、案の定! 締め切りに間に合わなくて、結局断念する事になってしまった。担任の先生はコンクール受賞者発表のあとも、「他の感想文よりずっと良かったのに、なんで書いてくれなかったんだよー!」と、毎日毎日顔を見るたびに小言を言ってきたが、私は不思議とそのシツコサが、期待されていたという喜びに変わって、とても嬉しかったのを覚えている。その後はそのご期待通り、弁論大会や読書感想文には力を入れて参加し、命や愛について熱弁しまくった。今よりもずっと真っ直ぐな気持ちで心を言葉に変え、家族への手紙や詩もずいぶんと書くようになった。口には出せない事を、書く事で発散し、万足していたのかもしれない。
 小学生の頃の作文を読むと、明らかに宿題の字数ノルマを達成する為だけに、埋められている言葉達。学校の帰り道に「一歩行ったら誰かさんと会って、三歩行くと手を振って、振り返ったら電信柱にぶつかった……」なんて延々と綴っている。目線を変えたらとても面白いもので感心する事もあるけれど、「本当に周囲のことに興味がなかったんだなぁ」と大笑いしまう。きっと傍にいる大人がどう褒めて持ち上げるかで、子供の可能性も計り知れないものなのだと思う。今、民謡をうたっている事だって、すごく小さな事がきっかけだったように、いつもひょんな事から大事は始まるのだ。