第53話 声という楽器
ライブやコンサートの大事な仕事の前になると途端に体調が悪くなるのが、うちの家族のお決まりのパターン。プレッシャーにかなり弱い家系なのだ。「どんな大物も、舞台のそでではぶるぶると震えるものだ」と慰められるし、緊張しない方がおかしいとも思うけれど、声が震えて気が遠くなるのもどうだろう……。この前の六本木モーフのライブも、直前に逆立ちしたりマッサージしたけれど、ライブって、ただ歌うだけじゃなくて、「お客さんが入るか?」とか、トークや歌詞は大丈夫かとか、いっぱいいっぱいになる。頼りにしていた六本木のホステス仲間もライブのスタート時間が遅くて、みんな同伴してもらったって無理な時間だったし、メールが入るたびに六本木という場所に対しての思いや邪念が膨らんでいったのも大きな原因だった。甘えた事を言えば、「早く何にも考えないで、音楽ができるようになりたい!」とは思うが、こんな事の積み重ねを得てこそ、うたにも人にも味や重みが出るのもわかっている。落ち着くように自分に言い聞かせてはみるもの、始まってもなかなか調子もとれないし、あせってしまっていいうたは響かない。少し気を抜くと聞き捨てならない、嫌なキンキン声が私の口から出る。まだまだ青二才! いくつになれば一人前と呼ばれるんだろう……。
よくアピアのマスターが「マイクは人の耳だ」と若者達に教えていたけれど、確かに声も楽器も同じで、聴く者の事を考えないで発してしまった音は、酔いしれたマスターベーションと甘えた騒音でしかないのかもしれない。ただそこには人の数だけ個性もカラーもあるので、嫌なら出てってもらって良しとする人にだけ聞いてもらえば良いのかもしれないし、それならお金を取らないで家の中でやれば良いんじゃないか? なんてとめどなく難しい話になる。 先日新宿のピットインへ高橋香織さんのセッションライブを観に行って、仙波清彦さんのドラムを始めてじっくり聴いた。自分のライブでもそうだけれど、会場やPAの問題、ドラマーの若さ? もあって、耳元でジャンジャン……「うたなんかうたってられない!」という時がある。本当に太鼓やドラムは生音が大きいからこそ怖い。ところが仙波さんのドラムは、何故なのか爆音の中でも主張しているのに、決して傷つけたりしない。またその正確な響きや間も、なんとも言いようがないくらい素晴らしかった。もちろん名人の技術のスゴサなのだけれど、それはやさしさなのか? 基礎の問題なのか? 法則は未だに見出せないでいる。ある太鼓の達人が若い頃、お菓子の缶に和紙だか半紙を張り、もちろんバチを使って太鼓の稽古をしていたという話を父から聞いたのを思い出した。鳴らない音を学んでいたのだろうか……。息を呑むような時間と集中力が必要だったに違いない。 私もここ最近はたいへん! 勉強熱心になり、津軽ものの名人の唄を家でよく聴いている。そこにいる先人達の声にも同じようにわずらわしいキンキンはちっとも出てこない。その響きのコツは私の一生をかけても取得できるものではないかもしれないが、「ひょっとしたら?」と爪の垢くらいの力を空に乞うのであった。 |