ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2003年9月18日更新

第6話 生命の在りよう

 夏の暑い日、コンクリートから水分が蒸発する匂いや、深夜人気のないオレンジ街灯の下を歩くと、なんとも言えないせつなさを感じる事がある。川崎という町に生まれ育ち、ここに暮らす私には、故郷に錦を飾るまで、歯を食いしばってがんばるなんて思った事は一度もなかった。
 ただ、幾度となく通っているチェンマイに対しては、異境の地を想い涙しては懐かしむ事が度々ある。
 急性血小板減少という難病を、何年も抱えている友人がいる。原因も治療法もわからない病気を初めて知らされた時は、彼女の生と死の戦いの現実を認める事も、身近な人の死を想像する事もできなかった。形式的に見舞う事すらできずに、ただあたふたする毎日。そして彼女も、諦めのような静けさの中で、本来あるべき闘病生活とは、違う方向にたたずんでいた。トラ年の鼻っぱしの気の強さほど、あてにならないものはない。渋谷アピアのママが、病気回復のいいきっかけになるようにと、タイで開かれる『いのちの祭り』に旅費の協力までも約束し誘ってくれた。1997年一月、ろくに食べた事もないタイ料理と暑い事以外、タイ王国について何も知らない私達だった。
 祭りはタイでも有名なマンモス校である、チェンマイ大学構内の大きな広場で行われ、チケット売上はタイビジネスの中心にいる、象さんを守るための寄付にあてる事を目的としていた。日本からも、遠藤ミチロウさんをはじめとするたくさんのミュ−ジシャンや観客が、趣旨に賛同し参加した。ロックやフォーク、人種や国境を超えたステージは、夜が明けるまで続いた。浴衣で参加した私は、次回はここで、日本民謡を絶対聞きたいと思った。
 私の友人の免疫力は人より何倍も少なく、ちょっとした風邪が大事に至ることがある。暑いタイでも、一月の夜は冷えると言うのに、彼女は洒落っ気づいた薄手のジャケットで出かけ、言わんこっちゃないと風邪をひいた。小学生の時から、一番のよき理解者としてケンカもした事がなかったが、その夜はさすがに口もきけないほど怒って、熱にうなされる彼女の枕もとまで出て行き、母親の小言のよう説教した。自己チュウに生きてきた私が、こんなに人を心配したのも初めてだった。彼女の病気の重さを目にして、命の尊さを改めて考えさせられた。私達は、中学の弁論大会で互いにクラス代表になり、体育館で共に熱弁した。あの頃の言葉は、今よりずっと、まっすぐ純粋に命について語り訴えていた。大人になると、どうしてこんなに曖昧になってしまうのか。死ぬかもしれないという人間に、好きなタバコや酒をやめろというべきか、いまだにわからない。また、人生をどう生きるかもその人の自由だと思っている。
 ただ、大事な人を悲しみから守るためにも、自分を大切にしたい。どんな時でも、誰かのために強く生きられる人でありたいと思った。