第7話 貧しさから生まれる芸
新宿歌舞伎町のようなバンコクから、飛行機で一時間ほどのチェンマイは、どこかのんびりした時間が流れている。モクモク煙を吐く車のクラクション、オンボロ建物や人々の服装から、何十年か前の日本を見ているようだと言う人もいる。少し町を歩けば、この国の貧富の差を垣間見るだろう。高級な金のショップの前に座り、カップの中の小銭をジャラジャラならせては、お恵みを要求する。私は中学の時に読んだ"母は枯葉剤を浴びた"に出てくる子供達と勘違いし、何度かお金を入れた。生活の厳しさから、親に手足を切られた人や深夜のバーで花を売る子供達に、いくらかわいそうだと同情しても、彼らを取り仕切る集団の目論見に、ひっかっただけにすぎない。ちょっとやそっとじゃどうにもならない現実は、いたる所にゴロゴロしている。
メイピン川のほとりにある、ブラッセリ−というライブハウスへよく出かけた。タイのジミヘンと呼ばれるギターリスト、トゥックの店で、ジミヘンやクラプトンをはじめとする、ロックのカバー曲を演奏していたが、日本でもよくある慣れきってしまった店のハコバンと違って、タイの気温より熱いものがそこにはあった。これでもかと捨て身で弾くギターは、「金くれー、金くれー」と聞こえる、津軽三味線のかきまわしという奏法によく似ていた。そして、サウンドの迫力とは反対に、彼の身を粉にして奏でるものが、何故か私にはとても悲しく映った。強い意思を持つ瞳とせつないメロディーは、背中合わせに彼の孤独を作り出しているようだった。「リッチな国のお嬢さん、貴方の涙はどこから来るの?僕よりずっと悲しい?」そんな言葉で語りかけられたように、ギター音は胸を突き抜けてゆく。オーディションも不合格ばかりで、何処でなにをすれば夢に近づくのかもわからず、過ぎていく毎日にただ苛立っていた私は、本当に幸せな人間だ。 ハングリーな生活から生まれる芸は、負けを知らない。そして、負けを認めたくないから戦う。貧しい家計を支え、小さな頃から民謡酒場で唄っていた私の父も、こうやって芸を鍛え、身に付けてきたのだから敵う訳がないんだ。いつだったか、父が甘えた事を言う私に、「何が気に入らないんだ」と怒鳴った事がある。私は「パパの苦労もわからない。でも、パパだって伊藤多喜雄の子供と生まれた私の気持ちはわからない」と言い返した。あの時なにも言い返さなかった父から、私はそろそろ独り立ちしなきゃいけない。 難病を抱えた友人の病気も、いまだに決着がついた訳ではないが、お医者さんも驚くほど、この旅以降は不思議と回復に向かった。今では、タイ語の読み書きもできるようになり、この次の年には、メーホーソンという山奥のゲストハウスでタイ人と共に何ヶ月も働いてた。よく音楽や夢が希望となって、訳のわからない病魔に勝つ事があると聞く。確かに、彼女の細胞は、爆音ギターと微笑みの国タイランドで、新しく生まれ変わろうと活性化を始めていった。 |