ダイヤ・ノ・ヒト
     歌と、芝居と、わたし。

安曇野めぐ留

2003年10月2日更新

第8話 異国にて

 独身の同級生達も29歳にもなれば、会社ではフルカブのお局様と呼ばれている。
 実家から出たわけでもなく、事情がない限りは親にもお金を入れていない。給料のほとんどが飲み会や買い物に消え、将来の為の貯蓄をしている優秀な人もほとんどいない。
 自立とは何なのかもわからない、お気楽な仲間ばかり。うちの両親も、会社勤めや大学進学を無理やりすすめる事もなかったので、6歳年下の弟と私は、好きな勉強だけの毎日、まさにパラサイトパラダイスの代表だ。23歳になるまで親の会社以外で働く事もなく、いのちの祭りから戻り、再びタイへ旅立つ為のバイトで、初めて他人の懐からお金を頂く事を知ったのだった。
 たった一ヶ月間で用意した間に合わせのお金と、頼りにならない語学力。友人さえ居ない町での四ヶ月は不安だらけだったが、霊的なものに誘われるかのように、どうしても今じゃなきゃいけないと出発したのだ。猫の習性を考えると本当にかわいそうだったが、誰も面倒をみれない愛猫ペルシャのギャーコ君を丸刈りにし、チェンマイの安いゲストハウスで一緒に暮らした。食事は近くの日本レストランですませ、そこに立ち寄る日本人とどうでもいい話しで、ご隠居さんのように、毎日暇をつぶした。忙しい日本での生活にうんざりしたり、大仕事を終えて晩年はこちらでゆっくりしたいというリタイヤ組みもたくさんいた。確かに、物や情報があふれてごちゃごちゃしているより、物価も安くちょっと不便なくらいの場所で、優雅にのんびりする方が幸せなのかもしれないと感じた。
 最近、海外での"旅の恥は・・・邦人"の姿がよく報道されているが、本当にそんなとんでもないツアーを組んで、小さな女の子を連れて歩く企業のおじさん達や、「葉っぱはありませんか?」と歩き回る大学生、プーケットやパタヤの若いビーチボーイに貢ぐ女性達にもたくさん出会った。寂しいストレス社会が作った文化なのか、それとも昔からある日本の美徳は、抑制された時代の教訓だったのか、海外で知ったリトルジャパンに、私は強烈なショックを受けた。
 ヘンな日本人に思われないためにも、せっかくの時間は有効に使おうと、午前中は名門アートスクールでタイ舞踊を習い始めた。
 踊りを修得した後に国内外での活動が可能なほどタイでも有名なこの学校には、中学生くらいまでの裕福な家庭の子供達が通っている。英才教育みたいなもので高い学費に親も必死だが、ショーを見たお金持ちに見初められるケースもあり、玉の輿にのる絶好の仕事でもある。
 幼少時代から民舞や日舞を習っていたので自信はあったもの、いざ始めると体はガチガチ、タイ人同様に柔らかくしなければ形にならない。外国人が柔道や空手、書道や茶道を学ぶように、その国の人々の考え方を理解し、同じ物を食べ、そこに暮らして生活習慣を知らなければならない。また、形式や作法だけをまねしても、心得などは簡単に身につかないから、異国文化の習得は容易ではない。ただ一つ、重心の取り方だけは日本の舞踊と似ていて、腰を低く下半身を安定させ、音を立てず静かに移動するあたりは、共通の耐える文化を象徴している気がした。
 暑苦しい気温の中で、伝承されてきた本当に退屈な音楽や踊りは、サウナで組み体操するように忍耐力をも必要とした。