江戸の風俗八百八店FILE1

永井義男

第1話 根津(その一)

 東京都文京区の根津神社(根津権現)は現在、ツツジの名所として有名であるが、江戸時代には門前や境内に女郎屋、小料理屋、茶屋などが軒を並べ、歓楽街としてにぎわっていた。江戸の代表的な岡場所、いわゆる私娼窟でもあった。大工など職人の客が多いことでも知られ、江戸期には根津の岡場所と職人は密接な連想になっていた。天保の改革でいったん女郎屋はすべて取り払われたが、その後、慶応四年(明治元年)に復活した。明治に入ってからは根津遊廓としてますますにぎわったが、近くに東京帝国大学ができたことから風紀が問題となり、明治二十一年、女郎屋はすべて洲崎へ移転した。

 天明二年(一七八二)の春。どこやらから、三味線の音色と潮来節が聞こえてくる。
 つれだって道を歩いている男たちの顔は、ほんのり赤らんでいた。大工の幸八と源兵衛、それに材木屋の番頭の喜七である。
 三人とも、普請を請け負っている建物の棟上の帰りだった。振舞い酒で、すでに一杯機嫌である。
 幸八が夕陽をながめて、
「どうでぇ、根津としゃれようじゃァねえか。番頭、気はねえか」
 喜七は小腰をかがめ、
「あたしはまいってもようござりますが、店のほうが…」
 源兵衛が横から、
「まあ、いいやな。付き合いなよ」
 幸八が、棟上でもらった祝儀のことまで持ち出した。
「俺はきょう二分もらった。源公は南鐐二片というところか。ぬしも一分はもらったろうよ」
 大工でも兄貴分の自分は金二分、弟分の源兵衛は南鐐二朱銀ふたつで金一分、材木屋番頭の喜七は少なくとも金一分と踏んだ、ということだった。
 喜七もそこまで言われると、もう断われない。
「では、あたしはできるだけ早く帰るということで」
 源兵衛がからかい、
「そう言いながら、いちばんおそかったりしてな」
 三人の足は根津に向かう。
 幸八は饒舌である。歩きながら、ひとりでひっきりなしにしゃべっていた。
根津宮永町に入ると、茶屋が軒を並べている。
 さっそく、茶屋女が声をかけてきた。
「もし、もし、もし」
 幸八が豪気に、
「茶屋づきで行くべいなァ」
「もちろんさ」
 源兵衛も豪気である。
 岡場所の女郎屋は直接登楼することもできるが、いったん茶屋にあがり、そこの案内で登楼することもできた。茶屋の案内があれば、上客としての待遇を受けられる。
 喜七は心配そうに、
「あたしは、このあたりは不勝手でして。材木の買出しのついでに、深川の裾継あたりで、ちょこちょこというのがせいぜいでして。なんせ籠の鳥という身の上ですから、なかなか思うにまかせませんで」
 商家に住み込みの身という不自由さを訴えながら、茶屋にあがるというぜいたくに不安を示した。
 幸八はそんなことにはおかまいなく、
「ここのうちにしべい」
 と、さっさと茶屋をきめた。
 紺の暖簾には「遠州屋」と白く染め抜かれている。
 茶屋の奉公人がいっせいに声をあげた。
「はい、さあ、おあがりなさりやし」
「さあ、あなた、おあがりなりやし」
 三人は二階座敷にあがる。
 女中がさっそく、
「よう、おいでなんした」
 と言いながら、茶と杯を持参した。
 茶屋の女将も銚子と、肴を盛った硯蓋を出す。
「どなたも、おおかたお馴染みでもござりやしょう」
 源兵衛がとぼけて、
「いんえ、馴染みもなんにもなしさ」
 喜七は依然として落ち着きがない。
「あたしらは、ほんにここへは生まれて初めて」
 幸八が、源兵衛と女将を交互に見ながら、
「この野郎はふてえやつだ。かかさん、こいつは田倉屋に馴染みがいるのよ」
「それなら、田倉屋になさいますか。とりあえず、ゆるりと御酒をおあがりなんし」
 そのとき、外出していた茶屋の息子が戻ってきた。息子も二階座敷にきて、三人にあいさつをする。
 幸八がさも酒にうるさいことを見せつけ、
「おい、息子、もっといい酒はねえか。なんだか、砂糖水を呑むようだぜ」
「では、ぴんとしたのがようござりましょう。剣菱を取り寄せましょう。一升でよろしいですか」
「女郎も呑むだろうしの。二、三升も田倉屋へ届けさせねえな」
 そのとき、喜七が、
「かみさん、ちょっと」
 と声をかけ、財布から南鐐を四つ取り出し、女将に渡した。商人だけに、気配りは細かい。
 いっぽう、気っ風を売り物にしている大工としては面子丸つぶれである。幸八と源兵衛は口々に言った。
「ぬしに銭を使わせちゃあ悪い」
「かかさん、それはぬしの所へ返しておくれ」
 喜七は如才なく、
「あとで、どうにでもなることですよ。きょう限りで付き合わぬ人でもなし。まあ、まあ」
 どうにかその場をおさめた。
 すでに外は暗くなっている。
 三人は、「そんなら、ゆるりとお遊びなんし」という声に送られ、息子の案内で田倉屋へ向かった。
 息子が提灯で三人の足元を照らしながら、
「わたくしの内へも、神田あたりの方がお見えになりますが、みな荒っぽいようでいて、気がきれいで、とんと底には下卑がないという方ばかりで」
 とっくに、幸八と源兵衛の稼業を見抜いていた。
 源兵衛が大げさに胸を張った。
「そんなら、わしらが人柄でもよく見えやすか」
「もちろんでございます。ですから、さように申すので」
 幸八は上機嫌で、
「息子め、たしなませるやつさ」
 喜七と息子は顔を見合わせて笑った。
 根津権現の総門をくぐると、境内の両側には女郎屋が建ち並んでいる。
 田倉屋の若い衆が出迎えつつ、
「それ、お客、お三人一座、お見立てでござります」
 と、陰見世の女郎たちに向かって声を張りあげた。
 岡場所では、女郎は陰見世と呼ばれる場所に並んで座っている。客はそこで見立て、つまり女郎を見て選ぶのである。
 それまで膝をくずしてしゃべっていた女郎たちも、それぞれ行灯の明かりに顔が映えるよう座り直した。


第1話 根津(その二)

 茶屋の息子が源兵衛に言った。
「あなたのお馴染みは、どなたでござります」
「なぁに、知らぬ顔で見立て直しをしよう」
「あとで知れては、悪うございます」
 源兵衛は照れ臭そうに、
「そんなら、お民とか言ったっけ」
 息子が田倉屋の若い衆に声をかけた。
「お民さんはお馴染みだよ」
 若い衆が答えて、
「アイ。そして、おふたりは、どうなされます」
 息子が幸八と喜七に尋ねた。
「どういたしましょう」
 幸八は陰見世に並んだ女郎をながめながら、
「あの、煙管を回している、いまあちらを向いた」
「あの子は、お須磨さんと申します」
「それにしよう、それにしよう。これ、喜印、ぬしは」
 喜七はうつむきながら、
「あたしは、誰でも」
 幸八があたりをはばからぬ声で、
「えっ、どれも気に入らぬのか」
「いえ、そんなわけでは。それなら、鼠色の仕掛けを着ている子は」
 息子は了解して、
「なるほど、お縫さんと申します」
 そして、陰見世に向かって、
「お縫さん、お須磨さん、お民さん、お三人」
 と、指名を告げた。
 指名された女郎は立ちあがり、いったん奥に姿を消す。
 三人と息子は階段をのぼり、二階座敷に向かった。座敷に座るなり、幸八があちこちながめては、知ったかぶりの能書きを言い始めた。
 小職の娘が、煙草盆とぬるい茶を持参した。
「アイ、お茶あがりなんし」
 続いて、若い衆が銚子、杯、硯蓋を運んできて、
「よう、おいでなさりました。サア、どなたもお入りなされませ」
 と、女郎をうながす。
 お須磨、お民、お縫の三人が座敷に入ってきた。
 お民は馴染みと言われても源兵衛のことを覚えていないため、ちょっとバツが悪そうな顔をしていた。お須磨も、なんとなく気もそぞろな様子だった。
 若い衆がそれぞれに酒の酌をするが、お須磨は飲む真似をしてすぐに杯をつぎに回すし、お民は煙草盆の灰吹きに酒を捨てていた。
 いっぽう、お縫と喜七はそっと見つめ合っている。
 小職が煮魚を入れた鉢を持参した。
 幸八はひと目見るなり、
「なんだ、この魚ァ、おととい煮たのじゃァねえか」
「よう、ぬしやぁ、ひとりでしゃべりなんす。口から先に生まれたそうだ」
 お須磨が露骨にいやみを言った。
 若い衆は息子にその場をまかせ、
「では、遠州屋さん、お頼み申します。どなたも、ごゆるりと」
 と、あいさつして、早々に下へおりていった。
 廊下から、別な女郎が呼んだ。
「もし、お須磨さん、ちょっと」
 幸八がさっそく聞きとがめ、
「客でも来たというやつか」
「もちろんサ」
 お須磨は平然と言い返して、座敷を立って出ていった。
「なんでぇ」
 幸八の機嫌が悪くなった。
 じつは、お須磨は金づるにしている客に手紙を出し、今夜ぜひ来るように訴えていたのだ。親が病気などという理由で泣き落とし、少なくとも金二分、うまくいけば一両ほどを貢がせるつもりだった。気もそぞろなわけだった。
 お須磨は別な座敷で金づるの顔を見るや、しなだれかかり、
「初会のくせに、いけ図々しい客でね」
 と、幸八のことをこきおろし、つらい務めの身を嘆いた。
 いっぽう、幸八のほうもお須磨がいなくなったのでおもしろくない。若い衆を呼びつけ、大声で悪口雑言を吐き散らした。
 若い衆はたまらず、お須磨のところにきて、
「まず、ちょっと、ちょっと」
 と、拝む。
 お須磨も若い衆の顔を立て、ようやく幸八のいる座敷に戻った。
 幸八はお須磨を見るなり、巻き舌でまくし立てる。
「てめえ、俺をコケにしやがって」
 お須磨も負けずに言い返す。
「やかましいこと言いなんすな」
 若い衆は他の客の手前もあることから、
「まずまず、あちらへちっとおいでなさりませ」
 と、幸八をなだめて奥座敷に導く。
 喜七はチョンノマで帰るつもりだっただけに、
「とうとう、泊らねェけりやァならぬようになった」
 と、ため息をついた。
 茶屋の息子はみなが奥座敷に落ち着いたのを見届け、
「わたくしは、おいとま申します。あすは、何時に参じましょう」
 幸八がうそぶいた。
「七ツでも八ツでも、勝手にきさっせェ」
 源兵衛が横から、
「ハテ、馬鹿なことを言うもんだ。その時分に帰ってどうするもんだ。夜が白々と明けるころに頼むぜ」
「ハイ。では、お須磨さん、お民さん、お縫さん、どなたもおいとま申します」
 と、息子は女郎にもあいさつをして引きあげていった。
 幸八は相変わらず仏頂面をしているし、お須磨の顔も険しい。
 源兵衛が幸八に苦言を呈して、
「そんな面をすることはねェわえ」
「こりやァ、俺が生まれつきだ。いまさら直されるものか」
 喜七がお須磨を気づかい、
「モシ、お須磨さん、機嫌をよくしておくれ」
 そこを、お縫が喜七の袖を取って、
「さあ、もう、行きましょう」
 源兵衛が冷やかす。
「つれて行きたがるもんだの」
 お民も源兵衛の袖を取り、
「おまえさんもだよ」
 喜七とお縫、源兵衛とお民の四人は「さあ、さあ、行こう」と奥座敷を出ていく。あとに幸八とお須磨が取り残された。


第1話 根津(その三)

 幸八は布団の上でわざと筋交いに寝て、そら鼾をかいていた。
 お須磨はややうんざりしながらも、
「ちゃんと寝なんし」
 と言い、上から夜着をかけてやった。
 幸八は目をあけ、腹ばいになった。
「寝べえ、寝べえ。あすが大儀だ。したが、この分じゃあ、寝られねえ。酒でも飲んで」
 これ見よがしに、枕もとに置かれた茶碗に冷酒をつぎ、手酌で飲んだ。
「もう、いい加減になさりやせ。意地の悪い寝様をしてサ」
 お須磨が夜着にもぐりこんできた。
 幸八もようやく機嫌を直し、
「どう寝ればいい」
「こうサ。ね、早く」
 お須磨は幸八の耳元でせつなげにささやきつつ、下腹部に手をのばした。まるで、かねてから待ちかねていたかのような性急さだった。
 幸八はもとより、その気じゅうぶんである。さっそく上からのしかかった。お須磨がすかさずあえぎ声をあげた。もちろん女郎の演技である。
 あっと言う間に終わり、幸八はそのまま他愛なく寝入ってしまった。
 お須磨は相手が鼾をかき出したのをみすまし、そっと寝床を抜け出すと、金づるの客を待たせている別な座敷に向かった。金を出すことを承知させるためにも、濃厚な性技をたっぷり堪能させ、骨抜きにしてしまうつもりだった。
 いっぽう、廊下座敷と呼ばれる廊下に面した座敷では、源兵衛お民、喜七お縫の二組は割床だった。ひと部屋のなかを、屏風で仕切っただけである。
 源兵衛も馴染みのあつかいを受けられなかっただけに、ちょっと拗ねている。わざと、背中を向けて寝ていた。
 お民が気を引いて、
「もし、こっちらを向いて寝てくんなんし」
「どうでもよさそうなもの。おめえ、見忘れたろう」
 と言いながらも、源兵衛が寝返る。
「これから思い出すのサ。こっちへ寄りなんしえ」
「帯を解きねえな」
「わっちやァ、これが勝手さ」
「こりやァ、粗相申しやした。きつい愛想づかしサ」
「まあ、待ちなんし」
 お民は源兵衛を適当にあしらいながら、けっきょくそのまま寝入ってしまった。
 屏風を隔てただけで、喜七とお縫の床である。
 お縫は小声で、
「痩せてからまる朝顔の、いとしかわいと絡みつく
 と唄いながら、夜着にもぐりこんできた。
「ちっと入れておくんなんし」
「サア、お入りなさりませ」
「ごてえねェだの。おや、帯を締めて寝ていなんす。なぜそのように堅くしなんす」
「こうしていつも寝るものだから」
「うそをつきなんし」
 お縫が喜七の帯を解いた。
 そのとき、外でカラスの鳴き声がした。
 喜七が驚き、
「カラスが鳴くじゃあねえか。サア、とんだこった」
「ここでカラスの鳴くたび起きていちゃあ、寝る間はごぜえせん」
「なぜェ」
「森がたくさんあるから、寝泊っていやす。月夜烏でごぜえす」
「おお、それで気が落ち着いた」
「もし月夜烏でないといっても、帰すものか」
「それでも、帰らないわけにはいかない」
「わっちがこうして帰さないよ」
 お縫が喜七の上になった。大胆にも、本茶臼である。
 喜七もいったんは驚いたが、下から相手の尻や腰をなでながら、
「じゃあ、帰らないよ」
 床がぎしぎしときしみ始めた。
 終わったあと、しばらくして、今度は喜七が上になって二度目が始まった。今度もお縫は大胆に、下から足を喜七の腰に絡ませてきた。揚羽本手である。
 同室に寝ている源兵衛にしてみれば、そばではお民が鼾をかき、屏風を隔てて喜七とお縫の様子が手にとるように聞こえる。
 源兵衛もたまらず、いやみを言った。
「コレ、喜印、豪勢に契るものだの」
 お縫が恥ずかしそうに、
「ほんに、おやかましうごぜえしょう。お民さんはどうしたェ」
「どうしたか知らねえが、寝たが最後、揺すってもどうしても、起きるもんじゃあねえ」
「その子は、どうかするとそのように寝やすが、悪気はありやせん」
 源兵衛は腹立たしげに、
「これで根性が悪かったら、たまるものか」
 喜七が照れ臭げに声をかけた。
「もし、源兵衛さん、もう、いい時分でござりましょう」
 源兵衛は、酒でも飲まなければ腹の虫が治まらない。
「いまから、酒の燗はできやすめえ」
「わっちが燗をしてきてあげましょ」
 お縫が気軽に立ちあがった。源兵衛のためというより、喜七の立場を考えてのことだった。
 お縫は階下におりると、寝ずの番をしている若い衆に頼んで火鉢で酒の燗をしてもらい、二階に持参した。ついでに、
「これさ、これさ、ちっと目を覚ましな。おめえのお客はの、さっきから起きて話をしていなさるヨ」
 と、お民に声を掛けながら、喜七のもとに戻った。
 お民はムニャムニャつぶやいていたが、ようやく目を覚ました。だが、まだ状況がよく理解できていない。源兵衛の顔を見て、
「おや、もう帰りなんすか」
 そのとき、すでに身支度をすませた幸八が障子を開けて、
「サア、行くべえ、行くべえ。もう夜が明けるわ」
 源兵衛がけげんそうに、
「ぬしの女郎衆は」
「駆け落ちでもしたそうで、いねェ」
 幸八は吐き捨てるように言ったが、屏風の内側でまだ喜七とお縫が抱きあっているのを見て、
「番頭、番頭、いい加減にしろェ。豪勢に契りのめすの」
 源兵衛がいまいましそうに、
「一晩中、ぎちぎち床がきしんでいたぜ」
 喜七もあわてて起きあがる。
「サア、離しねえ。もう帰る」
 お縫は名残り惜しそうに、
「まだ夜は明けねェよ」
「おめえ、俺の帯は」
「知らねェよ」
「拝む、拝む」
 喜七が手を合わせて、帯を出してくれるように頼んだ。
 お縫は隠していた帯を出しながら、
「そんなら、あさっての晩、来なんすか」
「きっと、きっと」
「うそをつくときかねェよ」
「本当だと言うに」
 そのとき、「ハイ、お迎えでございます」と、茶屋の息子が現われた。
 息子は幸八がすでに身支度を整えているのを見て、
「これは、お早いお支度でございます」
「火事の用心をして、宵のうちから支度しているのさ」
 喜七とお縫はまだ屏風の内側から出てこない。
 幸八と源兵衛はたまりかね、
「サア、出てこねえか。出てこねえと、引きずり出すぜ」
 喜七がようやく出てきて、
「アイアイ、ああ、眠い、眠い」
 息子が三人に言った。
「蕎麦切豆腐を用意しております。ひとつ召し上がってから、お帰りなされませ」
 そのとき、ようやくお須磨が姿を見せた。
「おや、お帰りなんすかえ」
 幸八がにらみつけて、
「豪勢にほっつき歩くものだの」
 お須磨はけろりとして言った。
「よく寝ていなすったから、ちょっと用事に行ったのサ」
 源兵衛が幸八をせかした。
「さあ、さあ」
 三人は階段をおりる。
 お須磨、お民、お縫は土間まで見送りに出て、
「さようなら。お近いうちに」
 幸八が憎まれ口を叩いた。
「再来年、来やしょう」
 お縫はいとおしそうに喜七の背中をなで、
「もし、本当にえ」
 源兵衛がやっかみ半分に冷やかす。
「いいな、いいな。この番頭も、とうとうここへ足をつけたぜ」
 外に出ると、もう東の空が白み始めている。
 根津権現の境内に茂る木々で、カラスがカアカアと鳴いた。
                      (終わり)
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