第10話 吉原U
現代、性風俗産業に従事する女性は自分の意思で就業を選択している。また、法律で十八歳未満の就業も禁止されている。だが、江戸時代の女郎は建前こそ女中奉公などとなっていたが、実際は売春婦であり、また事実上の人身売買だった。女が女郎屋に売られていく背景には貧困があった。親が直接女郎屋に売る場合もあれば、女衒が売買の仲立ちをする場合もある。女衒は農村地帯をまわって貧しい農家から娘を買い取り、吉原の女郎屋などに売りつけたのだ。悪党が女を誘拐し、あるいはだまして女郎屋に売り飛ばすという例も少なくなかった。女郎屋では幼い女の子を買い入れた場合、禿として雑用にあたらせながら各種教育をほどこした上で、時期を見て客を取らせた。
寛政十年(一七九八)ころの吉原である。 夏の夜、宮脇屋という小見世の座敷。 客の信之助は二十五、六歳、女郎の須磨衣は二十一、二歳だった。初会ではなく、六度目である。 信之助は吉原にほど近い、浅草あたりの商家の息子だが、家業には身が入らずぶらぶら遊び暮らしている。その知ったかぶりの半可通が女郎たちから敬遠されているのだが、もちろん本人はそんなことは露知らない。 きょうも、信之助はペラペラとしゃべっていた。 須磨衣は相手の際限のない饒舌にうんざりして、 「よう無駄を言いなんす。口の端をつねりいすにえ」 と、少し黙るように求めた。 信之助はいっこうにこたえた様子はない。ニヤニヤしながら、 「てめえ、いくつだ」 「当ててみなんし」 「まず、てめえ、いくつのときに売られて、判は誰がした」 「十三で売られて、親判さ」 親判とは、女衒をあいだに立てずに、親が直接証文に判を押して娘を女郎屋に売り渡すことである。 信之助は指を折りながら、 「十三で売られて親判なら、子買いだな。十三、十四、十五、十六、この四年は客を取らないからな」 と、したり顔で言った。 幼少のころに女郎屋に売られた女は、禿として働きながら女郎としてのしつけを受ける。そして、十六歳くらいから客を取るのが普通である。 「ホンニ、ぬしは、なんでもよう知っていなんす」 須磨衣が精一杯、皮肉っぽく言った。 しかし、信之助は皮肉とは受け取らず、物知りをほめられたと思っていた。有頂天になり、ますます調子に乗った。 「おらぁ、浅草生まれの浅草育ち。根生の江戸っ子だからな。子供のころから大門をくぐり、日本堤で駆けっこしていたのさ。この里のことはなんでも知っていらぁ。きのう、きょう、ぽっと江戸に出てきたようなお兄ぃさんとは、お兄ぃさんのできが違うんでぇ。てめえ、ちょいと、あっちを向いてみや」 「わっちやァ、いや」 須磨衣はツンとして、身動きしない。 信之助はわざわざ自分で須磨衣の背後にまわり、いやがる相手の後頭部を観察したあと、得意げに言った。 「痩地にして髪薄く、耳のわきに枕だこのあるところから見て、女郎になって六、七年。まあ、二十三歳というところか」 「知りいせん」 さすがにいやな顔をして、簪で頭をかいた。 須磨衣は江戸近郊の貧農の家に生まれた。十三の歳に吉原の女郎屋に売られ、以来、禿、女郎として、吉原という限られた区画のなかで暮らしてきた。吉原のなか以外、江戸はどこも知らない。信之助の能天気な江戸っ子自慢には、神経を逆撫でされるような不快感を覚えていたのだ。 そのとき、信之助がさきほど頼んだ茶を、ようやく禿の春野が持参した。十二歳そこそこであろう。 「あい、お茶ァおあんなんし」 信之助が気軽に話しかけた。 「眠そうな顔だの」 「つい、居眠りをしておりいした」 「おっつけ見世へ出ようが、そのように眠がっていちゃあ、客衆がいやがるぜぇ」 「知ったことか」 春野がつっけんどんに言い返した。女郎たちが陰でおこなう客の品評を聞きかじって、信之助を小馬鹿にしていたのだ。幼いだけに、反応も露骨である。 須磨衣が笑いをこらえ、大まじめな顔で言った。 「ホンニ、おめえは、こちらの信さんに水揚をお頼み申しや」 水揚とは女郎が初めて客を取ることだが、禿から育てられた女郎の場合、性の初体験でもある。そういうときの水揚は、楼主が、処女のあつかいに慣れた客に依頼することが多い。依頼された客にとっては名誉なことではあるが、高額な祝儀を女郎屋の一同に包まねばならない。金があり、さんざん女遊びをした通人だけの特権だった。 須磨衣は春野がいやがるのを承知で、信之助に水揚をしてもらえと勧めたのだ。 また、春野もすでに水揚の意味はわかっていた。 顔を思い切りしかめて、 「拝みいす。須磨衣さんまで同じように、なぶんなんす。憎いぞ」 と言いながら、逃げるようにその場を去った。 信之助は自分が敬遠されていることには気づかず、ひとり面白がってニヤニヤしている。 茶を一口飲んだあと、須磨衣の髪飾りを見て言った。 「その笄を二、三本貸してくれよ。このところ、お袋の小言がうるさくってな。ちょいとばかり内へ金を入れねえけりやぁならねえ。笄を曲げて金を作るはな。笄が無理なら、一両二分ばかり工面してくんな。そうすれば、てめえの心意気もすっぱりとわかるというもの」 笄を曲げるとは、笄を質入れするということである。 須磨衣は相手の臆面のない図々しさにあきれ、返事もしない。 「これ、なぜ黙っている。不承知か。これまでさんざん俺に金を使わせておいて、てめえもよっぽど虫のいいものだ。少しくらいは、どうにか算段のできそうなものだ」 「おまえさん、女郎に無心をするとは、イロにでもなったつもりかい」 須磨衣もたまりかね、言い返した。 信之助もまくし立てる。 「おう、乙な啖呵を切りやがったな。ハテ、一両二分の金ができねえならできねえで、利いた風を言わずと、『あたしは生まれつきの田舎者で、鈍で、甲斐性がなく、三文の工面もできかねます』と、ありのままに言うがいい。てめえが浅草の奥山で薬を売るような口上を述べようたって、そうは問屋がおろすもんか。てめえのような野暮な田舎者は、箱根のお関所がお情けで通したからお江戸に出てこれたのだ。俺なればこそ、辛抱して五、六たびも来てやった。これが最後と思え。あとで泣いてもわめいても、俺はもう知らねえからな」 立て板に水を流す勢いで罵倒し続ける。 「これからぬしのような客人が来さっしゃらねえと、ほんに悲しいことだぞ。泣きてえけれど、なぜか涙が出えせん。手水にでも行って泣いてみよう」 須磨衣は言い捨てると、さっさと座敷を出て行き、二度と戻ってこなかった。 信之助も怒り心頭に発していたが、しかたなく腹立ちを抑えて寝床に着いた。 なかなか寝付かれなかったが、ようやくトロトロと眠ったかと思うと、ふと目がさめた。 窓の外を見ると、白壁土蔵に月の光が映えている。 信之助はそれを夜明けと勘違いし、 「いけねぇ。またお袋の小言だ」 あわてて階下におりるや、若い衆に命じて表戸をあけさせた。 外に出た途端、信之助に向かって犬がワンワンと吠えた。 (終わり) 第11話(その一)へ |