第11話 こんにゃく島(その一)
こんにゃく島は俗称で、明和二年(一七六五)から翌年にかけて、埋め立て造成された場所である。地盤が蒟蒻のようにゆるいというのが、名称の由来であろう。霊岸島と呼ばれる地域の一部をなしていた。現在の、東京都中央区新川のあたりである。こんにゃく島には女郎屋だけでなく、引手茶屋もあった。江戸の中心部に近いこともあって、わりあい高級な岡場所だった。
安永四年(一七七五)ころの、こんにゃく島である。 商家に住み込みで下男奉公をしている久兵衛は、こんにゃく島で女郎買いをすることが唯一の楽しみだった。そのためには、こつこつと小銭を貯めねばならない。 他の奉公人が買い食いをするときでも、久兵衛はじっと我慢した。こんにゃく島に行くためだと思うと、どんなつらいことでも我慢できた。 やっと二朱銀一枚が貯まり、いよいよ今夜はこんにゃく島という日、久兵衛は朝からそわそわしていた。まず髪結床で月代とひげをそってもらい、銭湯で汗を流した。 店が閉じたあと、久兵衛はお仕着せの松阪木綿の着物から別の着物に着替え、煙管や煙草入を持ち、適当な理由をつけて外出した。いったん店を出ると、あとは走るような足取りでこんにゃく島を目指す。 久兵衛が馴染みの引手茶屋をのぞくと、小女が上框に腰をおろしたまま、こっくりこっくり居眠りをしていた。 「これ、宵のうちから、漕ぐもんだの」 小女もびっくりして目をさまし、 「おや、おいでなんし」 「かみさんは」 「いま、裏のほうへ行きなすったが。マア、おあがんなんし」 しばらくして、女将が便所から戻ってきた。元結紙で鉢巻のように髪を締め付け、柘植の櫛を挿していた。前垂れには、酒のシミがあった。 「ほう、久さんか。お珍しいの。煙草をおあがんなんし」 久兵衛は店の門限が心配なため、気がせいている。煙草を吸う時間も惜しんで、さっそく女郎屋への案内を頼んだ。 「連れて行ってくんねえ」 「どこへ行こうノウ。いつぞやの、八つ目屋のお良さんにしなさるか」 「あれはよくねえはな。ほかのを、かみさんの見立てで頼むよ」 「そんなら、ともかく参りましょう。おっと、そこはぬかりやす」 女将が先に立って案内しながら、道のぬかるんでいるところを注意した。 八つ目屋の見世さきで、女将が奥に向かって声をかけた。 「お客だよ」 出迎えた若い衆が、さっそくふたりを二階座敷に導き、行灯の火をかき立てながら、 「あなた、ようおいでなさりました」 と、久兵衛にあいさつした。 女将が若い衆に向かい、 「こう、新助どん。お早さんはいるかの」 「へえ、聞いてきましょう」 若い衆は火入を持って階下におりた。 女将が久兵衛に、 「今夜はあったかでごぜえすねえ。おまえさんは四ツ(午後十時ころ)には戻らねばなりますまい。床を早くさせようノウ」 久兵衛はうなずいている。 若い衆が戻ってきて、女将の耳元でささやいた。お早が無理だったのだ。 女将は思案顔になった。 「はてのう、どの子にしよう。久さん、大年増はどうだえ」 当時は一般に、十三、四〜二十歳の女を新造、二十〜三十二、三歳を中年増、三十二、三歳以上の女を年増と呼んだ。大年増となれば、さらに年長ということになる。 久兵衛は恥ずかしそうに言った。 「大年増でもかまわねえよ」 「そんなら、新助どん、お深さんを聞いてくんねえ」 「あい」 と、若い衆がふたたび階下におりて行った。 しばらくして、女郎のお深が座敷に現われた。皺を隠すために白粉を厚く塗っている。 「おばさん、このごろはねっから会わねえの」 「あい、お目にかかりやせんでしたね。もっと、こっちへお寄りなんし」 と、女将がお深と久兵衛を向かい合わせに座わらせ、杯のやり取りをさせた。 久兵衛は儀礼の杯のやり取りの際にも、お深とは目を合わせず、じっと下を向いている。それでもやはり気になるのか、時々、そっと上目遣いにうかがっていた。 女将は帰るに先立ち、久兵衛を物陰に呼ぶと、小声で、 「つとめを」 と、代金を催促した。 「あい」 久兵衛はふところから、苦労して貯めた二朱を大事そうに取り出した。 「では、お休みなんし。帰りに、お寄んなんし」 と言い、女将は帰っていく。 お深は久兵衛を寝床にさそった。 「サア。おまえさんの内はどこだい。遠くかい」 「なあに、近所さ」 「これから、どうぞわっちがところへ来てくんなよ」 「あい」 お深が男の耳たぶを指でつまみ、もてあそんだ。あまり金もない、野暮な客だととっくに見抜いていたが、年増から見れば、遊び慣れていない久兵衛はかわいかったのだ。 始めるや、久兵衛はあっというまに果てた。そのあと、泣きそうな顔で黙っている。 お深は男がいじらしくなり、商売を忘れて性技を披露した。久兵衛は二度目が可能になった。 終わったあと、ふたりは汗ばんだ肌を合わせ、ぐったりと横たわっていた。 そのとき、四ツの拍子木が鳴った。 久兵衛は布団の上にガバと起きあがり、 「いけねえ。四ツを打つ。帰りやしょう」 「きついびっくりしようだ。そんなら、帰りなんすか。おまえさん、煙草入などはあるかい」 「ごぜえす」 久兵衛が階段をおり、お深も土間まで送りに来る。 若い衆が久兵衛の背中に向かい、 「お近いうち、おいでなされませ」 お深も声をかけた。 「きっとだよ」 だが、久兵衛の頭のなかは門限のことでいっぱいであり、ふたりの声は聞こえていなかった。それに、二朱を貯めるのはそう簡単なことではなかったのだ。「お近いうち」はとうてい無理であろう。 (続く) |
第11話 こんにゃく島(その二)
色白でおっとりとした外見から、徳次郎はいかにも大きな商家の若旦那と知れる。髪を銀杏に結い、京桟織の着物に黒縮緬の帯を締め、煙管や煙草入なども一見目立たないが、凝った意匠の品だった。
徳次郎が茶屋の女将に言った。 「かみさん、おまえにちっと相談ありサ」 「何でござります」 「前回、隣座敷にいた、ソレ、何とかいう子よ」 「へえ、お待ちなんしよ」 女将はしばらく笄で頭をかいていたが、思い出して言った。 「おお、それ、新子のお初さんのことでごぜえしょう」 「そう、お初とやらサ。こしらえてくんねえ」 「わっちゃあ、まだ近付きがないが、そんなら、聞いてまいりやしょう。これ、お茶をあげや」 女将は女中に茶を出すよう命じたあと、女郎屋に向かった。 しばらくして、女将が戻ってきた。 「もし、ようごぜえす。サア、おいでなんし」 徳次郎は女将の案内で女郎屋に向かった。 女将は女郎屋の土間に入るや、 「お千代どん、二階へお連れ申しな」 「あい」 女中のお千代が徳次郎を二階座敷に案内した。 女将は階下にいて、女郎のお初に耳打ちした。 「息子株だよ。とんだ、おまえにのぼせているよ。しっかりと、つかまえなよ」 「おばさん、ホンにかえ」 お初はうれしそうに笑った。 十六歳である。黒縮緬の小袖を着て、髪には笄を七本挿していた。 女将はお初に心得をあたえたあと、何食わぬ顔で二階座敷にあがった。 「もしえ、おまえさんのお見立てほどあって、あの子はたいそうおとなしい、静かな、いい子だという評判の女郎衆さ。かわいがっておやんなんし」 しばらくして、お初が座敷に現われた。 「よう、おいでなんしたの」 と、恥ずかしそうにあいさつした。 女将が杯のやり取りをさせて、 「もしえ、お差しなんし」 と徳次郎に言った。 三人のあいだで、儀式の杯のやり取りがおこなわれる。 「だいぶ隣じゃ騒ぐの。やかましいわえ。お千代どんを呼びなんし」 女将がお初に命じて言った。 女将は上客の徳次郎にいい顔をしたいのと、お初がまだこんにゃく島に出て日が浅い新子なので態度も大きかった。 お初が座敷を出て階段のそばまで行き、「お千代どん」と呼んだ。 お千代が来るや、女将が言った。 「隣が騒々しいから、奥の六畳へでも床を作りな」 「あい」 お千代が奥座敷に寝床を用意した。 女将が徳次郎に言った。 「もう、お休みなんし」 「あい、寝やしょう。おまえ、帰るか」 「あい、おいとま申しやす。おゆるりと」 女将は立って出てゆく。 お初は階段のところまで女将を送った。 女将は別れ際、「たっぷり堪能させて、骨抜きにしちまいなよ」という意味をこめて、お初の背中を軽く叩いた。 お初は座敷に戻ると、徳次郎の手を握って廊下を奥座敷に案内した。上着を脱がせ、屏風にかけた。いったん布団に寝かせ、夜着をかけてやる。 お初も帯を解いたあと、鼻紙を枕元に寄せ、夜着のなかに入りながら、 「もしえ、おまえさん、こっちへ寝なんし」 と、寝る位置を変わるように言った。 「なぜえ」 「なぜでもさ」 襖で隔てただけの隣の座敷に客がいる。お初は少しでも遠ざかりたかったのだ。自分のあえぎ声を聞かれたくなかったのである。今夜は本気になるつもりだった。 徳次郎は素直に位置を変わった。 「もっと、こっちへ寄んなんし。おまえさん、おかみさんがあるかえ」 「まだ女房を持つ歳でねえのさ」 「そんなら、おおかた近所の娘かなんぞをイロに持っていなんしょう」 「ついに地色なぞということをしたことなし。おまえこそ、イロ男を持っているだろう。色事のしようをちっと教えてくんな」 「ウソばっかり。おおかた、許婚なんぞという娘っ子がいなんしょう」 「そんな者があれば、ここへは来やせん」 「ホンにかえ」 「おまえを許婚にしよう」 「おなぶりなんす。おさげすみかえ。モウ、憎いのう」 お初が徳次郎の肩に噛みついた。 「オオ、いた。イヤ、痛くはない。痒い」 「痒いなら、もっと喰いついて、いっそ食ってしまいてえのう」 お初は男の股間に顔をうずめ、口に含んだ。 一度終えたあとも、寝かせるつもりはない。夜っぴて、技巧の限りをつくした。男も若いだけに、すぐに回復して、次が始まる。体位を変えて繰り返した。 やがて、外で鳥がさえずり始めた。 「烏が鳴く。もう、おいとま申しましょう」 徳次郎は身支度をしながら、これから帰宅しても、家では一日寝ていることになるであろうと思った。父親の小言も気になったが、うまくごまかすつもりだった。金のほうは、番頭に頼めばすぐに出してくれる。 お初が名残り惜しそうに背中をなでた。 「おまえさん、次はいつ来なんす」 「近いうちにまいりましょう」 「近いうちでは悪いわな。あすの晩、来なんしな」 「では、あすの晩、来るようにいたしましょう」 徳次郎は階段をおりる。 お初も見送りに出て、頭巾を渡す。 寝ずの番の若い衆が草履を直し、 「お帰りなされますか」 と言いながら、潜り戸を開ける。 頭巾をかぶった徳次郎が言った。 「おさらばえ」 「どうぞ、待っていやんすよ」 お初のことばは、最後はあくびになった。さすがに、くたくたに疲れていた。 鼻紙を指に巻きつけ、顔に浮いた脂をぬぐった。 思い切り、大あくびをした。 これから、たっぷり眠るつもりだった。 (続く) |
第11話 こんにゃく島(その三)
清兵衛は大きな商家の手代であるが、こんにゃく島に来るときは、お仕着せの着物ではない。微塵桟留の袷に小倉の袷羽織に着替え、びろうどの紙入、唐更紗の煙草入を身につけるといういでたちだった。
慣れた様子で、馴染みの女郎屋に入った。 「かみさん、このごろはお目文字いたさんな」 「はい、おいでなんした。これ、二階へお連れ申しや」 女将が女中に言った。 清兵衛は女中の案内で二階座敷に落ち着き、出された料理を見て言った。 「このごろは禁酒ゆえ。その青みはなんじゃえ」 「これかえ。蕗でございす」 清兵衛は蕗の煮付けをつまみ、茶を飲みながら、 「わしはいつもの通り、急ぐほどに、早う呼んでほしい」 女中が答えて、 「いま、見番に人を遣りやした」 しばらくして、女郎のお夏が現われた。髪に小さな櫛を挿し、薄化粧で、焦茶縮緬の紋付小袖を着ていた。 清兵衛はお夏が口の端に楊枝をくわえているのを見て、 「なんじゃやら、いこう、ご勿体じゃの」 「ぬしやぁ、今夜も宵立ちか」 お夏は、相手がいつものように宵のうちに帰るのかと尋ねた。住み込みの手代の身であるため、外泊や朝帰りなどは難しい。 「御意の通り。いやもう、朝から立っておる」 清兵衛は宵立ちにからめて、魔羅の朝立ちとしゃれた。 「無駄ぁ言いなんな。泊まるのか」 「どうともしようほどに、まずひとつあがれ」 と、杯を渡す。 そばから女中が、 「どうしなんすか」 と、泊まるのかどうかを尋ねた。 お夏は楊枝を使いながら、女中に言った。 「おおかた、いつもの通りだろう。早く床をしねえ」 女中が寝床の用意をした。 お夏は「サア、寝なんし」と清兵衛を寝床に横たわらせると、自分は雪隠に立った。 しばらくして、「小用に行ったら、寒いようだよ」と言いながら戻ってくるや、夜着をめくって清兵衛の横に入ってきた。 もう、何度もしている仲である。おたがいの癖や好みはわかっていた。いつもの手順通りに進行し、いつものところで女が営業用のあえぎ声をあげ、男はあっけなく絶頂に達して果てた。 紙で始末を終えると、清兵衛が言った。 「もう、何ン時じゃな」 「もう、おっつけ四ツ(午後十時ころ)さ」 「そんなら、もう帰らにやぁならん」 「いつでもゆるりとしたことがねえのぅ。久しぶりだから、今夜は泊まんねえな」 「いや、いや」 「なんと言っても、帰しゃあしねえよ」 そのとき、四ツの拍子木が鳴った。 「あれ、四ツじゃ」 と、清兵衛は身づくろいを始めた。 ふと、女の髪の櫛に気づいて、 「その櫛は、わしがやった櫛と違うて、小さい櫛じゃな」 「あい、こりやぁ、押さえ櫛さ。おまえさんにもらった櫛は、いい鼈甲だから、大事にしてしまっておくはな」 じつはお夏は、とっくに質入していたのだが、そんなことはおくびにも出さず、 「そりゃあそうとの、とうから言っておいた枕はどうなった」 と、さらなる無心をした。 清兵衛は顔を曇らせた。 「いや、まだできん」 「そんなら、こっちで買うわな。おまえさんの紋と、わっちの紋を付けるようにあつらえようのう」 お夏は枕は無理と見て、あっさり引き下がったが、それでも比翼紋をほのめかせて、相手の気を引くことを忘れない。もちろん、枕を新調する金は別の客に出させるつもりである。 「そういうことをしておると、しまいには、園八節で道行をせにやぁならんぞや」 清兵衛は、深入りすれば最後は心中沙汰になると言った。もちろん冗談だが、なかば本音でもあった。鼈甲の櫛も、店の金をごまかして買ったのである。 「なんでもするわな」 お夏はけだるげに言った。 そのとき、若い衆が障子を開けて言った。 「お夏さん、お迎いでごぜえす」 別な客が付き、呼びに来たのである。 お夏は頭のなかでは、枕をねだれる客かどうか考えていた。 (終わり) 第12話へ |