江戸の風俗八百八店

永井義男

第13話 品川宿V(その一)

 民間企業が、事業の許認可権を持つ、あるいは公共事業を発注する立場の官庁の役人を接待するとき、居酒屋というわけにはいかない。やはり美女のいる料亭やクラブということになろうし、さらに進めば、高級ソープランドなどの風俗店になるかもしれない。接待に「女」は付き物である。江戸時代も同様だった。町人はしばしば、武士を彼らが日ごろ行けないような高級料亭や高級女郎屋に招き、接待した。その見返りが、いわゆる公共事業の利権であるのはいうまでもない。
 安永二年(1773)ころの品川宿である。

 明和九年(1772、安永元年)二月、江戸は大火に見舞われた。目黒行人坂の火事である。
 この大火で町屋はもちろん、多くの大名屋敷も消失したが、年が明け、某藩の屋敷の再建もいよいよ始まろうとしていた。
 高輪の茶屋の座敷で、五人の客が酒を飲んでいた。
「うむ、この酒はよい酒じゃ」
 もったいぶって言ったのは大川三郎兵衛である。
 某藩の重役で、このほど藩邸の再建がらみで国元から江戸に出てきた。花色羽二重の小袖に茶緞子の袷羽織を着て、堆朱の印籠をさげている。
 茶屋の亭主が、
「はい、あたくしどもでは、お出しする御酒は随分吟味をしております」
 と、大川の目利きをほめた。
 沢井八左衛門も、さも酒の味がわかるという顔で、
「そうであろう」
 と、うなずいた。
 江戸詰の作事方であるが、役職では大川の下になる。
 亭主が言った。
「ありがとうございます。さて、今晩はどこに遊ばします」
 大川と沢井は、
「いずかたなりとも、よろしき内へ案内してくれ」
 と、鷹揚に答えたが、じつはふたりとも接待を受ける立場であるし、品川宿の女郎屋に馴染みもなかった。
 屋敷の普請を請け負う総元締めの忠治、材木屋の若旦那の幸治、大工の棟梁の長七のあいだで、どこに登楼するかで議論が始まった。この三人が接待する側だった。
 なかなか結論が出ないのを見て、沢井が言った。
「ともかく、馴染みの見世がよかろう」
「では、忠さんの馴染みの山滝がようござりましょう」
 と、幸治と茶屋の亭主が言った。
 山滝屋は品川宿でも屈指の大見世である。
 大川がさも知っているかのように、
「サア、その山滝。山滝じゃ」
 と、せかした。
 早く登楼したくて、内心うずうずしていたのだ。
 沢井もせかした。
「まずまず、忠治、ご案内、ご案内」
「では、参りましょう」
 茶屋の亭主の案内で、五人は連れ立って山滝屋に向かう。大川と沢井は頭巾で顔を隠していた。
 見世に入ると、忠治は馴染みの女郎がいるが、他の四人は相方を選ばなければならない。
 茶屋の亭主が言った。
「ご初会ですから、お見立てがようござりましょう」
「それがよかろう、さあ、さあ」
 と、みなは陰見世の前に立った。
 陰見世とは、往来に面しない屋内にあって、女郎が居並ぶ場所である。
「しからば」
 と、大川と沢井は端から端まで、女郎をじっくりと観察した。
 幸治と長七は遠慮して、ふたりに優先させる。
 大川が山滝屋の若い衆に言った。
「あの三番目の、赤い着物のは」
「お菊さんと申します」
 今度は沢井が、
「こっちへ五人目のは」
「お秀さんと申します」
 茶屋の亭主が満足げに、
「では、あのおふたりでございますな」
 大川と沢井が、
「サア、お身たちも、見立て、見立て」
 と、幸治と長七に相方を決めるようせかした。
 ふたりはなおも、
「わたくしどもは、どなたでも」
 と、煮え切らない。
 忠治が声を高めて、
「はて、さて、要らぬ遠慮じゃ。よいのを決めよ、決めよ」
 幸治がようやく、
「では、こっちの方から六人目の、媚茶の」
 若い衆がすかさず答える。
「あい、お琴さんでござります」
 長七が最後に、
「その次の、浅黄の」
「へえ、へえ、お歌さんと申します」
 茶屋の亭主もほっとして、
「サア、サア、決まり、決まり。子供衆、お茶をよ」
 と、下働きの女に二階座敷を準備するよう指示した。
 みなはぞろぞろと、階段をのぼった。

                         (続く)


第13話 品川宿V(その二)

 二階座敷に落ち着くと、酒、硯蓋、鉢肴、煙草盆などが運ばれてきた。
 ややあって、若い衆が女郎五人を連れてやってきた。
「さあ、皆さんへ。おいでなさりまし」
 大川にお菊、沢井にお秀、忠治にお里、幸治にお琴、長七にお歌という組み合わせである。
 茶屋の亭主の采配で、ますは杯のやり取りがおこなわれた。
 あとは、大川と沢井はやたらと酒を飲み、女郎たちにもただ「飲め、飲め」と、無骨に酒を勧めるだけである。
 接待側の責任者の忠治は、雰囲気を変えようとした。
「ちと、お慰みに、芸者を申し付けましょう」
 大川と沢井はもう真っ赤になった顔で、
「うむ、よかろう」
「義太夫が聞きたい」
 茶屋の亭主がさっそく階下に行き、手配した。
 しばらくして、幇間と三味線弾きが現われ、
「これはどなたさまも、ようおいで遊ばしました」
 と、あいさつをして座につく。
「では、何にいたしましょう」
 お里が好みを言った。
「忠臣蔵の道行きを」
「それがよかろう」
 みな賛成した。

「浮世とは誰が言ひ初めて飛鳥川、淵も知行も瀬とかはり……

 幇間が『仮名手本忠臣蔵』の八段目を語る。
 みなはじっと聞き入っているが、大川と沢井は耳に口を寄せて、
「やはり義太夫は上方じゃな。江戸の義太夫はどうも」
 などと、論評している。
 忠治はふたりの不満を察して、すぐに、声色を得意とする別な幇間を手配した。
 やがて、呼ばれた幇間が現われ、
「これは、これは、段々の趣向」
 と、わけのわからない口上を述べた。
 三味線弾きが下座音楽の長唄を弾き、役者の声色が始まった。

「悪七兵衛景清ともあろうものが……

 忠治、幸治、長七は拍手喝采して、
「いよぅ、いよっ、親玉ぁ」
 と、景気をつける。
 ところが、大川は芝居を観たことがないため、声色を聞いてもぴんと来ない。
「あれは、誰が真似じゃの」
 沢井が説明して、
「市川団十郎だそうでござります」
「ふぅーん」
 忠治はふたりがあまり興味がなさそうなのを見て取り、もうこうなれば、早く床入させるに限ると思った。幸治とも相談の上、茶屋の亭主に耳打ちした。
 亭主も、大川と沢井は早く床入させるにしくはないと感じていたから異存はない。
「サア、もうだいぶお座がふけました」
 と、宴会の終了を告げた。
 幇間や三味線弾きは、
「では、どなたさまも、ご機嫌よう」
 と、引きあげる。
 茶屋の亭主もあいさつをした。
「では、わたくしも、これでおいとま申し上げます。お迎えは」
「六ツ(夜明)前、六ツ前」
 大川が、翌日の迎えの時間を指定した。大名屋敷の門限はきびしく、本来であれば外泊も許されないが、きょうばかりは大川と沢井は理由をつけて外泊許可を取っていた。
 忠治が茶屋の亭主に言った。
「もひとつ呑んでいき給わぬか」
「イエイエ、おおきに過ぎました。また、山の神がたいていの怒りではござりますまい。では、おゆるりと。どなたさまも、お頼み申し上げます」
 最後に、女郎たちにあいさつをした。
 女郎たちも、廊下を階段のきわまで送って出て、口々に言った。
「そんなら、行きねんすか。おかさんへも、よぉく申してくんなんし」
 亭主はそっとお菊とお秀を手招きして、耳元にささやき、
「もしえ。お屋敷方でござりますから、くれぐれもお頼み申します」
 と、大川と沢井には気を使うよう求めた。
 お菊とお秀が言った。
「あい、おさらばえ」
「お世話でありいした」
 若い衆が座敷を変わるよう言いながら、
「もし、ちと。あちらへおいで遊ばしまし。子供や、お部屋へお連れ申せ」
 と、禿に案内するよう指示した。
 大川と沢井は宴会の座敷から出ながら、横柄に言った。
「どこだ。その前に、小便所は」
 禿が小便所に案内した。
「ここでありいすよ」
 大川と沢井は竹の簾をじゃらつかせて小便所に入り、連れ小便をした。そのあと、手水で濡れた手をふきながら、禿に続いて廊下を歩き、座敷に入った。
 いよいよ、床入である。

                      (続く)


第13話 品川宿V(その三)

 座敷に通されると、大川が言った。
「ここは、誰の所じゃ」
 禿が答えた。
「お菊さんのお部屋さ」
「菊とは誰じゃ」
 大川は酔って、自分の相方の名前も忘れていた。
 沢井が言った。
「はて、貴殿の奥方サ」
 そこへ、忠治、幸治、長七があいさつに押しかけてきた。
 大川が三人に向かい、
「沢井氏の相方は美しいノウ」
 沢井があわてて、
「いえいえ、貴殿の相方のほうがよほど上でござりましょう」
 忠治も横から大川の選択がよかったことを保証して、
「お菊さんこそ、この見世の高尾君でして」
 しかし、大川はなおも他人の相方が気になるのか、
「息子の相方は何と言ったか」
 材木屋の若旦那の幸治が答えて、
「お琴と申します」
「これがまた、見事な女郎じゃ」
 忠治がたまりかね、話題を変えようとした。
「ちとお燗をいたさせましょう。もうひとつ召し上がりませ」
 大川と沢井は首を振り、
「インニャ、もうもう、おおきに酔うた」
「ちと休もう。みなも、まず休みやれ」
 と、あとはめいめいが相方とすごすことを宣言した。
 忠治、幸治、長七は自分の寝床に引き取る。
「しからば、後ほど」
 と、沢井も自分の寝床に行く。
 大川はひとり、寝床に取り残された。
 しばらくして、お菊が座敷に入ってきて、布団のそばに座った。
「もう、お休みなんしたか」
「君を待つまの、待ち久しさ」
 大川がしゃれたことを言った。
 お菊はにこりともせず、簪でやたらと髪を掻きながら、禿を呼んだ。
「千鳥や、水と、飯粒をひとつ、持ってきや」
 そして、行灯のそばに硯箱を持ち出してくると、
「もしえ、ちっと、文を書きいすよ」
 と、断わった。
 馴染みの客に金をせびる手紙を書くつもりだった。
 大川はいい面の皮だが、江戸の遊里は初めての経験である。品川あたりの女郎屋ではごく普通のことかも知れぬと思い、あくまで鷹揚な通人を演じて言った。
「随分、ゆるりと」
 禿の千鳥が水と、手紙を封じるための飯粒を持参した。
 大川が頼んだ。
「わしに茶をひとつ」
「あい、いま持ってきてあげいしょう」
 と、千鳥がいったん引き取り、茶を持参した。
 お菊はまだ一心に手紙を書いている。
 大川は手持ち無沙汰のため、
「これ、わしの連れは」
 と、沢井の寝床を尋ねた。
「おいでなんすか」
「うむ、行こうかと思う」
 お菊はこれ幸いと、禿に命じて言った。
「連れ申していきやァ」
 大川は寝床から出ると、前帯にし、煙管と煙草入を手にして、千鳥の案内で廊下を進む。
「サア、ここでありいす」
「いかが、いかが、入っても苦しからずか」
 大川が座敷に足を踏み入れた。
 沢井も寝床に起きあがる。
「少しも苦しからず。いまもって独り住まいサ」
「これはどうしたものじゃ」
「客でも来たような様子に見えます。廻しを取っておるのですな。ときに、貴殿の相方は」
「なんじゃやら、書役部屋の目付に命じられたような按配で、どうにもならぬ」
「初会はこんなものかもしれませぬて。おたがいさまですな」
 大川が千鳥を見て、
「かわいい子じゃの」
 沢井も千鳥をながめながら、
「サレバ、見世へ出たら、きっと参るからな」
「知りいせんよ」
 千鳥はツンとした。
 大川は沢井としばらく無駄話をしたあと、自分の座敷に戻った。
 お菊もようやく手紙を書き終え、千鳥に託した。
 いよいよふたりで寝床に入る。
 大川としては、これまでかなり損をした気分である。損を取り戻すためにも、夜明けまでに少なくとも二番はするつもりだった。

                          (続く)


第13話 品川宿V(その四)

 沢井は大川が去ると、相方のお秀が現われる気配もないため、退屈で仕方がない。腹も立つし、他の連れの様子も気になる。寝床を抜け出すと、作事方という職務柄もっとも親しい大工の棟梁の長七の座敷を訪ねた。
「どうだ、どうだ」
「これは沢さま」
 長七はお歌と抱き合っていたのだが、相手が沢井だけに粗略にもできない。
 お歌が、座敷に入ってきた沢井に尋ねた。
「お秀さんはどうしなんした」
 沢井も廻しを取っていてふられたとは言えないため、見栄を張った。
「今夜は癪とやらで、体の具合が悪いようじゃ」
 長七も返答に窮したが、ようやく言った。
「ハハア、それはとんだことで」
「どうせ、今夜は御頭への務めのようなものだから、どうでもいいのさ。それはそうと、あの表門はよほど難しいぞ」
 長七はこんな場所で仕事の話を持ち出されてゲンナリした気分だったが、ここが肝心なところと、気を引き締めた。ともかく持ち上げておかねばならない。
「さようでござります。とにかく、お頼み申すは、あなたさまでござります」
「なんぼ俺がひいきに思っても、最後はあの御頭次第だからな。しかし、御頭もきょうはご満悦で、忠治と幸治めも気に入った様子だから、まあ、よかろう」
「何ぞ、ちと取りにやりましょうか」
 長七が気を使った。
「いやいや、もう飲むことも食うこともできぬ。だいぶ夜もふけた。ひと寝入りしよう。お邪魔をするも気の毒だからのう」
 沢井はちょっといやみっぽく言いながら、自分の寝床に戻った。
お歌が長七に言った。
「もしえ、いまのは、お役人かえ」
 長七はお歌の乳房をもてあそびながら、
「あの人はいい人だが、どうも、もうひとりが……」
「お菊さんの客衆かえ」
 大川のことだった。
「むむよ。あの人が気難しいから、楽屋がもめるという寸法よ」
 長七が大名屋敷の仕事にはそれなりに苦労があることを述べた。それを円滑に進ませるためにも、女郎屋での接待が必要だったのだ。
いっぽう、忠治とお里の座敷には、まだ禿の緑がいた。
 お里が言った。
「緑や、行灯をそっちへやって、火鉢に炭をついでおいて、もう行って寝や」
 今度は、忠治が言った。
「これこれ、緑、その前に茶をひとつくりゃ」
 緑は忠治に茶を用意したあと、「そんならお休みなんし」と、障子を閉じて出て行く。
お里がさっそく言った。
「これ、忠さん、なぜこのごろは来なんせん。そして、また今夜はなぜ大勢連れて来なんした」
「商売づくさ」
 ふたりは馴染みである。ことをすませたあとも、ぼそぼそと寝物語をしていた。
 そこへ、廊下から声がかかった。
「お里さん、開けてもいいかえ」
 お菊は障子を開けて入ってくると、寝床のそばに座った。その荒々しい挙動から、怒っていることがわかる。
 忠治は大川のことであろうと察して、
「今夜の客衆はやかましかろうが、どうぞ、よくしてやってくんなよ」
「なんだか、馬鹿らしいノウ。今度から、もう、あのような客衆を連れてくるのは、よしにしなんし。しつこいこと、しつこいこと。人を寝かせようとしやせん」
 お菊が、大川に対する憤懣をぶちまけた。体力の続く限り何度でもしようとするのだという。
「そこが、お頼みだ」
 忠治がなだめた。
 お菊はひとしきり愚痴をこぼしたあと、立ちあがりながら、
「雪隠に行くといって出てきたのだが、そろそろ戻ろうかね。きっと、まだするつもりだよ。いったい、なんべんとぼす気やら。まだ夜は随分長いから、もう一回はとぼすだろうよ。あすは一日、陰見世で居眠りをして、みなになぶられて、せつないという身サ」
 後手に障子を閉めて、大川が待つ寝床に向かった。
 お里が言った。
「お菊さんが気の毒だのぉ」
「まあ、たまにはそういうこともあろうよ。どうでぃ、たまには俺たちも、もう一番というのはどうだ」
 忠治が手を、相手の下腹部にのばした。
「おや、おまえさん、できるのかい」
「てやんでえ。まだ、一晩に二、三回はできるぜ」
「どうだか」
「ためしてみるか」
「おや、固くなっているね」
「そうよ」
 ふたりは馴染みである。おたがいによく知っていた。
 忠治が指先で、相手の感じやすい場所をさわる。
 やがて、お里がせつなげにあえぎ始めた。

                         (終わり)
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