第15話 芝明神
現在の東京都港区芝大門にある芝大神宮は、かつては「芝神明」という呼び名で親しまれた。『江戸名所図会』や『江戸切絵図』には、「飯倉神明宮」と表記されている。境内で火消しと相撲取りが喧嘩をした、いわゆる「め組の喧嘩」は芝居などで有名である。芝神明の境内と門前には岡場所もあった。女郎の値段は「昼夜四ツ切、一ト切七匁五分」、つまり一日二十四時間を四分割し、そのひとつ分が銀七匁五分ということ。男色を売る陰間茶屋が多いことでも有名で、最盛期には七軒の陰間茶屋と、二十六人の陰間がいたという。しかし、寛政五年(一七九三)三月、寛政の改革によって女郎屋も陰間茶屋もすべて取り払われた。
安永三年(一七七四)ころの、芝神明である。 境内は多くの人出でにぎわっていた。手に土産の谷中生姜を持っているかどうかで、これから参詣するのか、参詣を終えて帰途に着くのかがわかる。 九月の秋祭りのなかでも、芝神明の祭りはそのにぎわいがほぼ一ヵ月近くも延々と続いたので、続に「だらだら祭り」といわれるほどだった。祭礼中は境内のいたるところで名物の谷中生姜が売られたので、別名「生姜市」とも呼ばれた。 野田茂右衛門は雑踏のなかを、物珍しげに眼をきょろきょろさせて歩いていた。奥州の或る藩の家中で、参勤交代で江戸に出てきた勤番武士である。歳のころは四十四、五歳。背が高く、顔も長かった。 御納戸茶の小袖に、五つ紋の付いた空色絹の羽織、足元は薄柿色の足袋に中抜草履といういでたちだった。大小の刀をかんぬき差しにしている。 野田は各種の屋台店に並んだ品々を熱心にながめるが、まず買い物はしない。勤番武士の常として金銭的な余裕はなかった。 江戸に出てきて以来、ひまさえあれば名所旧跡をあちこち歩きまわり、行事を見物してまわる日々であるが、ただながめるだけで滅多に金は使わない。腹が減っても、食べるのは安い蕎麦か、せいぜい名物の団子くらいである。 吉原も見物しただけであるが、国元に帰ったら、「吉原に行ったぞ」と友人知人に大いに吹聴し、自慢するつもりだった。 人ごみのなかをやっと社殿にたどり着き、鈴を鳴らして拝礼したあと、社殿の背後にまわった。 十六、七歳の茶屋女が声をかけてきた。 「お茶おあがり。お休みなさんせ」 野田は人いきれと見物で疲れていたし、喉も渇いていた。茶屋女への興味もあった。つい、床机に腰をおろした。 「おいでなさい」 女が茶と、煙草盆を持参する。 「これ、あねい、もう何ン時だァ」 「あい、もう八ツ(午後二時ころ)でござりやしょう」 「はンてな、日は短いこんたァ」 野田は茶をすすり、煙草をすぱすぱと吸った。 そこへ、三十歳前後の裕福そうな商人が通りかかった。唐桟の小袖に、黒郡内の羽織、八丈の幅狭の帯を締め、小脇差を差していた。後ろに、風呂敷包みを背負った丁稚が従っている。 商人は野田の姿を認めるや、小腰をかがめた。 「これは、これは、野田さま、ようご参詣なされました」 藩邸出入りの、いわゆる御用商人だった。 「大和屋か。奇特だな。さあ、ここへ、ここへ」 野田は、してやったりという気分だった。うまくすれば、茶屋の代金は大和屋に押し付けられる。 大和屋は「ハイ、ご免なさりませ」と、野田の横に腰をおろした。 「あなたは、きょうはいかがおぼしめしまして、こちらへ」 「いんやさ、みどもも、きょうは非番だから、ぶんらぶんらと出申したがァ」 「さようでござりますか。あたくしは、ちと高輪まで用事がありまして」 茶屋女が大和屋にも茶を出す。 「あねさん、だいぶにぎやかだね」 「あい、それでも人ばっかりで、ねっから銭になりやせん」 「はてね、それでも、あそこは繁盛だろう」 大和屋が、境内の女郎屋を指差した。 「遊客は相変わらずですがね。もし、ひと切、お遊びなさんせ。柳屋にいいのが出やした」 茶屋女は、柳屋という女郎屋に登楼するよう勧めた。 野田が横から尋ねた。 「これ、大和屋、ひと切遊べとは、なんのことだァ」 「オホホ、野暮らしいことばかり」 茶屋女は袖を口に当てた。 大和屋が説明した。 「あなたは、ご存知ござりませんか。この地内に女郎がござります。夜と昼を四つに切りまして、ひと切が七匁五分ずつでござります」 「うう、はあてな、そういうことは、みどもはかつて知り申さぬ」 そう言いながら、野田は興味津々のまなざしで女郎屋のほうをながめる。 大和屋は相手の様子を見て取り、ここは接待しようと思った。これからも藩邸に出入りして商売をしていくには、野田を篭絡しておくにしくはなかった。七匁五分など、接待費としては安いものである。 「そのひと切はいかがでございますか。あたくしがお供いたしましょう」 「きさまが振る舞うか。そんなら行こうが、屋敷がさ」 「はい、それは、ついサラサラと一筆書いて、遣わされませ」 大和屋が懐中矢立を取り出して渡した。 野田はもっともらしい理由をつけ、帰りが門限よりおそくなることを書いた。大名屋敷の門限はきびしく、表門は暮れ六つ(日没)とともに閉じられる。 「そんなら、あの小僧に、持たせてやってくれめされ」 大和屋は野田から受け取った手紙を丁稚に渡しながら、 「これ、長松、われは内へ帰って、旦那はお役所に御用ができ、帰りがおそくなりますと言え。芝神明で別れたなどと、店で言うな。そして、このお手紙は、帰りがけに、お上屋敷の御門でお渡ししろ。口上を忘れるなよ」 と、上屋敷の場所と、門番に手紙を渡すときの口上を教えた。 「はい、かしこまりました」 丁稚の長松は手紙をふところに入れ、帰っていく。 「サ、お立ちなさりませ。あねさん、お世話でござりました」 大和屋は巾着から銭を取り出し、床机の上に茶代を置いた。もちろん、野田の分も一緒である。 野田の思惑通りだった。いや、茶代どころか、女郎屋の揚代も出してもらえるのである。吉原ではなく岡場所ではあるが、江戸の女郎屋で遊んだことは人生最大の思い出になろう。 「うむ、では、まいろうかの」 武士の威厳を見せて言ったが、その声には喜色があふれていた。 (終わり) 第十六話へ |