第18話 深川仲町U(その一)
深川には岡場所が多く、「深川七場所」とも呼ばれた。なかでも、仲町はもっとも高級として知られていた。女郎屋は「子供屋」、女郎は「子供」と呼ばれ、客が子供屋に直接登楼することもできるが、いったん料理茶屋にあがり、子供屋から子供を呼び寄せ、座敷に寝床を用意させて床入するという遊び方が多かった。仲町の料理茶屋としては尾花屋、山本、梅本などが有名である。江戸は交通手段として水路が大きな位置を占めていたが、とくに深川には縦横に掘割が走っていることから、舟と深川遊びは切っても切れない関係にあった。
寛政三年(一七九一)ころの、深川仲町である。 秋とはいえ、このところのきびしい残暑で、隅田川にはたくさんの涼み舟が出ている。 隅田川を下る屋根舟には、三人の武士が乗っていた。柳橋の青戸屋という船宿から乗り込み、深川仲町に向かうところである。 三人とも幕臣で、それぞれ朝比奈、十郎、団三郎というあだ名で呼び合っていた。 朝比奈は三十歳くらいで、結城縞の単衣を着て、脱いだ絽の小紋の羽織を膝元に置いていた。深川通を自称している。 十郎は二十三、四歳で、越後の帷子に黒絽の羽織といういでたち。これまで吉原で遊んだことはあるが、深川は知らない。 団三郎はいわゆる取り巻きで、どこにでも人のあとに着いて行く。深川で遊ぶのは初めてだった。 屋根舟が永代橋の下をくぐり抜ける。 朝比奈が舟には乗り慣れているところを示して言った。 「きょうも、よっぽどミナミ(南風)が出てきたわえ。でえぶ、うねりがある」 十郎と団三郎は舟からのながめが珍しいため、きょろきょろしている。 「アレ、鵜がウナギを獲った」 「豪勢なウナギだ。アレ、もう呑んでしまった」 ふたりの騒ぎようにも、朝比奈はいかにも見慣れたという顔をしていた。 やがて、屋根舟は隅田川から、掘割の大島川に入った。 向こうからくる猪牙舟の、若い船頭が声をかけてきた。 「おい、おじさん、どけえ行く」 屋根舟の船頭は、初老の久三である。 「仲町だァ」 「静かに行きねえ」 猪牙舟とすれ違ったあと、久三が独り言を言った。 「アノ野郎も、でえぶ櫓ぶりがよくなった」 あとから、船足の速い猪牙舟が追いついてきた。女郎と茶屋の女中が乗っている。深川仲町から帰る客を鞘町河岸まで舟で送っていき、その帰りだった。 女郎が女中に言った。 「お粂どん、しっかり持ちなよ。日傘を吹きとられるよ」 女中は久三を見て、声をかけた。 「オヤ、青戸屋のおじさん、どけえ行きなはる。わっちらがほうへは、きついもんだね」 久三も櫓をこぎながら問い返す。 「送りげえりか」 「アイ、ちっときなせえしな」 猪牙舟が屋根舟を追い抜いていく。 「こいつァいい。こういうところが、深川遊びの醍醐味よ」 朝比奈が船頭と客のやりとりを興がっているところへ、ふたり船頭の猪牙舟がものすごい勢いで屋根舟を追い抜いていく。客は町人風の男ひとりである。そのあとに、やはりふたり船頭の猪牙舟が続く。同じく、客は町人風の男ひとりだった。 後ろの猪牙舟の客が船頭に何かささやいた。猪牙舟は急に、近くの河岸場に停泊した。船頭のひとりが上陸するや、一目散に走り出した。そのあと、猪牙舟は船頭ひとりで漕ぎ出す。 この様子を屋根舟から見ていた十郎が、朝比奈に尋ねた。 「コレ、朝比奈さん、あの猪牙舟はなぜあそこへ着けて、船頭のひとりを上げたのかのう」 「あれが、深川遊びの急所よ。先の猪牙舟の客と、あとの猪牙舟の客と、同じ女郎を買おうとして、競り合っているという理屈さ。あとの客は舟では勝てそうもないから、船頭のひとりに陸を駆けさせ、先へ口を切りにやったのさ。先の客はいくら舟で急いでも、もう後手になるというやつよ。『口を切る』というのは深川の通言で、吉原では引手茶屋を通じて『仕舞いをつける』と言うわな。ともかく、先に約束をつけること。ともあれ、あとの客は如才のないやつサ」 朝比奈が得々と講釈した。 「その道によって賢し、ですな」 「とんだ宇治川の先陣争いですな」 十郎と団三郎も感心しきりである。 やがて、屋根舟が仲町の河岸場に着いた。 朝比奈は桟橋に停泊している舟をざっとながめて、 「だいぶにぎやかだわえ。こいつァ、出ているかもしれねえは」 と、子供屋では子供が出払っているかもしれないと言った。 舟の数から遊客の数を読み、女郎の払底まで予想するところなど、まさに深川通の面目躍如たるものがあった。 朝比奈、団三郎、十郎が舟から上がる。船頭の久三はひと足先に、三人が向かう料理茶屋に知らせに行った。 ちょうど、ひとりの遊客を、女郎と茶屋の女中が付き添って送るところだった。あとから、猪口と肴をのせた広蓋と大きな銚子を持って、茶屋の下女が続く。帰りの舟のなかでも酒と肴を楽しむという趣向である。 下女が船頭に、広蓋と銚子を渡す。 船頭は広蓋と銚子を受け取って舟に乗り込んだあと、客に声をかけた。 「お危のうございます」 「おい、もう何ン時だ」 「八ツ(午後二時ころ)がちっと回りやしたろう」 客、女郎、女中が桟橋から舟に乗り込む。 女中はさりげなく銚子の口を船首のほうに向け直していた。これは、舟が揺れても酒がこぼれないようにという配慮だった。 そのとき、久三が戻ってきた。 「へい、知らせてめえりやした」 「そうか。では、その前に」 朝比奈、団三郎、十郎は料理茶屋に向かうに先立ち、三人そろって桟橋から連れ小便をした。 男の立小便は日常茶飯事であり、誰も気にもとめない。 (続く) |
第18話 深川仲町U(その二)
料理茶屋の尾花屋は大にぎわいだった。
廻し(女郎屋の雑用係)、船頭、女郎、芸者、幇間などがひっきりなしに出入りし、奉公人は忙しげに立ち働いている。 鳴海絞の浴衣に黒緞子の帯、紺絣の前垂れをした下女のお稲が、料理番に声をかけた。 「きょうは、けしからねえ暑い日だよ。モシ、直し肴がひとつ出るよ」 客が遊びの時間を延長することを「直し」というが、その際、あらためて硯蓋などに盛って肴を出すのである。 料理番の男が怒鳴るように答えた。 「わかってらあ」 そのとき、朝比奈、十郎、団三郎が現われた。 お稲は馴染みの朝比奈を見て、 「おやおや、朝さん、ようお出でなせえしたね。どなたも、サア、おあがんなせえ」 女中のお滝が出迎え、 「よく、お出でなせえした。お履物をあげてくんな」 と、下足番に三人の履物を指示する。 朝比奈は二階に向かう階段をのぼりながら、一階の片隅に仕懸文庫が十四、五、三味線箱が五、六も置かれているのを見て、あきれた。 「きょうは、こりやァ、豪勢にぎやかだ」 仕懸文庫は、子供屋から料理茶屋に呼ばれてくる女郎が、着替えなどを入れた箱である。仲町独特の風俗だった。 「おっつけ、涼しいところがあきますから、マア、ここへ」 と、お滝が三人を二階の座敷に案内した。 まず茶が出され、続いて、酒が出る。 船頭の久三が羽織を着て、座敷に顔を出した。 「モシ、舟にお煙草入れがござりやした」 と、十郎の忘れ物を渡す。 寄場(見番)から戻ったばかりの、女中のお秀が顔を出した。尾花屋でも古株で、客と女郎の組み合わせを任せられることが多い。 「朝さん、よういらっしゃりました。モシエ、どういたしやしょうねえ。お鶴さんは、お悪うござりやすよ。山本に出ていなせえすとさ」 お鶴は、朝比奈の馴染みの女郎である。 「そりやァ覚悟の前だが、こちらのふたりを働いてくだせえ」 朝比奈は、十郎と団三郎の相手をうまく選ぶよう頼んだ。 久三もそばから、言った。 「おふたりは、ご初会だよ」 「きょうはもう、生憎だねえ。マア、働いてみましょう」 と、お秀が座敷を立ち、寄場に向かった。 朝比奈はお滝に頼み、芸者と幇間も呼ばせた。 しばらくして、お秀が戻ってきた。 「寄場に行って、名札を見てきやしたが、いい子供衆はさっぱりさ。ようよう働いて、お富さんにお虎さんがきなせえす。それに、朝さん、お鶴さんを山本から借りてめえろうと思いやしたが、おっつけお迎いだと申しやすから、あとをつけておきました」 朝比奈の馴染みのお鶴は山本に出ているが、お秀は強引につぎを予約してきたのだ。やはり、凄腕だった。 ややあって、下女のお稲が女郎ふたりを座敷に案内してきた。 「もし、どなたも、お出なせえし」 お虎は十七歳くらいで、紫絽の単衣に茶緞子の帯を締めている。お富は二十歳くらいで、丹後縮緬の単衣に黒繻子の帯を締めている。 組み合わせは、十郎とお虎、団三郎とお富ときまった。 芸者と幇間も座敷に来て、ひと騒ぎしていると、女郎のお鶴が山本を終えてやってきた。これで、朝比奈の相方もそろった。 いよいよ床入である。 お虎とお富がいったん座敷を出て、仕懸文庫に入れて持参した床着に着替えてきた。お虎は小紋縮緬の単衣、お富は越後の帷子だった。ふたりとも紙入を、帯の前に縦にしてはさんでいる。 「モシ、どなたも、あちらへ」 と、女中のお滝が寝床へ案内する。 幇間と芸者は、 「さようなら、ご機嫌よう」 と、あいさつしながら、引きあげる。 朝比奈、十郎、団三郎が案内されたのは八畳の座敷だった。仲町で屈指の料理茶屋の尾花屋でも、割床だった。つまり相部屋で、八畳の座敷を屏風で仕切っただけで、三組の男女がことにおよぶことになる。もちろん、おたがいに声は筒抜けである。 寝床も、麻の布団に、比翼茣蓙、麻の夏夜着、それに焼印を押した勘略枕だった。 お鶴、お虎、お富が寝床にやってきた。 さっそく、割床での房事が始まる。 いっぽう、船頭の久三は階下の船頭部屋で、他の船宿の船頭と煙草をくゆらせながら無駄話をしていた。客の三人は昼遊びである。夜がふけるまえに帰宅する予定のため、久三はお楽しみが終わるのを待ち受けるというわけだった。 ほかの船頭もみな同様である。 船頭部屋の片隅では、丁半博奕が始まった。 (終わり) 第19話(その一)へ |