江戸の風俗八百八店

永井義男

第19話 両国辺の夜鷹(その一)

 夜鷹は俗に蕎麦一杯の値段で、あるいは二十四文で春をひさぐといわれる街娼である。物陰で、路上にゴザを敷いて商売をおこなう。川柳では、夜鷹と本所吉田町(現在の東京都墨田区石原四丁目の一帯)は密接な連想となっていて、

 たわれ男のはな散る里は吉田町
 安もののはなうしないは吉田町

 などの句は有名である。
 夜鷹には悪性の梅毒持ちが多いため、うっかり夜鷹を買うと感染して鼻が落ちるという意味(梅毒が進行すると鼻が落ちるといわれた)。しかし、本所吉田町の路上に夜鷹がずらりと並んでいたわけではない。吉田町の裏長屋に多数住んでいたのだ。いわば夜鷹の巣だった。日が落ちると、商売道具のゴザを抱えて吉田町から江戸のあちこちに向かったのである。吉田町のほか、四谷鮫河橋、下谷山伏町も夜鷹が多数住んでいることで知られている。なお、夜鷹は野外での営業であるため、牛(ぎゅう)と呼ばれるヒモ兼用心棒が付き添っていた。
 天明三年(一七八三)ころの両国橋の西側、現在の東京都中央区東日本橋二丁目あたりの夜鷹である。


 回向院の入相の鐘が響く。
 箱提灯をさげた中間の源助と、革羽織を着た足軽の伝内が歩いていた。ともに、番町にある大身の旗本屋敷に奉公している。
 源助がぼやいた。
「なんと、伝内さん、おいらが内のようないまいましい屋敷は、番町中にもあんめえさ。マア、聞いておくんなえ。けさは明け六ツ(夜明けごろ)から起きて、旦那の迎えにお城に行き、下馬先できんたまの引っ張るほど待って、それからすぐ暑気見舞いに五、六軒引きずり回され、帰るや否や奥向きの買物、それがすんだと思ったら、本所へお使いだ」
 伝内も不満を言う。
「飯の盛り切りには困るなァ」
 ご飯は盛りきり一杯で、お代わりはできなかったのだ。
「それに御用人の金太夫めが横柄で、お部屋さまの人使いの悪いときたもんだから、いけねえのさ。聞けば、ことしも御知行に水が出て、田の植え付けができねえそうだ。また、給金もろくにくれめえなぁ。いっそやけくそで、使いの帰りには、一杯ひっかけべえなぁ」
「俺もきょうは、草鞋を売った銭が百五十あるから、呑んでもよけれど、貴様、いつものようにいざこざをやらかすなよ」
 伝助は内職で草鞋を作っていたのだ。
 酒癖の悪いのを指摘された源助は、
「そりやァねえのさ。けさも、下馬先で待っているあいだ、屋台見世で八文のスルメで十六文ほど呑んだがね」
と、江戸城の下馬先で飲んできたことを自慢した。
「ともかく、使いを終えてからのことさ」
 ふたりは、本所一ツ目のほうに急ぐ。
 途中で、夜鷹ふたりと、牛の三人連れとすれ違った。本所吉田町の裏長屋を出て、営業場所に向かうところだった。
 夜鷹のお千代とお花はともに柿渋色の単衣を着て、太織の帯を締めている。牛の又兵衛はお千代の亭主で、紬縞の単衣を着て、唐傘をかついでいた。
 後ろから、又兵衛がふたりに言った。
「夏になると、冷やかしばかり多くって、銭になるやつは少ねえぞ」
 お千代が嫌味っぽく言った。
「お花さんなんざぁ、若い客がつくからいいわな。きのうも、いい客がついたそうだ」
 お花が首を振った。
「きのうの客は大工の小僧だから、木っ端を横流しして小銭を稼ぐのがせいぜいさ。たいした金はないよ」
 又兵衛が言った。
「いんにゃ、おまえはよく売るよ。おいらがお千代なんざあ、冷酒を呑むのはじょうずだが、客を取るのはへたさ」
 お千代が言い返した。
「そう言いなさんな。いま、おまえさんの着ていなさる織縞の単衣は誰が着せたと思いなさる。いけあつかましい」
 又兵衛はピシリとやり込められたが、とくにこたえた様子はない。鉄面皮だからこそ女房に夜鷹をさせ、自分は牛をやっているのだ。
 三人で話をしながら両国橋を通って隅田川を渡り、西詰の両国広小路に出る。

                              (続く)


第19話 両国辺の夜鷹(その二)

「逢いそめてより一日も、烏の啼かぬ日はあれど、お顔みぬ日はないわいな……」

 新内節を口ずさみながら歩いているのは、吉兵衛である。
 麻の葉模様の真岡木綿の単衣に、黒紗綾の帯を締め、手ぬぐいを肩にかけていた。
「吉じやァねえか」
 声をかけてきたのは辰蔵である。
 大縞の縮の単衣に丸絎の帯を締め、日和下駄をはいて、手ぬぐい頬被りをしていた。
「おお、辰けえ。おのしやァ、どけえ行くのだァ」
「どこやらで酒でも飲むべえと、御自身でお出で遊ばすところだァ」
「わりやァ、銭があるかえ」
「博奕で負けた残りが、ここによ」
 辰蔵はふところを叩いた。
 吉兵衛も博奕の負けを自慢した。
「俺もきのう、二貫と百かぶった。おのしやァ、このごろは商売にやァ出るかえ」
「きのうは夕河岸で仕入れた鯵を売ったが、もうけはわずか百五十文。これじゃあ、水も飲まれるこっちゃァねえ。まあ、こんなことはぐっと流しにして、いっしょに遊びに行かねえか」
「マア、先へ行きやな。おらあ、広小路に夜鷹が出ているか見てくらぁ」
「こいつ、よっぽど丸め込まれたな」
 ふたりはそこで別れた。
 吉兵衛は両国橋で隅田川を越える。
 両国橋西詰の両国広小路は、明るいうちこそ各種の屋台見世や茶屋などが建ち並んでにぎやかであるが、夜がふけると森閑としている。
 お花は顔馴染みの吉兵衛を見て、声をかけた。
「モシモシ、吉さんじやァねえか。寄んねえな」
「オオ、とんだ早く見世を張ったな」
「今夜は、おめえさんがおそいのだ。今まで、どこで何をしていなさった」
「きょうは昼間っから、知り合いのおごりで呑んでいたという筋書きよ」
「おめえさん、また博奕に行くのか。よしにしなせえ。また負けようと思って」
「おきやァがれ」
「コレ、この簪を見な」
「焼付か。とんだいいぜ。コレ、てめえ、このごろは、とんだはやるそうだな」
「なぜえ」
「髪の毛が、豪儀に犬の糞のにおいがするからよ」
 吉兵衛は、路上での商売をからかった。
「なんのこったな。よしなよ。サア、ちっと寄んねえ」
 と、お花が袖をとらえ、強引に暗闇に引っ張りこむ。
 吉兵衛もまんざらではない。そのまま、お花のあとに続く。
 暗い場所に敷いた茣蓙の上で、お花が男の一物を握って、しばらく手でしごく。じゅうぶん固くなったと見るや、自分の裾をめくって脚を広げた。
「さあ、きな」
「じゃあ、いくぜ」
 吉兵衛がのしかかる。
 そのまま挿入し、あとは気をやるだけである。
 そこへ、中間の源助と足軽の伝内が通りかかった。源助はもうへべれけに酔っている。
「アア、危ないぞ、これさ、そこには水があって」
 伝内が、ふらふらする源助の腕を取った。
「エエ、離しなせえナ。なんの、あれくれえの酒に酔ってたまるものでごぜえすか。まだ一升や二升はお茶の子さ」
「それでも、よろけるわな。提灯をこっちへ寄こさっせえ」
 伝内が、源助の持つ箱提灯を奪い取った。
「こりゃあ、すげえあねさんたちがおそろいだ。顔に白粉を塗ったは、塗ったは。こうまで塗るにやァ、うどん粉が一合五勺、水が八分目よ。玉子を入れたら、夜鷹のカステラができやしょうぜ。伝内さん、寄る気はねえかえ」
 夜鷹がたたずんでいるのに気づいた源助は、酔眼で物色しながら、言いたい放題のごたくを並べる。

                         (続く)


第19話 両国辺の夜鷹(その三)

 酔っ払いがおだをあげていると商売にならないため、牛の又兵衛が出てきた。源助も伝内も武家屋敷の奉公人と見て、いちおう低姿勢である。
「モシ、おめえがた、ちっとそこをお明けなさってくださいまし。お頼み申します」
 源助はますます図に乗った。
「あんまり邪魔にするない。おいらも客だぞ。したが、どの面もひでえものだ。こいつは二十四文では高いぜ。十六文にまけやれな」
 お千代がいまいましげに言った。
「エエ、憎ったらしい」
 伝内が、横から源助をなだめる。
「これさ、おそくなると、御門がやかましいぜ」
「今夜はお使いに出たのだから、おそくなってもようごぜえす」
 源助はいっこうに聞き入れず、お千代に向かって言った。
「ここに、呑み残しの十五文があるから、これでまけろ」
 又兵衛もたまりかね、
「モシ、もうお通りなさい。人立ちがあると、ほかのお客がいやがって、わたくしどもの商売ができましねえ。モシ、これさ、ちっとお頼み申します」
 と、源助の体を押しのける。
 はずみでよろけた源助の体が、伝内が持つ箱提灯にあたった。
「これ、危ねえわい」
 伝内が叫んだ。
 提灯が激しく揺れている。
 源助も酔いの勢いで怒鳴りつけた。
「このべらぼうめは。突きのめしやがったな。コレ、提灯が破れたぞ。これじゃあ、屋敷に帰って言い訳がきかない。その上、武士の扶持を喰っている男が、素町人に突きのめされちゃあ、いちぶんが立たねえ」
 又兵衛はともかく謝り、なだめる。
「わたくしの粗相でござります。お提灯に傷がつきましたら、ご了見なすってくださりまし」
 そこへ、お千代が出てきた。
「提灯に傷などつきやァしねえ。もとから破れていたのだ。うっちゃっておきなせえ。こんな連中を怖がっていて、この土地に商売に出られるものか。この唐変木め」
 源助はカッとなり、
「もうこうなれば、破れかぶれだ、片っ端から、どいつもこいつもぶっ切ってやるべい」
 と、鞘の塗りの剥げた脇差に手をかけた。
 伝内はあわてて、
「コレ、気が違ったか」
 と、源助を止めにかかる。
 お千代が啖呵を切った。
「面白いはえ。ちっと切られべいわえ。しかし、うぬの脇差では赤ん坊の臍の緒を切るのがせいぜいだろうよ」
 又兵衛もあわてて、
「おい、もうよせ」
 と、女房を抑える。
 だが、お千代はなおも、
「ええ、おめえさんも気の弱い。こんなやつらに、言いたいことを言わせておくことはねえ。ぶちのめしてやるべえ」
 と、まくしたてながら、大肌脱ぎになる。
「ないィ」
 源助がお千代につかみかかる。
 男と女の取っ組み合いが始まった。
「おのしやァ、お使い先でもめごとがあっちゃあ、俺が困る」
 と、伝内はおろおろしている。
 又兵衛は必死で女房と源助のあいだに割ってはいる。
 茣蓙の上でことにおよんでいたお花と吉兵衛も、さすがに中断して駆けつけた。
 みなでふたりを分けようとする。
 この騒ぎに、両国橋の橋番もやってきた。六尺棒で又兵衛やお千代を威嚇しながら、
「なにを騒々しい。もし、お屋敷さん、夜鷹相手に、どうしたもんでごぜえす。サア、かまわずと、早くお出でなされやせ」
 と、源助と伝内にさっさと退散するよう、うながした。
 伝内がなだめながら、
「さあ、行きやしょう」
 と、源内を連れ去る。
 ふたりの姿が消えたあと、又兵衛が機嫌をとるように言った。女房がこれほど激昂したことに驚き、かつ心配していたのだ。
「お千代、どうした。相手は生酔いだ。ムキになることはねえ」
「それだって、あんまり太平楽をぬかすからのことよ」
 お千代はふてくされて言い返したが、声に涙がまじっていた。
 このところ、客の食いつきが悪い。やはり、あせりの気持ちがあるのだった。

                          (終わり)


第20話(その一)へ


ご意見ご希望、どうでもいいお話も  くろにかメール まで