第20話 回向院前(その一)
回向院の門前には、「土手側」と「六間」とよばれる岡場所があった。現在の、東京都墨田区両国二丁目の一帯である。この回向院前の遊里については史料がほとんどないため、不明な点も多いが、女郎は金猫、銀猫とも呼ばれたようだ。金猫は値段が金一分、銀猫はその半額の二朱である。江戸の遊里を評価した『江戸遊里花』(天明年間の印本)によると、「回向院前土手側」は「上上士」という格付けになっている。「士」は、「吉」から「口」を減じた趣向である。ちなみに、「大極上上吉」(第一位)に評価されているのは「吉原」で、「極上上吉」(第二位)は「品川宿」、「大上上吉」(第三位)は「深川仲町」と「深川土橋」である。回向院前土手側の「上上士」という評価は、全体では中の下ぐらいであろうか。
安永四年(一七七五)ころの、回向院前である。 土手側にある茶屋の暖簾をくぐってどやどやと入ってきたのは、捨吉、宗長、遠蔵、又八という遊び仲間である。 「これは、これは、おいでなされやした。サア、二階へ」 女中のお時が四人を二階座敷に案内し、まず茶を出す。 捨吉がさも心安げに、 「これ、お時、きょうは大勢で来た」 と声をかけ、やや得意そうである。 お時は内心、捨吉とその仲間をさほど歓迎していないのだが、そんなことはおくびにも出さない。 「おめえさんがた、どなたぞお呼びなんしの」 さっそく女郎を呼ぶように勧めた。 回向院前では、いったん女郎を茶屋に呼び、そこで床入するのが一般的だった。 捨吉が口火を切った。 「誰にしような。お梅はいるか」 「お梅さんは引込みなされやした。最近、深川からきたお袖さんになされやし」 「新造じゃねえか」 「いいえ、中年増衆サ。いい子でござりやす」 「ほんにか。そんなら、それにしよう」 階下から呼んだ。 「お時どん、お時どん」 「へーい」 お時はいったん下へおり、銚子と硯蓋を持って座敷に戻ってきた。 「サア、ひとつ、おあがんなんし」 「酒は、あとでも呑めらぁ。捨坊にお袖を買わして、俺がお幾を買わァ」 遠蔵も女郎を指名した。 又八がすねたふりをして、 「俺は誰も買う者がねえ。宗長さん、おめえ、誰を買う」 「俺か。コレ、お歌はあいているか」 宗長がお時に尋ねた。 「鶴屋に出ておいでなされやす。五ツ(午後八時ころ)立ちの客衆だそうサ」 「そんなら、お美奈にしよう」 横から、捨吉が知ったかぶりで助言する。 「コレ、お美奈より、お勘がいいぜ。又坊は誰にする」 「コウト、俺はそんならお伊代にしよう」 お時が怒り出した。 「ええ、もう、色々なことを言いなさるから、とんちゃんして知れやせぬ。早くしっかりと決めなせえ。小じれってえ」 捨吉がニヤニヤしながら、 「よしよし、決まった、決まった」 「そんなら、なにかえ、遠さんはお幾さん、捨さんはお袖さん、又さんは……」 「俺はお伊代にすらァ」 「宗長さんはお勘さんかえ」 「うむ」 「そんなら、口をかけてまいりますよ」 と、お時は階段をおり、裏道伝いに寄場に向かう。 寄場はいわゆる見番で、女郎の名前を書いた木札がかけてあり、いま呼べるかどうか、どこの茶屋に出ているかなどがわかる仕組みになっていた。 (続く) |
第20話 回向院前(その二)
お時が寄場に向かったあと、四人は酒を呑み始めた。
小女が丼に入れた肴を運んできて、そのまま四人の酌をする。小女はまだ女郎として客を取る前の雑用係で、吉原などの禿に相当する。 「座敷がさびしい。芸者を呼ぼうじゃねえか」 又八が芸者、つまり幇間を呼ぼうと提案した。 「無駄な。無駄な」 捨吉が顔をしかめた。通を気取っているが、実際はかなりケチである。余計な金がかかりそうなことには反対するのがつねだった。 小女がけしかける。 「ようござりやしょう。サアサア、お呼びなされませ。岸太夫さんがようござりやす。いっそ哀れなことを語りやすよ」 捨吉が小女に言った。 「コレ、てめえ、水揚はすんだろうの」 水揚とは、最初の客を取ることである。幼いころに岡場所に売られてきた小女にとっては、処女喪失の意味もある。 「エエ、モオ、色々なこと言いなさる。捨さん、わっちゃいや」 遠蔵も一緒になってからかう。 「アレ、いやと言った顔がとんだいいぜ」 「そんなことを言いなさらずと、岸太夫さんでもお呼びなされやせ。呼んでまいりやす」 小女は意趣返しもあって、さっさと階下におりると、勝手に岸太夫を呼ぶ手配をしてしまった。 入れ替わりに、茶屋の女将が座敷にあいさつに現われた。 女将の酌で、四人は杯を重ねる。 しばらくして、幇間の岸太夫と三味線弾きが登場した。まずは、杯をあたえたあと、又八が催促した。 「コレ、太夫、何ぞひとつ」 「はい、はい」 岸太夫が見台を出し、三味線弾きは糸の調子を合わせる。 浄瑠璃を一段語っているとき、お袖、お幾、お勘、お伊代がやってきて、階下から声をかけた。 「おばさん、おばさん」 座敷で一緒に浄瑠璃を聞いていた女将が答える。 「あがりなせェ」 「あい」 四人の女郎は階段をあがってきたが、お袖とお幾は座敷に捨吉と遠蔵がいるのに気づいた。 「ついぞねえ」 ふたりは階段の途中から、そのまま引き返してしまった。 お勘とお伊予だけが座敷に入ってくる。 捨吉と遠蔵も露骨な仕打ちを受けて、ムッとした。 「なぜ、おりた」 女将が気の毒そうな顔をして、 「どうも、あの子たちはよくねぇぞ。悪い癖だよ」 と言いながら、調停のために座敷を立った。 階下で、女将はお袖とお伊予に事情を尋ねた。 ふたりは、捨吉と遠蔵に対する憤懣を爆発させた。 「あの男とは、深川でちょいともめたことがあってね。二言目には『おらぁ江戸っ子だぁ』と江戸生まれを自慢するくせ、しみったれでね」 「あの男にはうんざりさ。しつこいこと、しつこいこと。二番も三番もトボして、もとを取ろうという魂胆だから、たまらないよ」 口々に、嫌悪感をぶちまける。 女将はとても無理と見て、座敷に戻ってくるや言った。 「モシ、捨さん、遠さん、どうもお袖さんとお幾さんは、おまえさん方には出られねぇと言いなさりやす。誰ぞ、ほかの者になされませ」 捨吉と遠蔵は面子を潰され、ムキになった。 「なぜだ、なぜだ。なぜ出られねえ。ここらの女郎風情が、出るの出られねえのと、馬鹿を言うな。出られざァ、引きずってこい。ふてえやつらだ」 「もう、帰ろう。いまいましい」 女将も困りきる。 「モシ、お帰りなさるのか」 ふたりは立ちあがる気配を見せ、 「知れたことだ。おもしろくもねえ。六間へ行って遊ばァ」 と、あてつけに回向院前の別な岡場所を引き合いに出した。 宗長と又八が口々になだめた。 「やかましく言っちゃあ外聞が悪い。誰かほかの者にするがいい」 「そんなことを言うと、おいらも一緒に帰るぜ。きょうのところは了見して、誰でもほかの者を買うがいい」 捨吉と遠蔵にしても、本音では途中で帰りたくはない。「そんなに言うなら」と、渋々という様子で座った。 女将が代案を示し、 「新造をお買いなされやせ。コレ、お時や、お村さんとお澄さんを、お呼びましや」 と、捨吉にはお村、遠蔵にはお澄という女郎をあてがった。 捨吉と遠蔵もようやく承知した。 「乗りかかった馬だ」 「誰でも買ってかえろう」 女将が座敷の雰囲気を変えるため、 「サアサア、ご機嫌が直った。岸太夫さん、わっさり何ぞひとつ」 と、浄瑠璃を所望した。 ようやく、座敷も落ち着く。 岸太夫が一段語り終えるまでには、捨吉と遠蔵の相方女郎もやってくるであろう。 (終わり) 第21話へ |