江戸の風俗八百八店

永井義男


第24話 西河岸

 吉原は周囲をお歯黒どぶと呼ばれる堀で囲まれた、東西百八十間(約三二八メートル)、南北百三十五間の方形の土地である。この総坪数およそ二万一千坪の区画のなかに、俗に言う「遊女三千」のほか、女郎屋の従業員や、関連する商人、職人、芸人などあわせて約一万人が生活していた。吉原は岡場所や宿場の女郎屋にくらべて高級であり、金もかかるが、その分女郎も教養があり、遊里文化が開花した華やかな世界とされている。総じて言えばその通りなのだが、例外もあった。吉原の西側と東側には、お歯黒どぶに沿って、西河岸と羅生門河岸と呼ばれる河岸見世が並んでいた。河岸見世は最下級の女郎屋で、チョンノマ百文からあった。同じ吉原という区画のなかにありながら、西河岸と羅生門河岸は別世界だったのだ。
 天明九年(一七八九)ころの西河岸である。

 
 寒さにふるえながら、狭い路地を歩いているのは源太、久兵衛、政吉である。
 三人は金がないため、せめて河岸見世に登楼し、あとで友人たちには「吉原で遊んできた」と自慢するつもりだった。
「ここをちと見よう。ハハア、おもしろい狸だわえ」
 政吉が格子越しに女郎の顔を見て品評した。
 源太も負けずに、火鉢の火を掻き立てている女郎を評した。
「こっちらの火いじりをしている女郎は、ひたいを金槌でふたつほど喰らわせたという面だぜ」
 久兵衛がせかす。
「早く、どこへでも決めて上がろう。また、引けを打つと、まごつき提灯だ」
 前回は、あまり女郎の物色に時間をかけすぎて引け四ツ(午後十時ころ)になってしまい、まごついたのだ。
 ついに、源太が一軒の女郎屋に決めた。
「ここへ、上がりはどうだ」
「サアここへ、上がろう、上がろう。寒くってならねえ」
「上がるがいい、上がるがいい」
 政吉は脱いだ履物を手に持ったまま、なかに上がりそうになった。
 女郎屋の若い者が政吉に言った。
「お履物はこっちへ」
 若い者といっても、すでに初老の年齢である。
「大見世へ行った癖が失せねえ。いまいましい」
 政吉が負け惜しみを言う。
 久兵衛が茶化した。
「性を現わすの」
「お見立てなされまし」
 若い者が三人に女郎を選ぶよう言った。
 源太、政吉、久兵衛は階段の途中に立って、それぞれの相手を決めたあと、二階に上がった。
 河岸見世は廊下も狭く、窮屈である。
 若い者がいったん、まわし座敷に通し、
「マアちょっと、ここにおいでなすってくださいまし」
 と、しばらく待つように言った。
 わずか三畳の部屋である。三人は座る気にもならず、立ったままで言いたい放題を言った。
「豪儀に焼け穴のある畳だ。道楽者の布子を見るようだ」
「置炬燵で寝忘れたのさ」
「この唐紙は、頼朝公以来という道具立てだな」
 そのあいだに、若い者は女郎の部屋を手早く掃除し、行灯の火をかき立てたると、
「サア、こちらへ」
 と案内したあと、階下に去った。
 三人は女郎の部屋に落ち着くと、おたがいに無駄口を言っていたが、そのうち久兵衛が勝手に用箪笥の引き出しを開けて、なかを調べ始めた。
「ビイドロの熊手一本、膏薬、万金丹ひと包み、長房の楊枝、悪紙……」
「これ、よさっせえ。悪い洒落だ」
 政吉は久兵衛をたしなめながらも、自分も箪笥の上の土鍋の蓋を開けた。なかには、冷たくなった甘酒が半分ほど入っていた。蓋のついた茶碗のなかには、数の子が入っている。
「まんざらでもねえ」
 久兵衛は数の子をひとつつまんで口に入れた。
「こいつァ冷てえ」
「もう、よさっせえ」
 源太が止めた。
 そのとき、若い者がお定まりの杯台や銚子を持参した。
「おひとつ、おあがりなされまし」
 源太が若い者に、
「これ、おじいどん、こんたに頼みがあるぜ。玉屋の雑煮を買ってきてくだせえ。そして、水道尻の相生屋の蕎麦をあつらえてきてくだせえ。それ、頼みます」
 と、南鐐を一枚放り出した。
 南鐐二朱銀一枚では、若い者にとって手間賃はほとんどない。腹のなかで、「しみったれめ」と毒づきながらも、
「かしこまりました」
 と引き受けたあと、
「サア、みんな、おいでなせえ」
 と、女郎を呼ぶ。
 三人の相方女郎が現われた。
 花代は二十二、三歳くらいで、底意地の悪そうな顔をしていた。着古した紫色の打掛を着ている。
 月の戸は十九歳くらい、両方のこめかみに頭痛封じの紙を貼っていた。元の色は御納戸か藍鼠かわからない小袖を着ている。
 最後は雪の戸で、大見世から流れた振袖を着ていた。
 まずは、杯のやり取りがある。そのうち、源太が頼んだ雑煮や蕎麦も運ばれてきた。
 ころあいを見て、若い者が言った。
「ちと、片付けやしょう」
 寝床の準備をするということだった。
 三人の女郎はいったん階下に行き、床着に着替える。
 源太と久兵衛は一緒に小便所に行った。
 連れ小便をしながら、久兵衛が声をひそめた。
「おい、おめえの女郎の首は、ひっぱると取れそうだね」
 月の戸の首が異様に細く長いことを指摘した。
「悪い色の女郎だ。なんでも、病があるよ」
 源太も月の戸を見立てたことをちょっと後悔していたが、せずに帰る気持ちは毛頭ない。登楼した以上、意地でも一番トボすつもりだった。

                            (終わり)
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