第28話 揚屋町(その一)
吉原には、時代によって多少の増減はあるが、およそ三千人の遊女(女郎)がいた。そのほか、妓楼(女郎屋)の奉公人、茶屋や台屋など関連の商人、生活全般に関する商人、芸者や幇間など芸人、大工などの職人などなど、合わせて約一万人が住んでいた。お歯黒ドブで囲まれた吉原は、まさにひとつの都市だった。
俗に「吉原五町」といわれるように、吉原はいくつかの地域に分けられていたが、なかでも揚屋町と呼ばれる一帯の路地奥には、裏茶屋がひっそりと営業していた。 裏茶屋は、いわゆるラブホテルである。本来は客と寝ることが許されない芸者が、人目を忍んで客と密会する。あるいは、妓楼の楼主や奉公人は遊女に手を出すのは禁じられているため、こっそり会って情交する。さらには、遊女がイロ(情夫)としばしの逢瀬を楽しんだりする場所だった。 江戸には不忍池の周辺などにラブホテルというべき出合茶屋が多数あったが、吉原にはなんと関係者専用のラブホテルがあったことになる。 一般に恋愛心理や情欲には、「禁じられるほど燃え上がる」という傾向があるが、それにしても、人間の業はつくづく深いというべきであろう。 天保七年(一八三六)ころの、吉原揚屋町の裏茶屋である。 揚屋町の路地の入口に、「桐屋」という掛行灯がかかっていた。裏茶屋の目印である。 細い路地の奥のほうをのぞくと、同じような掛行灯を門口にかかげた建物があった。 芸者のお奈美はあたりをすばやく見回したあと、すっと路地に入り込んだ。そのまま路地を奥のほうに進む。 紺地に白く桐の紋を染め抜きにした半暖簾をくぐると、たたきの沓脱ぎに根府川石がすえられ、麻の葉組の障子を立て、かたわらに枝折戸があって、内側は三畳敷きくらいの小さな庭が設けてあった。 庭には春日の燈籠、唐銅の手水鉢があって、植えられている木は槙と桐の二本だけである。 軒にかけた風鈴には、なにやら俳句の短冊が結び付けられていた。手水場の入口にはギヤマン(ガラス)の簾がかけられている。 お奈美は入口の腰高障子を細めに開けて、そっと声をかけた。 「はい、ご免なさいまし」 桐屋の女房はすでに心得ているため、 「おや、お奈美さんかえ。早くお上がり。先刻からだよ」 と、男が待っている座敷を目で知らせる。 「すぐにまいっても、ようございますかえ」 「ああ、よいよ」 「そんなら、ご免なはい」 お奈美は踏み石伝いに、離れ座敷に向かう。 藤太郎は待ちかねて、ひとりで酒を呑んでいた。 「どうした、出にくかったか。俺ァ、あまりおそいから、所詮来めえかと思っていた」 「人の気も知らないで」 お奈美が男をにらんだ。続いて、涙がにじんでくる。 いったい自分はどうしてしまったのだろうと、お奈美は自分で自分がじれったい気がする。もう会うのはやめようとも思うのだが、藤太郎から呼び出されると、いつのまにか足が裏茶屋に向かっているのだった。自分で自分を制御できなかった。 藤太郎は、妓楼青葉屋の女郎花野の馴染み客である。お奈美は藤太郎と花野の座敷に呼ばれたことがきっかけで知り合い、いつしか深い仲になった。吉原の芸者は客と寝ることを固く禁じられている。まして、出入りの妓楼の花野の馴染み客である。もしばれたら、ふたりともただではすまない。 しかし、人に知られたらどうしようという不安と恐怖、こっそり密会しなければならない不自由や滅多に会えないという不便などの障害が、かえってお奈美を駆り立てるのだった。 「あまり、ゆるりとしちゃあ、いられないよ」 お奈美はさっさと帯を解き、緋縮緬の長襦袢になった。 さあ、早くしようといわんばかりである。 そんな女の焦燥を楽しむかのように、藤太郎はことさらに猪口を傾け、なめるように酒を呑んでいた。 「まあ、おめえも一杯やれよ」 (続く) |
第28話 揚屋町(その二)
「アレサ、もう酒はおよしよ。およしと言うによ。まことに依怙地だのう。そんなに呑んで酔うと、かの事ができねえハな」
お奈美が男の体をつついた。 藤太郎は酔いで、目が充血していた。 「馬鹿ァ言え。五合や一升の酒に酔ってたまるものか。その代わりにやァ、するほうも五番や十番はびくともしねえ」 「もうおよしよ。おまえさんの酒好きにも困るよ」 「てめえの魔羅好きにも困るよ」 「また、ふざける」 お奈美が怒って、男の手から猪口をひったくった。 「コレ、そんなにせくなあェ」 「フフン、憎らしい悪落ち着きだよ」 お奈美が男の体に抱きついた。 藤太郎はなおもからかう。 「コレサ、ゆっくりしてもいいじゃあねえか。魔羅も逃げやしめいし」 「アイサ、わっちゃあ、おめえさんの物が大好きさ。ほかの男の物は嫌いだが、どういうわけか、おまえさんの物だけは好きだよ」 「おきやァがれ」 口では冷淡なことを言いながら、藤太郎の手はいつしかお奈美の股のあいだに入っている。 「よく積もってもおみな。おまえさんはほかに色々と面白いことだらけだから、平気でおいでだが、わっちやァこのごろは、座敷へ出ていても、おまえさんのことを考えると、お客を勤めている空はねえ。もうもう、辛くってならねえわな。まだしも、こうして会うのばっかりを楽しみにしているものを、そんなにじらさずと、察しておくれな」 お奈美は涙ぐんだ。 藤太郎も神妙な顔になった。 「ソウサ、俺もあちこちに不義理はできるわ……。まあ、どうにかする。案じるな」 「モウわっちやァ、真にこの商売をしているのはいやだよ。早くどうにかして、かたを付けておくれよ」 藤太郎は妓楼や茶屋に多額の借金があったが、そのうちのかなりの額はお奈美の信用で借りたものだった。このままでは、藤太郎はもちろんのこと、お奈美まで抜き差しならぬ状況におちいってしまうのは目に見えていた。 「なにもかも俺が胸にあるから、ぶん流しておけエ。モウ、よしやな。ふさがァ。サアサア」 藤太郎が女を抱き寄せる。 「アイ、おや、気のきかねエ。まだ、床をとらねえ」 お奈美は座敷を見まわし、寝床がまだ用意されていないのを知った。桐屋の奉公人の不手際に不満を述べる。 「ナニ、床もなにもいらねえ。ここでいい」 藤太郎は女の背中を押して、畳に両手をつかせた。長襦袢の裾をまくりあげ、後取りにかかる。 お奈美はその体位をいやがった。 「アレサ、これじやァ、抱きつかれねえから、本当にしておくれよ」 藤太郎は後ろから強引に挿入しながら、 「アア、これで一番して、あとは本手、そのあとは茶臼でしてやらあ」 と、うそぶく。 お奈美が、あたりをはばからぬ声であえぎ始めた。 「アレサ、アアア、どうもどうも」 「どうでえ、どうでえ」 藤太郎はぐいぐい腰を使う。 自分の精力には絶大な自信があった。また、その精力を女に向けているあいだだけは、自分が引き起こした不義理から生じる様々な不安も忘れていられるのだった。 (終わり) 第29話へ |