第3話 品川宿
東海道の第一の宿場である品川は、吉原と並び称せられる江戸の遊里でもあった。吉原と品川はなにかと対比され、吉原は北国、北州、品川は南国、南州などとも言われた。品川には飯盛旅籠屋と呼ばれる女郎屋があり、道中奉行から五百人の飯盛女(宿場女郎)を置くことを許可されていたが、実際にはそれよりはるかに多い女郎がいることは公然の秘密だった。天保十四年(一八四三)に関東取締出役がおこなった調べでは、品川宿全体で九十四軒の女郎屋があり、千三百四十八人の女郎がいたという。
天保八年ころの品川宿である。 吹く風はすでに秋の気配を感じさせるが、陽射しはまだ強い。 宿場は相変わらずの雑踏だった。ひっきりなしに行き交う旅人や駕籠、荷物を積んだ馬などに加え、女郎屋が目的で繰り出してきた男たちも歩いている。また、そういう人出をあてにして、道端にはスイカの切り売り、ゆで卵、トウモロコシの醤油の付け焼き、ニシンの煮付け、スルメの付け焼き、ウナギの蒲焼などの屋台店が並んでいた。 屋台店の食べ物の香りは、窓の障子を開け放った女郎屋の二階座敷にまでただよってくる。 女郎のお豊が団扇で風を送りながら、 「きょうは暑かろう。ちょいとした酒と肴を頼んだよ」 と言った。 二十歳くらいで、茶色縞の縮緬の着物に中幅の帯を締めていた。 「暑いわぇ。ここに来る途中、よいスイカがあった。取りにやれ」 と言ったのは、馴染みの客の八兵衛である。 やや浅黒いが、苦みばしった顔をしていた。絣の単物を着て、博多帯を締めている。 しばらくして、若い衆が酒と肴、切り売りのスイカを運んできた。座敷はわずか二畳である。たちまち、足の踏み場もないほどになった。 ふたりはさしつさされつ、酒を飲む。 「この前に言った、浴衣のことだけどね。ことしは木綿が高いので、値が張るよ」 「いくらだ」 「仕立賃込みで、三両とちょっと。先日、客人に祝儀にもらった三朱があるから、おまえさん、きょうは二両と一朱おくれよ」 八兵衛は黙って煙草を吸っていたが、ポツリと、 「ちと、きょうは都合が悪い」 「それじゃ困るよ」 お豊は下を向いたきり、目に涙を浮かべている。 八兵衛は苦りきり、 「どうかしてやろう。まあ、ひとつ、つげ」 と、猪口を差し出す。 お豊は徳利を持ちあげて酌をしながらも、なおも浴衣のことを言った。 「こしらえてやると言うのに。くどい女だ」 八兵衛は猪口を置き、お豊の手を取った。 いったんしなだれかかったお豊は、 「ちょいと待っとくれ」 と言いながら、手早く徳利や皿、鉢などを廊下に出した。 廊下に面した障子を閉め、片隅にたたんであった布団を敷く。それだけで、二畳の座敷はいっぱいになった。 ふたりは汗ばんだ素肌を合わせる。 お豊はぜひとも金をせびり取るつもりだけに、いかにもせつなげな声をあげて、男の臀部を引き寄せた。 いっぽう、襖一枚で仕切られただけの隣りの座敷では、女郎のお吟が客に手を焼いていた。 二十歳くらいの若者で、松戸あたりの農民だった。縞木綿の単物を着て、浅黄紗綾の夏帯を締めていた。そばに、さきほどお吟が無理やり脱がせた紺の脚絆が落ちている。 「お客さん、そんなに堅くなってばかりいては、ナア、暑いから、ちと肌脱ぎな」 と言いつつ、お吟が団扇で風を送った。 若者は体を硬くしたまま、 「おらは用事があって、けさは暗いうちに出立して、亀戸村に親類があるからうどん粉とヒキワリを一袋持っていって、そのあと行くところがあるのを、おまえたちが三、四人で寄ってたかって、おらを無理無体に連れ込んだ。おらをどうする気だ。ことによっては、名主どのへも届けにゃならぬ。名主どのが留守なら、組頭どのでもええ」 「おまえさん、冗談ばかり」 「うんにゃ、遅うなると、泊るところが知れねえようになるし、腹も減る」 「旅籠屋に泊ると諸色が高いから、三百や三百五十文は取られましょうよ。ここにお泊りなさい。飯でも酒でも取り寄せてあげますから。すぐ近くが湯屋だから、汗も流せますし」 お吟がことばをつくしてなだめた。 そのうち、台に載せた肴がふたつ、みっつ、それに酒と飯も届いた。 若者はやっと安心したようだった。 「おまえさん、在所はどこじゃい」 「おら、日光道中の少し片田舎サ」 ようやく打ち解けてきた。 若者は女郎屋の若い衆の案内で銭湯に行き、戻ってくると、お吟が浴衣に着替えさせた。 やがて、枕がふたつ用意される。 お吟がほほえんで、 「おまえさん、初めてかい」 若者は怒ったように、 「松戸宿にも、おめえのような飯盛女はおる」 「じゃあ、買ったことはあるのかい」 「うんにゃ」 「じゃあ、やっぱり初めてじゃないか」 お吟はクスリと笑った。 若者は顔を赤らめた。 お吟の誘導で、若者はおずおずと体を重ねていった。 こちら、襖を隔てて、八兵衛とお豊はしどけないかっこうのまま横たわり、けだるげにしゃべっていた。 「流れ流れてこの里にきて、足かけ三年。来年の三月には年季も明け、ふた親のために身を売ったのも少しは親孝行になったかもしれない。春になれば、裏店でも借りて自前で一、二年稼いで元手を作り、おまえさんも工面ができたら、ふたりで店を借りよう。ふたりで稼いだら、天道さまのお恵みで、どうやらこうやら暮らされないものでもない。末永く世話しておくれよ」 お豊が団扇をあおぎながら言った。 八兵衛は意地悪く、 「そりゃあ、俺だって、おめえさえその気ならどうともしようが、さっき聞けばどこやらの客人から三朱もらったとか。年季が明けた途端、『おおきに長々お世話になりました』なんぞというのは、よくある台詞」 お豊は起きあがり、涙声で、 「おまえさんという人は、わっちがこれほどまでに思うているのに」 男の胸を揺すぶる。 障子の向こうでは、お吟の声で、 「あら、おまえさん、もう硬くなったじゃないか。熱いくらいだよ」 「もう一度いいか」 若者が言った。 その口ぶりには、もうさきほどの恥じらいとためらいはどこにもない。若々しい自信がみなぎっていた。 (終わり) 第四話へ |