第30話 新道(その一)
町屋では、表通りに面した大きな商家と商家のあいだに木戸口があり、そこから細い路地が奥にのびていた。路地の両側には、庶民が住む長屋がびっしりと建ち並んでいた。いわゆる、裏長屋である。
こういう路地よりやや広い道が、新道とか小路とか呼ばれるもので、道幅は九尺(約三メートル)以上あった。裏長屋にくらべると、高級住宅地といえよう。新道の両側には仕舞屋や、黒板塀で囲まれた一軒家などが建ち並び、商家の通いの番頭、芸事の師匠、町医者、そして「囲い者」と呼ばれる妾などが住んでいた。 なお、現代では妾というと、妻には知れないよう、住居とは別な場所に住まわせている愛人という意味合いが強いが、江戸時代においては、裕福な男が妾を持つのは公然だったし、いっぽうの妾の側からすると、あくまで「妾奉公」だった。つまり、女にとって妾は職業のひとつであり、年季と給金をきめて契約する奉公だったのだ。ただし、これはあくまで庶民の場合であり、大名や大身の旗本などの側室は事情が異なる。 文政四年(一八二一)ころの、江戸の町の新道である。 髪結床では、男たちが相も変わらず雑談に興じていた。 話題といえば、もっぱら女郎買いでもてた自慢か、ふられたぼやきか、あるいは町内の女の噂である。 「ほんに、新道の囲いは美しいもんじゃ。けさ、銭湯でちらと見やしたが、粋だね」 ひとりが、新道に住む妾に言及した。 もうひとりが言った。 「粋なはずよ。いまはお篠とか言っているが、もとは柳橋の芸者だぁね」 横から、別なひとりが言った。 「なぁに、面ばかりで、張子の達磨だぁ。すこし金を積むと、すぐに転びやす」 「違えねえ」 男たちは大笑いした。 妾を囲うなど、自分たちはとてもできないだけに、やっかみ半分の悪口であるが、柳橋の芸者は金さえはずめば客と寝るため女郎同然という皮肉でもあった。 「あの女、もとは芸者だけあって、三味線の音締めはなかなかのものだぜ。新道を通ると、なかで爪弾いているのが聞こえることがあらぁ」 「三味線の爪弾きどころか、よがり声が外まで聞こえることもあるぜ」 「嘘をつきねえ」 またもや大笑いである。 「旦那はどういう野郎だい」 「酒問屋の旦那らしいがね。のっぺりした顔の、嫌味な野郎だぜ」 さて、こちらは、男たちが噂している当のお篠である。 数日ぶりに妾宅にやってきた旦那に対して、お篠は口説の最中だった。 「おまえはん、このごろはさっぱり、きついもんだヨ。どうで、ご新造さんにやァ及ばねえことだとあきらめてはいるけれど、柳橋にいる時分から、橋田屋のおばさんに骨を折らせてから、ようようとこうはなったけれど、いっそおまえはんが気が多いので、モウ、モウ、油断もすきもならねえから、ホンニ気がもめてならぬよ」 橋田屋というのは口入屋だった。口入屋の仲介で年季と給金をきめ、妾奉公が決まったのだ。 「てめえ、いつもいつも同じ手ばかり取るぜ。俺がのろくなっているのにつけこんで、豪気に手軽に取りあつかわァ。どうで、こんな婀娜者を世話するからは、しょせん、恥をかかされるのは当たり前だァ」 旦那がわざと邪険なことを言った。 「ええ、憎らしいヨ」 お篠が男にむしゃぶりつき、肩に噛み付く。 「おお、痛え。よせ」 「なに、よせ。よすもんか」 「コレサ、コレサ、痛えよ、痛えよ」 「痛かア、家へなぜお帰りだ」 旦那が女をぐっと抱きしめ、唇を合わせた。 それまで荒れていたはずのお篠も、男の背中に両手を回している。 ふたりにとって、痴話喧嘩や嫉妬は一種の刺激剤だった。 旦那は手を裾のあいだにすべり込ませながら、 「憎いのう、アア、そうだろう」 と、女の顔をのぞきこむ。 「フフフン、可愛さが余ってさ」 「余りもんでなけりやァ、俺の口には入らねえ」 「フフン、入らねえも気が強え」 お篠はみずから裾をめくると、男の上にのった。 旦那の好みの茶臼でするつもりである。 (続く) |
第30話 新道(その二)
とある新道にある妾宅は、黒板塀に囲まれていた。狭いながらも庭があり、赤松が植えられているという、小粋な構えである。
いましも旦那が小用に立ったあとの寝床で、妾のお紺がひとり愚痴っていた。 「馬鹿馬鹿しい。いっそ体ががっくりした。今夜という今夜は、まことにまことに疲れたぞ。もう、これでは体が続かねえ。今夜もちょうど三番された。年寄りのくせに、豪気に達者だよ」 旦那はかなりの高齢だった。 お紺が妾奉公を承知したのも、相手が老人であるのを知り、楽ができると思ったからだった。うまくいけば房事もなく、ただ添い寝するだけでよいかもしれないとタカをくくっていたのだ。 ところが、あにはからんや、旦那は精力絶倫だった。高齢にもかかわらず、毎晩のように体を求め、しかも一度では終わらないのである。 「毎晩毎晩、こんなにされては、どうも続かねえ。しかも、曲取りなどなんぞと、色々様々なかっこうをさせられるには困るぞ。そして、口を吸われるときは、まことに身を切られるようにせつない。あの、口の臭いこと。金がほしいからあんなジジイに自由になるようなものの、もう汚らしい。好かねえジジイだぞ。あの皺だらけな顔をちょっと見ると、化物を見るようだ。」 旦那はもとは薪炭問屋の主人だったが、いまは隠居している。隠居に際して、妾を雇うことにした。 新道に妾宅用の一軒家を借り、一緒に住み始めた。 若いころから商売一筋でやってきたため、趣味はなにもない。読書にも、音曲にも、芝居にもまったく関心はなかった。若いころ遊ばなかったのがさいわいしたのかどうか、性欲だけはすこぶる旺盛だった。 女は女房しか知らなかった。その女房も数年前に他界した。 いまでは、誰はばかることなく妾とすることができるし、この歳になって若い娘の体に接し、若返った気分である。妾と交接することだけが楽しみだったのだ。 お紺は、なおも旦那を罵倒し続けた。老人だけに、小用も時間がかかる。まだ、戻ってこない。 「このあいだ風邪で寝込んだとき、今夜くらいは何もせずに寝かせてくれるだろうと思ったら、しねえかわりに、夜っぴて指でくじられて、まんじりともさせねえ。ホンニ、ホンニ、好きなジイさまだ。どうぞして気を遣るまいと思っても、あの大きな物でいろいろとこすられるから、つい気を遣ってならねえ。されるたんびに気を遣るから、こっちの体が続かねえ。年寄りだからもうできめえと思ったに、しつこくってならねえ。どうしても毎晩、三番より少ねえことはない」 廊下に足音がした。 旦那が便所から戻ってきたようである。 お紺は身ぶるいした。 「手水をしてきたら、また一番か二番はきっとされるだろう。モウモウ、いやだぞ。どうしてあんなにできるだろう。どう考えてみても、これでは体が続かねえ。いかに金がほしくっても、命のほうが大事だ。いまいましい。妾奉公だけは、するもんじゃねえぞ」 旦那がスーッと障子を開けた。 その顔はやる気満々だった。 (続く) |
第30話 新道(その三)
別な新道にある妾宅である。
お花が、久しぶりに来た旦那をなじっていた。 「もし、旦那さん、おめえさん、このごろはいっそ邪険におなんなんしヨ。そして、おかみさんばかり大事になすって、こっちへはさっぱりおいでなされません。さだめし、お宿が面白うござりましょうね」 旦那は、樋口屋という蒲鉾屋の主人だった。 「馬鹿ァ言え。俺もちくちく来てえけれど、このごろは仲間にちっともめごとがあって、その事にばかりかかわりあっているから、少しも体に暇がねえから、つい久しく来ねえのだ。いろいろ用があったが、きょう出てくるに、てえげえ法をかいたことじやァねえ」 と、出てくるのが大変だったと弁解した。 お花が酒をつぐ。 恨み言を言いながらも、旦那をもてなすことは忘れない。 旦那が気を引くように言った。 「今夜は涼しくっていいの」 「さようさ。袷でも、少し涼しいくらいでございます。したが、このあいだも、長六どんが来て言いましたが、おめえさんはお宿では、おかみさんといっそ仲がいいとか。まことに、おうらやましいねエ。幼馴染のおかみさんだから、どうしても可愛さが違いますだろうね」 お花がまたもや話を蒸し返す。 長六は樋口屋の丁稚だった。主人の使いで、しばしば妾宅にやってくる。お花にとっては樋口屋の内情を聞き出す情報源だった。 旦那もついにかんしゃくを起こして、そっぽを向いた。 「エエ、モウ、よせエ。俺はしらねえ」 「アレ、こっちをお向きなさいましよウ」 お花が男の首に両手をまわし、唇を合わせた。 「おめえさん、お酔いなさりやァしませんか」 「俺ァ、いっそ酔ったァ。まア、この涼しいところで始めよう。サア、もっとこっちへ寄りや」 旦那はころあいはよしと見て、お花を引き寄せ、手を股のあいだにすべり込ませた。 妾宅には年老いた下女が雇われていたが、旦那が来たときには銭湯に出かけることになっていた。家の中にはいま、ふたりきりである。 「もしえ、おめえさん、さっきからおかみさんのことを色々言われて、お付き合いではお気の毒だね」 「もう、いい加減にしろエ。聞きたくもねえ。てめえこそ、俺が来ねえときは、どんな真似をするか知れねえ。ババアをひとり付けてここに置くのは、てえげえ心遣いだ」 と言いつつ、指を使い、唇を合わせる。 「サアサア、開がべちゃべちゃになってきた。サア、入れよう。帯を解きやナ」 「アイサ、おめえさんもお取んなはいな」 「取らねえでどうするものか」 旦那は着物を脱ぎ捨て、真っ裸になるや、女の着物の裾を大きくめくり上げた。 家の中にふたりきりだけに、誰はばかることもない。大胆な体位も可能だった。 きょうは、居茶臼でするつもりである。 (終わり) 第31話へ |