江戸の風俗八百八店

永井義男


第32話 本所松井町(その一)

 本所松井町は、現在の東京都墨田区千歳のあたりである。ここには岡場所があった。もともと両国の回向院界隈にあった女郎屋が、寛政の改革で移転してきたといわれている。切見世と呼ばれる安価な女郎屋が主体だった。
 天保の末に本所松井町の女郎屋はすべて撤去されたが、安政二年(1855)十月の大地震のあと、この地に吉原の仮宅ができ、大いににぎわった。
 天保元年(1830)ころの本所松井町である。

 八月十五日の夜である。
 武家屋敷でも町屋でも、月見団子を作って供える。屋根舟などを雇って隅田川に乗り出し、月を愛でる風流な遊びも目立つ。しかし、これらは家族のある者や、金のある者のすることである。若い独身の男にはほとんど関係がなかった。
 商家の蔵の陰で、町内の数人の男が集まり、相変わらず無駄話をしている。
「夕べは、とんだ目にあった」
 善八が、博奕で大負けしたことをぼやいた。
 年長の万吉が言った。
「また久しいものだ。てめえ、了見が悪い。博奕というものは、切りあがりが肝心じゃ」
「それもずいぶん承知だが、夕べは、初めから思う目が出やがらねえ。出れば取られ、出れば取られ、初茸のようさ」
「おいらが意見を言うじゃあねえが、博奕には必ず必ず手を出さねえがいい。それよりやァ、遊びにでも行くがいい。二十四文でも一番できる。百文出しゃあ、切見世へ行って、新造でも年増でも好きしだい、一番できる。そのほうがよっぽど面白い」
 万吉が「打つ」よりも「買う」を勧めた。
 そばで、繁蔵が同意した。
「今は夜鷹も二十四文じゃあいやがる。五十でなくちやァ、こころよくさせねえ。切見世も二百文やらにやァ、本気で持ち上げてこねえ。諸色が高くなったせいか、開(ぼぼ)まで値上がった。それでも、博奕よりは安い。
 博奕のちょぼいちじゃあ、二朱や一朱はまたたきする間に取られる。
 二朱ありゃあ、二百文ずつにしても切見世に四度行ける。夜鷹なら、十六度買える。
 それはそうと、無駄口ばかりきくより、ブラブラそそりにでも行こうじゃねえか。来ねえな。このあいだも言ったが、いい子が出たぜ。歩みねえな」
 善八は情けない顔になった。
「夕べの負けで、工面が悪くってならねえ」
 繁蔵がなおも誘う。
「たんとはいらねえ。質屋でもはたらきやな。袷と単物を着ているじゃねえか。寒かねえわな。単物を一本ばかりに曲げねえな。一晩泊まるは楽だぜ。いまっから行けば、ちょうど四ツ(午後十時ころ)時分にゃあ着かあ」
「明日の晩まで、一朱貸してくんねえ。このあいだ人に貸しておいたのが、戻るはずだ。もし間違ったら、そのときやァどうでも算段しようから」
「そんなら、ここに二朱あるから、すぐに行こう。少しも早く行こう」
 繁蔵は善八の手を取らんばかりだった。
 ふたりは連れ立って、本所松井町に向かう。
「なんと、夜鷹にしようじゃねえか」
 善八はなおもしみったれたことを言った。
 繁蔵が反対した。
「安上がりは安上がりだが、外で筵の上じゃあ、楽しむ間もねえ。切見世にしようぜ」
「そうだな。しかしよ、夜鷹も切見世の女も、いやなことがある。へのこをグッと入れさせ、腰を使いかかると、『直しておくれナ』『ゆるりとおしナ』と言う。いやと言えば、面つきが悪くなるから、いやでも直しをやらにやァならねえ」
 善八が、いわゆる「延長」を要求されることへの憤懣をぶちまけた。
 女たちはちょうどよい時機を巧みにとらえ、男から少しでも多くの金を巻き上げようとしたのである。
 やがて、本所松井町の切見世である。
                       
                              (続く)


第32話 本所松井町(その二)

 髪を島田に結った十八、九歳の女が物陰から出てきて、善八の着物の袖をとらえた。
「もし、お寄りな」
「こう、よしな」
 繁蔵はさっさと歩いていく。
 善八が「あの連れがあるから、一緒に行かねえきやァならねえ」と言うやいなや、別な女が飛び出して行った。
「お連れさんが待っておいでだから、ちょっと、まあ、おいでなせえ」
 と、繁蔵の体に抱きつき、引っ張ってくる。
 女たちは、物陰にふたりを引き込んだ。
「さむしいから、ちょっと遊んでおくれな。ゆるりとさせますから」
 繁蔵が交渉した。
「ふたり一緒の連れだから、一座に寝るならあがろう」
「一座にでも、一緒にでも寝ますから、どうぞおあがりよ」
「そんならあがろう。しかし、もう何ン時だろう」
「もう四ツだよ。帰りがおそくなるから、ふたりで泊まっておいでよ」
「ふたり二朱なら泊まろう」
「随分、いいから」
 女も値段を了承した。
 ふたりは切見世にあがった。
 部屋は四畳半ほどで、狭いが、境の襖をはずして、ふた部屋をひと部屋にした。
 女たちは煙草を吸いつけ、それぞれ繁蔵と善八に煙管を渡したあと、楼主のいる部屋に行って、
「ふたり二朱で、泊まりでござります」
 と報告した。
 そのあと、女たちは手水をすませ、懐紙を手にして部屋に来た。
 布団をふたつ、並べて敷いた。
 みな帯を解く。
「サア、おやすみ」
 と、女が繁蔵と善八の布団に横たわった。
 二組は、しばらくのあいだは物も言わず、お互いにいじったり、くじったりしていた。
 繁蔵はこらえ切れなくなり、女の上にのしかかりながら、
「隣りはどうだな」
 と、善八の様子をたずねた。
「黙っておいでよ」
 女がたしなめた。
「もう始めよう」
 繁蔵は挿入して、腰を使う。
 善八ものしかかって、腰を使い始めた。
「まだ行かねえか」
「まだまだ」
「もう、行きそうだ」
 繁蔵と善八はお互いに声をかけ合う。
 女がたまりかねて言った。
「いやな事をお言いだの。黙っておしよ」
 繁蔵は自分が終わると、薄闇をすかして善八の様子をうかがった。
「どうだ、まだ行かねえか」
 さすがに、善八の相手も手で顔を隠した。
「もっと持ち上げてさせねえな。おめえは新造だから、まだへただ。よくよく、稽古をしな」
 繁蔵が横から、余計なことを言った。
 善八もようやく終わった。
「まず休んで、また始めよう」
 繁蔵も善八も、二度目にいどむつもりである。
 女ふたりは布団から出ると、台所のへっついの上で湯気を上げている薬缶を持ち、手水場へ行った。小さな盥に湯を注ぎ、水でうめたあと、その生ぬるい湯で局部を中までよく洗った。そして、繁蔵と善八のもとに戻る。
「どうだ、また始めようじゃないか」
 繁蔵はもう二度目をするつもりである。
 善八は横たわったまま、
「おりゃあ、まだ早い」
 と、体力の回復をはかっていた。
 繁蔵も善八もそれぞれ一朱を支払ったのである。夜明けまでには、少なくともあと二回はするつもりだった。

                             (終わり)
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