別な狭苦しい部屋に押し込まれた与九郎は寝床の上で、女がいま来るか、いま来るかと待ちかねているのだが、綾琴はいっこうに現われない。
だれかれかまわず罵倒したい気分なのだが、若い者すら姿を見せない。相手がいないため、けんかにもならない。
与九郎はやたらと、煙管で煙草盆をたたき散らした。
「いまいましい。まだァ来やァがらねえ。さっきのうるさい初会の客というのは、馴染みの情男にちがいねえ。それでなくっちゃあ、女が今まで来ねえということはないはずだ。ちくしょうめ。いっそ思うさま、ゴタクをきめてやろうか。まあ、いいわ、こうなりゃあ、早帰りときめべえ」
部屋には行灯もともされていないため、手さぐりで廊下に出ると、一緒に登楼した源助を呼びに向かった。
障子を開けて、座敷の中にぬっと入り、
「コウ、源公、もう帰らねえか」
と、屏風を引き開けてのぞいた。
ちょうど、重なり合っていた客と女郎が仰天した。
「なんだと」
「コレハ、お粗相。角違いでござりやした。真っ平ご免なせえ」
与九郎もあわてて謝る。
女郎と客がぶつくさ言った。
「なんざんすナ。好かねえのう」
「おえねえ、頓痴気だ」
日ごろは口が立つ与九郎も、さすがに一言もない。はほうほうの体で逃げ出す。
いっぽう、源助は寝床でふと目を覚ました。けっきょく女郎にはふられ、酔ったままひとりで寝ていたのだ。
「おお、寒い、寒い」
枕元を見回していたが、
「おっと、あるある。こいつはありがたし」
と、燗冷ましの酒を茶碗についで飲んだ。
「おお、冷てえ。こいつァ、なお寒くなりそうだ。なんにしろ、小便を垂れてくるべえ」
源助はぶるぶる震えながら、廊下の端の小便所に行き、用を足した。座敷に戻るや、夜着にもぐりこんだ。
「なぜ、アノ女は来やがらねえ。もう八ツ(午前二時ころ)時分だろうぜ」
ひとりで悪態をついていたが、廊下に足音が近づいてくるや、障子がスッと開いた。
源助はついに相方の女郎が来たと思った。「しめた」と、飛び立つような気持ちだったが、わざと見栄を張り、スヤスヤ眠っているようによそおう。
寝床を囲った屏風が荒々しく開けられた。
「コウ、源公、どうだ、もう帰ろうじゃねえか」
「おお、与九さんか。おらァ、またそうじねえかと思った」
源助は女ではなかったことにがっかりしていたのだが、強がりを言う。
「コウ、貴公の女ァ、どこへ行った」
「どけえ行きやァがったか、まだ一度もここへは来やァしねえ。おめえは、さだめし、たんとしたろう」
「ウンニャよ。まあ、聞きねえ」
与九郎は、綾琴にまんまと一杯食わされた憤懣をぶちまける。
「そいつは仕打ちが面憎いじゃねえか。ナント、若い者を呼びつけて、ちょいと啖呵を切ってやろうじゃねえか」
「俺もそうは思ったが、江戸っ子が武左めいた真似をするのも、野暮ったいじゃねえか」
「それもそうだの。そんなら、厄落としをしたと思って、無言の早帰りとしようか」
ふたりは相談がまとまり、帰り支度をする。
階段をおり、若い者に言った。
「コウ、草履を出してくだせえ」
「ヘイ、まだよろしゅうござりましょう」
与九郎が押し返して言う。
「いいや、もう、よくねえ」
「へい、さようでござりますか」
若い者はふたりの不機嫌の理由を察しているが、そ知らぬ顔をしている。ふたりの草履を出して、そろえた。
「では、また、お近いうちに」
与九郎と源助は口の中で「糞でも喰らえ」と毒づきながら、潜り戸をくぐって外に出た。
浅草寺の鐘がボーンと鳴った。
(終わり)
第40話(その一)へ