第41話 吉原\(その一)
『吉原十二時』という狂歌集がある。
国学者・狂歌師の石川雅望が、吉原の一日を卯の刻から寅の刻まで十二の時間帯に区切って雅文で描き、それに様々な人が詠んだ狂歌を分類して付加するという洒落た構成になっている。狂歌を通じて、おのずと吉原の一日の流れがわかるというもの。刊行年は明確ではないが、文化期であろう。 この『吉原十二時』の構成にのっとり、収録された多数の狂歌のなかからいくつかを紹介しながら、吉原の一日を見ていこう。狂歌は筆者が解釈したが、牽強付会や誤解もあるかもしれない。 文化年間(1804〜18)の吉原である。 卯時(明六ツ、午前六時ころ) まだ暗いうちから、朝帰りの客を迎えに、引手茶屋の若い者が妓楼にやってきた。寝ていた客も女郎も、若い者に起こされる。 やがて、浅草寺の明六ツの鐘がゴーンと鳴り響く。 東の空がほの白くなるころ、妓楼の潜り戸がギイときしむのは、客が帰るところである。女郎たちはそれぞれ出口まで見送りにきて、名残りを惜しんだ。いわゆる、「きぬぎぬの別れ」である。 とくに馴染みの仲ともなると、女郎は客について茶屋まで来て、酒を酌み交わし、いっしょに粥を食べたりしたあと、大門まで送ってきて、そこでようやく別れとなった。 大門の外には、駕籠かき人足があくびをしながら、朝帰りの客を待っている。 男たちは駕籠に乗るにしろ、歩くにしろ、みな早朝の日本堤を通って帰途につく。思い出し笑いをしている男もいれば、寝不足気味で疲れた表情の男もいれば、憤懣やる方ない様子の男など、みなそれぞれである。いわゆる「もてた」客もいれば、「ふられた」客もいた。 こうしていったん客を送り出したあと、女郎はふたたび寝床に戻り、二度寝をする。 うしろから羽織をきせるたはこ入わすれなんすな宵のことのは きぬぎぬの別れのとき、女郎が客に羽織を着せかけ、煙草入を渡しながら、「昨夜の約束を忘れなんすなえ」と念を押す。 かへらすにお出なんしとつねるときいたくなりぬる暁の鐘 帰ろうとする客を、女郎が「帰らずに、居続けしなんし」と言いながらつねった。身は痛く「なる」、明六ツの鐘も「鳴る」。 大門を出てゆく客の二日酔いあたまおもけな雪のからかさ 雪の朝の帰宅、客は二日酔いで頭が重く、積もる雪で唐傘も重い。 辰時(五ツ、午前八時ころ) 女郎や居続けの客は二階座敷でまだ就寝中であるが、若い者と総称される妓楼の奉公人や、下働きの者たちの一日はもう始まっている。廊下や台所で、雑巾がけをしていた。 表戸が開いたのを見て、托鉢の僧侶がさっそくやってきた。裁縫女が引き受けた仕事を包みにしてやってくるし、出入りの髪結いも道具を入れた箱を手にして、忙しげに歩いている。 便所の汲取りをする農民も、肥桶をかついで次々と大門をくぐって入ってきた。 かえさしと羽織のひもを引きりしころにお針のくるもよし原 「帰さないよ」と言って、女郎が客の羽織を引っ張り、紐が切れてしまったが、吉原ではちゃんと都合よく裁縫女がやってくる。 家ことによへの肴のあれこれととりあつめつゝありくきのし屋 喜の字屋は台屋、つまり仕出料理屋のこと。昨晩、妓楼や茶屋に出前した台の物を、朝になって回収していく。 こえとりか禿のとしをとへはまた九さいというてたつるせんこう 肥汲みの農民が禿に年齢を尋ねたところ、「まだ九歳(くさい)」と答えて、悪臭消しの線香を立てた。 (続く) |
第41話 吉原\(その二)
巳時(四ツ、午前十時ころ)
二度寝した女郎も二階でようやく起き出し、妓楼の一日がいよいよ本格的に始まった。女郎たちは朝飯を食べ、内風呂に入る。 楼主の居場所である内所で、楼主は塗板に記された昨晩の実績の数字を大福帳に転記しているし、女房は煙管で煙草をくゆらせながら奉公人に指示を出している。 行商の魚屋や八百屋もひっきりなしにやってきて、料理番と丁々発止の遣り取りをしながら売り込みをはかった。 ぬり板の客の数々何百もけしてはうそはかゝぬ本帳 塗板に書かれた客の数は、けっきょく女郎がついた嘘の数でもあるが、楼主はそれらは「消して」も、転記する大福帳には「けして」嘘は書かない。 車座て家内けいせい朝めしをくふ頃まはる八百屋肴屋 奉公人や女郎が車座になって朝食を食べているころ、行商の八百屋や魚屋がやってくる。 けいせいにはたかとなるはゐつゝけの此朝風呂かはしめなりけり 女郎に迷って身代も裸になった客は、思えば居続けをした朝、妓楼の内風呂に入ったのが、その裸になる始まりだった。 午時(九ツ、正午ころ) 女郎たちは髪を結ったり、化粧をしたりと昼見世の準備を始めるが、自由な時間帯でもあった。小間物屋が訪れて紅や白粉、簪や笄を見せて売り込みをはかり、貸本屋や呉服屋が来るのもこのころである。 医者が呼ばれて、体調をくずしている女郎を診察したり、薬を処方したりするが、多くは性病であろう。 柱に寄りかかって手紙を書いている女郎もいれば、情男から届いた手紙に読みふけっている女郎もいる。親類縁者などが訪ねてきて、積もる話をしながら涙ぐんでいる者もいた。 いついつと月日かそふる年季よりあけてうれしき色客の文 女郎にとって年季「明け」までの月日を数えるのが楽しみであるが、それよりももっと「開け」て嬉しいのが、情男からの手紙である。 よへゑひし客に引かへきれいさは部屋へ出して見する小間物 酔っ払いがヘドを吐くことを俗に小間物を広げるというが、昨夜の客が広げた小間物にくらべると、商人が広げて見せる小間物のきれいなこと。 はなし声おやおやおやはけいせいにあひにこし路の親にこそあれ 「おや、おや、おや」という話し声がするのは、女郎に会いに来た「親」であろう。 大門もこれはゆるしゝ医者の駕のりまはすなり午の刻ころ 駕籠に乗ったまま大門を通るのを許されているのは医者だけであるが、その医者が午の刻限になると駕籠で行き来する。 未時(八ツ、午後二時ころ) 吉原は昼夜二回の営業である。八ツからは昼の部である昼見世が始まり、女郎たちは格子の内側に居並んだ。 昼見世の客は勤番武士が多い。藩主の参勤交代に従って地方から江戸に出てきた勤番武士は、藩邸内の長屋で独身生活をしている。吉原に大いに興味はあるのだが、大名屋敷は門限がきびしく、暮六ツ(午後六時ころ)には表門が閉じられる。そのため、昼間の遊びしかできなかった。 そのほか、田舎から江戸見物に出てきて、吉原に立ち寄る人々も多いが、「お女郎見物」をするだけで、登楼はしない。そのため、昼見世はごくのんびりしていた。 女郎たちは格子の中にいて、本を読んだり、手紙を書いたりして過ごす。退屈しのぎに、貝合わせやお手玉などをして遊ぶ者もいた。もちろん、男たちの好色な視線にさらされながらである。格子越しに手を差し出し、易者に手相を観てもらうこともあった。 大小も貫の木さしの昼買はもんに限りのありてくる客 大小の刀を貫の木ざし、つまり水平に閂差しにしているのは、門限のある勤番武士である。 昼見世をはるより春の日あしほと長々とかくけいせいの文 昼見世を張る春の日、女郎はその春の日よりも長い手紙を客に書いている。金の無心であろうか。 ひるかひはいつれしらけた物にしてむつのはなには帰りてそゆく 昼見世の客はさほど金を使うこともなく、どうせ暮六ツまでには帰宅の途につく。 (続く) |
第41話 吉原\(その三)
申時(七ツ、午後四時ころ)
日が西に傾く七ツには昼見世が終了し、女郎たちもいったん格子の内から引き上げて、食事をとった。 夕闇がせまるころから、花魁道中が始まる。客に呼ばれた全盛の女郎が、多くの下級女郎や禿、若い者を引き連れて仲の町にある引手茶屋に行くのが花魁道中である。この華やかな光景を見物するのは、吉原を訪れた男たちの楽しみの一つでもあった。 仲の町は吉原の目抜き通りで、両側には引手茶屋が軒を連ねていた。 引手茶屋に女郎を呼び寄せ、芸者や幇間なども呼んで酒宴をもよおす客となると、いわゆるお大尽である。 舟は堀にのこして猪牙のきばかりかさきへのりこむ中の丁客 猪牙舟にのってきた客は、山谷堀でおりて吉原に向かう。一刻も早く女郎に会いたい客は、ちょきぶねの「舟」を山谷堀に残し、ちょきの「気」はもう仲の町に向かっている。 竹村かひさく菓子よりおいらんのこし塩梅のうまき道中 竹村は吉原にあった有名な菓子屋で、「最中の月」が名物。花魁道中のときの女郎の腰つきは、竹村の菓子よりもあんばいがよい。 酉時(暮六ツ、午後六時ころ) 暮六ツの鐘とともに、吉原は俄然にぎやかになる。夜の部の営業である夜見世が始まるのだ。夜見世では、清掻(すががき)を鳴らしながら張見世がおこなわれた。 張見世とは、女郎が序列に従って格子の内側に居並ぶことで、客は格子越しに品定めをする。清掻は、当番の女郎や芸者が弾く三味線のこと。清掻を聞き、張見世をながめ、男たちはもう気もそぞろとなった。 くれ六つの鐘にくるわの夜はあけてうかれ烏のさわくみせさき 暮六ツの鐘こそ吉原の真の夜明けであり、張見世の前で男たちがカラスのように騒ぎ始める。 鈴なりて隅からすみへ毛氈の同じく順にならふけいせい 張見世では、女郎たちが毛氈の上に鈴なりになって、序列の順に並んでいる。 引かけるつもりとみればおそろしや夜みせに女郎蜘のすかゝき 清掻の「す」とクモの「巣」、清掻の三味線を弾くの「ひく」と、クモの巣に引っかかるの「ひく」をかけ、女郎を女郎グモに見立てている。清掻を聞きながら張見世をながめるのは、女郎グモの巣にかかるようなもの、恐ろしきかな。 戌時(五ツ、午後八時ころ) 妓楼の二階の、宴会が開かれている座敷では、芸者や幇間を呼んだドンチャン騒ぎが最高潮に達していた。台屋はひっきりなしに、宴席に料理を運びこむ。いっぽうでは、あらたな客も次々と登楼する。 吉原がもっともにぎわう時間帯といえよう。 客人の祝儀にこしのまかるのはとしに不足のなき若いもの 妓楼の男の奉公人は年齢に関係なく「若い者」と呼ばれていた。客が祝儀をあたえると、若い者は腰を老人のように曲げている。 中の丁にさくら植れは大みせの内へもさかす客の惣花 吉原の大通りである仲の町には、春になると満開の桜の木を移植する。惣花とは、女郎はもとより若い者まで、妓楼の全従業員に祝儀を配ること。 仲の町は桜が花盛り、大見世では客が惣花をして、こちらも花盛り。 惣花を花のくるわにちらす時物いふ花も出てもらひつ 惣花という花を花の廓に散らせると、花とたとえられる女郎ですら客の前にもらいに出てくる。 (続く) |
第41話 吉原\(その四)
亥時(四ツ、午後十時ころ)
芸者や幇間をあげたドンチャン騒ぎもそろそろ終わり、床入の準備が始まる。 女郎は宴席ではほとんど物を食べないため、いったん階下におりて簡単に食事をしたり、床着に着替えたりした。その間、客は豪華な重ね布団の上で、女郎が来るのを今か今かと待ちわび、もっとも気のもめるときである。 張見世の前の男たちもようやくまばらになったが、いっぽうでは夜食を売り歩く行商人の声が響いてくる。 けい者らか三味線をひきやめは又屏風をひきにくるわかいもの 宴会が終わって芸者が三味線を「ひく」のをやめると、今度は若い者が寝床のまわりに屏風を「ひく」。 おいらんか下て夜食の長くひに二階て腹のふくれたる客 女郎が階下で長々と夜食を食べているため、二階で待つ客のほうが腹がふくれ(怒っ)ている。 玉子うりすしうる声のいろいろとましりのみせは夜食まかなふ 玉子売りや寿司売りの声が入り「まじる」と、「交(まじり)」見世を掛けている。交見世とは、中規模の妓楼のこと。 子時(九ツ、午前零時ころ) 夜見世の営業は四ツまでというのがきまりだったが、実態は九ツまでの営業が黙認されていた。そのため吉原では、時刻を知らせる拍子木は、引け(閉店)四ツには打たず、いちおう大門だけは閉めるが、潜り戸から出入りさせた。そして九ツになってからやっと四ツの拍子木を打ち、続けて九ツの拍子木を打った。十時と零時が同時にきたのである。 客がつかなかった女郎や、禿や若い者などもみな就眠するが、寝ずの番のみは徹夜で妓楼内をまわり、行灯の油をつぎ足したり、拍子木を鳴らして時刻を知らせたりした。 外の通りには、金棒を鳴らし、火の用心を告げる火の番がまわり、二八蕎麦や甘酒の売り声だけが響いているほか、もう人影はない。 十六になる新造とねたるころ二八のそはのうり声もしつ 十六歳、つまり二八の年の下級女郎と寝ていると、外で二八蕎麦の売り声がする。 拍子木のうつひけ四つに五丁町今大門をしめて九つ 吉原は五つの町に分かれており、五丁町とも呼ばれた。 実際は九ツ時に、四ツの拍子木を打って、大門をしめた。大門を「しめる」と、合計するの「しめる」を掛けている。引け「四」ツの拍子木と、「五」丁町で、しめて「九」ツになるではないか。 銭なしはひけ四つ迄もひやかしてあたゝまるのは土手の甘酒 冬の夜、金がないため引け四ツまでただ冷やかして歩いただけの男は、すっかり体も冷えてしまい、日本堤の土手で甘酒を飲んで体を温めている。 丑時(八ツ、午前二時ころ) 妓楼は二階も一階も寝静まっているが、まだ眠らずに寝物語をしている客と女郎もいる。いっぽうでは、怒鳴り声をあげて、若い者を呼びつける客もいる。相手の女郎が廻し、つまり複数の客を取っていて、他の客のほうに行きっぱなしになり、その結果「ふられた」客である。 ねす番の油をつきにまはる頃目を皿にしてゐるまはし客 寝ずの番が行灯の油皿に油をつぎ足しにくると、その足音をついに女郎がきたかと思って目を皿のようにしているのは、廻しをとられてふられた客である。 宿にゐる女房に角もはへぬへしけいせいと寝るうしみつの時 女郎と同衾している丑三つ時、家にいる女房は牛のように角をはやしているであろう。 寅時(七ツ、午前四時ころ) まだ夜は明けていないが、提灯の明かりを手に、屏風のすきまから客を呼んで起こすのは、引手茶屋の若い者である。早帰りの客を迎えに来たのだ。 うちの首尾気つかふ客は刻限のとらの尾をふむ思ひなるらん 家の様子が心配で寅の刻限に早帰りする客は、まさに虎の尾を踏む心境であろう。 いそかしくきて新造とねにふしてとらにはおきてかへる店もの 商家の住み込みの奉公人は、遊びに出たのが主人にばれないよう、夜が明けないうちに帰らなければならない。下級女郎と子の刻に寝て、寅の刻には起きて帰っていく。 こうして、吉原の一日が始まり、終わり、また始まる。 (終わり) 第42話(その一)へ |