江戸の風俗八百八店

永井義男


第43話 吉原XI

 吉原の遊び方の心得を説いた『傾城三略巻』(著者不詳、慶応元年)という本がある。時期が幕末の慶応元年(1865)というのも興味深い。
 慶応元年といえば、幕末の動乱期である。しかし、それはあくまで日本史としてみたときのこと。当時の江戸の男たちのほとんどは、武士や庶民にかかわりなく、徳川幕府が崩壊するなど夢にも思っていなかった。その関心の大きな部分は吉原であり、相変わらず女郎買いにうつつを抜かしていた。
 同書のなかから、吉原言葉や、吉原七不思議を紹介しよう。
 吉原について解説した本にはよく、吉原言葉として「ありんす」、遊女の最高の位として「大夫」と書かれているが、江戸時代は約250年続いた。時代により風俗もかなり変化している。「ありんす」という言い方も、「大夫」という位も、皮肉なことに時代劇などでもっともなじみの深い文化・文政期や天保期にはすでに消滅していた。
 なお、以下は、筆者が表記を現代風に改めたところもある。


吉原言葉

そうだということを  そうざます
イヤなことを     好かねえ
きざなことを     おたんちん
やきもちやきを    甚介
男女の交合を     床に入る
月経(生理)を    行水
耳盥を        半蔵
武士のことを     やまさん
坊主を        げんさん
田舎の人を      旅人衆
商家の番頭を     店者(たなもの) 
惚れた男を      いい人
妓楼の男の奉公人を  ぎゅう(牛、妓夫)
茶屋の男の奉公人を  消し炭
買ってくることを   とってきな
銭四文八文を     一匁二匁
文使いを       便り屋どん
男女が楽しむのを   おしげりなんし
腹の立つを      じれったい
つまみ食いを     げびぞう
女衒(ぜげん)を   判方
夜九ツ時を      引け
明け六ツ時を     きぬぎぬ(後朝)
暇であることを    あがり


吉原七不思議

一 大門有れど玄関なし。
  これは、とくに説明は必要あるまい。

二 やりてといへど取るばかり。
  遣手は各妓楼にひとりいて、女郎の監督・監視をする。祝儀がおもな収入。だから、遣手といっても人に物をやることはなく、祝儀を取るいっぽうである。

三 水道尻にはみずはなし。
  吉原の突き当りを水道尻というが、もちろん水とは無関係。

四 よぼよぼ親父を若い者。
  妓楼の男の奉公人は、年齢に関係なく若い者と呼ばれた。

五 角町といへど中に有る。
  角町は吉原五町のひとつだが、隅に位置しているわけではない。

六 茶屋とはいへど茶はうらず。
  引手茶屋では、茶は売っていない。

七 揚屋といへどあげはなし。
  吉原五町のひとつである揚屋町では、あげ(油揚)は売っていない。

 他愛ない語呂合わせである。幕末の時期にあっても、江戸の男たちは相変わらず能天気だった。

                            (終わり)
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