第44話 新道U
江戸には公許の遊廓である吉原のほかに、いたるところに非公認の岡場所があった。正式な許可は得ていないとはいえ、岡場所については幕府も見て見ぬふりをしていたため、女郎屋は公然と営業をし、堂々と遊里を形成していた。
そのほか、江戸の町には街娼というべき夜鷹が多数いたし、まったくの隠れ売春も存在した。普通の町家で、素人がひそかに売春を斡旋していたのだ。 文政九年(1826)ころの、神田あたりの新道である。 なお新道とは、表通りから奥へ入っていく横丁であるが、裏長屋が並んだ路地よりは広い。町屋のなかで、新道はいわば高級住宅街だった。 新道に入ると、両側には黒板塀で囲んだ一軒家や、仕舞屋が続いているため、表通りの喧騒がうそのように静かである。 その静けさをきわだたせるかのように、三味線の音色と浄瑠璃が聞こえてくる。近くに、芸事の師匠が住んでいるのであろう。 いましも、表通りから新道に入ってきた女がいる。町内の裏長屋に住む、お均だった。鼻筋の通った顔立ちで、色が抜けるように白い。年のころは二十二、三歳の中年増である。 あたりを見回したあと、お均は二階建ての仕舞屋の格子戸をそっと開けた。 玄関先では、老婆が待ちかねていた。 「おばさん、さぞお待ちだろうが、聞いておくれよ。近所のおしゃべりが来ていて、しゃべりだすと止まらないから、妙見様に参詣に行くと言って、ようよう出てきました」 お均が、おそくなった言い訳をした。 老婆は自宅の二階を使って、隠れ売春宿を営んでいた。お上はもちろんのこと、地廻のやくざ者にも知れてはならないため、ごく限られた、信用のできる客しかとらない。また女も、素人に限定していた。お均は、老婆の手駒のひとりである。その美貌に目をつけ、こっそり引っ張り込んだのだ。 いっぽう、お均には職人の夫がいて、とくに食うには困らないが、ぜいたくはできない。着物や髪飾りなど、買いたいものはたくさんあった。夫のいない昼間を利用して、小金を稼ぐことにしたのだ。もちろん、夫にも長屋の住人にも秘密にしている。 「連れ衆はあるのかえ」 と、客に連れがいるかどうかを尋ねた。 老婆が安心させる。 「なにサ、おめえが連れの衆のあるお客はいやがるから、連れのない、おとなしいお店の衆とみて、わざわざおめえを呼んだのだ。さっきから、たったひとりで酒を飲んで待っていなさるから、すぐに二階へあがんなせえ」 老婆が先に立ち、お均も階段をのぼった。 客は三十歳くらいの、お店者である。 「サア、お均さん、おめえは旦那のおそばにおいでヨ」 老婆が引き合わせる。 客の目に好色な光があった。現われたお均が気に入ったのは明らかだった。 素人の女が好みなのであろう。吉原や岡場所の遊びはもうあきたのか、もともと女郎よりも素人のほうが好きなのか。 「サア、こっちへ来なせえ。ひとりで飲んでいて、酔いました。ひとつ、飲みなせえ」 と、お均に杯を勧める。 「ハイ、わたしやァ、さっぱり飲みません。おばさん、つぐ真似だけしておくれな」 「一口や二口は飲めるだろう。飲みねえな」 客がなおも勧める。 「そんなら、これ、軽くおくれ。アア、もうよいヨ。おばさん、おまえにあげよう」 お均はいちおう杯に酒を受けたあと、ちょっと口をつける真似だけして、そのまま老婆に渡した。昼間から顔を赤くして長屋に帰ると、すぐに噂になるからだった。長屋には、近所の様子を鵜の目鷹の目で観察し、ちょっと変わったことがあると、すぐに「大変だよ、大変だよ」などと触れ回る金棒引きの女がいたのだ。 「そんなら、これでお預かりにしよう。旦那も、もう召し上がりはしますめえ」 老婆はもらった杯を飲み干したあと、客に言った。 「むう、もう酔いやした」 「では、少しお休みなせえ。お床をしきましょう」 老婆は手早く寝床の準備をして、まわりに屏風を立てまわしたあと、階段をおりていった。 客は羽織を脱ぎ捨てると、布団の上に寝転んだ。 お均は客が脱ぎ捨てた羽織を袖畳みにして、枕元に置いた。そのあと、黒襦子の帯を解いて屏風にかけたあと、客のそばに寝転ぶ。 「もっとこっちへ、お寄んなせえナ」 「おめえは、びっくりするほどきれえだものを。そばへ寄らないでどうするものか」 「おや、おや、気楽に世辞を言っておいでだねえ。女はその世辞にだまされるだろうねえ。商売人と違って、素人をおだましだと、とりつきますヨ」 お均が抱きつく。 客は足を、女の両脚のあいだに割り込ませながら、 「マア、この帯を解きな」 と、下帯を解くようにうながす。 「解くから、おまえさんもお解きな。なんだか、恥ずかしくってなりませんヨ」「俺が解いてやろう」 おたがいに、相手を裸にしていく。 あとは、肌と肌を合わせる。 (終わり) 第45話へ |