江戸の風俗八百八店

永井義男


第45話 深川

 深川には「深川七場所」とも称されて多くの岡場所があったが、今回は深川全般についてである。
『深川大全』という本がある。深川の岡場所について調べるときの根本資料のひとつで、戯作者の山東京伝が編集しながらも未完のままに終わっていた原稿を、文人の石塚豊芥子が入手して補筆し、天保四年(1833)に刊行したもの。
 その主要なところを紹介しよう。なお、筆者が現代語訳し、一部順序も入れ替えた。


子供と子供屋
 深川では、女郎のことを子供、女郎屋のことを子供屋という。

呼出しと伏玉
 子供屋の仕組みには、呼出しと伏玉があった。
 呼出しは、子供屋から子供を料理屋に呼び出し、宴席を設けたあと、奥座敷で同衾するというもの。深川では、これが高級な遊び方だった。
 伏玉は、子供屋に十人から二十人の子供をかかえていて、そこに客を登楼させるというもの。
 
見番
 いわば深川の役所である。子供と芸者の見番は別で、それぞれ名前を書いた札が掛けてある。茶屋などから呼びにくると、札を引く。その子供や芸者があいているかどうかは、札を見ればわかる。
 なお、芸者と幇間の揚代は金二朱で、そのうち見番に銀三匁、茶屋へ三匁を納め、本人の取り分は一匁五分である。


 祝儀である。奉公人全員に祝儀をあたえるのを惣花という。
 惣花の場合、部屋(楼主の女房のこと)、娘分・廻し方(吉原の遣手に相当)、料理番に、それぞれ金一分。
 二階の女中、河岸番(若い者)、小女(下女)、下働き(下男)、飯炊き、お針にそれぞれ金二朱。
 というのが相場だった。

仕舞
 子供を昼夜、昼だけ、あるいは夜だけ貸しきることを、仕舞という。
 仲町では、昼だけの仕舞で銀六十匁である。
 
見上り
 身請や年季明けで、女郎の身ではなくなること。
 身請のときは、年季の残りを一年八両とか、二年八ヵ月で二十両などと計算する。

廻し
 子供が客の座敷に出ていながら、馴染みの客がくるとそっとそちらに行くことを、廻しという。

羽織
 芸者のこと。
 表向き、芸者は体を売らないことになっていたが、転ぶこともあり、そのときは客が「口留金」三両を、茶屋を通じて本人に渡す。

太夫
 幇間、太鼓持、男芸者ともいう。

おきばん
 吉原の不寝番である。子供屋にひとりずついて、徹夜で拍子木を打って時刻を告げたり、行灯の火の番などをしたりする。給金は一年に金二朱か一分のため、客からもらう祝儀をあてにしていた。

夜具入替
 夜具は年に二回、五月と九月に入れ替えた。

火鉢
 十月の夷講から出し、二月いっぱいくらいまで。
 火箸には、杉の箸を用いる。


 紙は「のべ」や「小杉」で、御簾紙を使うのは仲町と土橋だけである。
 伏玉の子供屋では、帳場から子供に一帖ずつ紙を渡すが、代金二十四文を徴収した。

とや
 瘡(梅毒)に感染し、体調を崩して寝込むことを、「とやにつく」という。

筆者注)当時は性病に関して無知だったため、梅毒の初期症状が終わったのを、治ったと考えていた。「とやにつく」は、初期症状で寝込むことをさしている。いったん、とやについた子供は、しばらくすると治ったと思って、ふたたび客を取っていたのだ。

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