第5話 深川仲町(その一)
東京都江東区の一帯は、かつて深川と呼ばれた。江戸時代、深川には岡場所が多数あり、俗に「深川七場所」として有名だったが、実際には七ヵ所以上の岡場所が点在した。なかでも、仲町は永代寺(富ヶ岡八幡宮)の門前にあった岡場所で、七場所のなかではもっとも高級な遊里として知られた。安永三年(一七七四)の史料によれば、一昼夜を四つ切(四分割)にして、一切の遊女の揚代は銀十二匁だった。
安永八年ころの、深川仲町である。 両国橋のほとり、船宿と芸者の置屋にはさまれた場所に一軒の仕舞屋があった。俳句の宗匠天馬の住まいである。 宗匠といっても、なかば遊び人だった。独り身のため、遊び仲間も気兼ねなく訪れることができる。きょうも、いちおう俳号を持つ悪友が集まると、初めのうちこそ句会の相談などをしていたが、最後は女郎買いに出かける算段となった。 ひとりは新傘という号で、八丈の羽織に、青茶返しの小紋の上着といういでたち。 もうひとりは祝鶴という号で、黒羽二重の袷羽織に、微塵縞の七子の上着。 三人目は琴孝という号で、空色返しの小紋の羽織に、黒羽二重の上着に藤色博多の帯を締めていた。 「さあ、参りやしょう」 と、深川仲町に行くことがきまった。 「船宿はどこがようござりましょうね」 「やはり、そこの二見屋がよかろう」 天馬も縞紬の小袖に丹後縞の羽織を着て、四人連れ立って近所の二見屋に向かう。 二見屋は掘割の竪川に面していた。 祝鶴が声をかけた。 「かみさん、一艘こせえてくんねえ」 二見屋の女将は満面に笑みを浮かべて、 「ハイ、どこでござりやす」 琴孝が答えて、 「油堀さ」 船頭が屋根舟に乗るよう、うながし、 「サア、お召しなさりやせ」 四人が乗り込む。 桟橋の端まで見送りにきた女将が、 「ハイ、さようなら、ごきげんよう」 と、舟の艫を押す仕草をした。 四人が無駄口をたたいているうちに、舟は竪川から横川に入り、やがて油堀に入った。 船頭が言った。 「もしえ、何屋においでなさいます」 四人はあれこれと知ったかぶりの御託は並べるが、要するに馴染みの茶屋はなかった。 船頭もそのあたりは心得ていて、 「どなたもお近づきがなくば、上田屋がようござります」 上田屋は中どころの茶屋である。 しばらくして、舟は裏櫓と呼ばれる岡場所の河岸場に着いた。 「潮がねえから、もう先へは参りません。ここから歩いていただきやす。あっしも、櫓をしまってから、おっつけあとから参りやす」 船頭が、引き潮で水位が低いため仲町近くまでは行けないことを告げた。 四人は舟からおり、すでに夕闇がせまる道を仲町までぶらぶら歩いた。上田屋の暖簾をくぐってなかに入る。 「お客だよ。お常どん、見通しへお連れ申しねえ」 出迎えた女将が、二階座敷を仕切る遣手のお常に声をかけた。「見通し」は、二階の表座敷のことである。 四人は階段をのぼって、表座敷に落ち着く。 お常は煙草盆を持参し、座敷の行灯に火をともしながら、 「どなたぞ、お名指しでもござりやすかえ」 祝鶴が言った。 「誰でもいいから、中年増を呼んでくんねえ。みんな、遠慮なしに言ってやんねえ」 新傘はさりげなく、 「先日、どこやらで見かけた、お加菜とやらを聞いてくんねえ。おめえは、どうなさりやす」 と、天馬と琴孝にたずねた。 天馬はお津礼という名前を出し、琴孝は誰でもよいと答えた。 「聞いてみやすよ」 と言いながら、お常はいったん階段をおりて外に出て、見番に向かった。 そのあいだに、女中が銚子、肴を入れた硯蓋を持参したが、四人は女郎の結果がわかるまでは落ち着かないため、ほとんど酒にも手をつけない。 やがて、お常が戻ってきて、 「見番に行ってきたところ、お加菜さんはだいじょうぶですが、お津礼さんには木札に○が付いていまして、よそに行った印でございまして。そこで、お直さんということで。そのほか、お園さん、お三輪さんを呼び申しました」 祝鶴と琴孝が上機嫌で、 「よしサ、よしサ。芸者を呼びにやってくんねえ」 「羽織にしようかねえ」 「太夫がいいわな」 羽織とは女の芸者、太夫とは男芸者つまり幇間のことである。 お常が幇間の手配をした。 やがて、女郎屋からお加菜、お直、お園、お三輪の四人がやってきた。女郎が到着したのを知ると、新傘は雪隠に行くように見せかけて座敷を出るや、廊下でお加菜を呼び止め、なにやら耳元でささやいた。 その様子を、お常が目ざとく見ていた。 女郎四人が座敷に落ち着き、お定まりの盃のやり取りがおこなわれる。その間、お加菜は新傘と目を合わせようとしない。 そこへ、幇間の津摩太夫と三味線弾きの豊治が現われた。 お常が言った。 「津摩さん、一段、語んねえな」 「何ンにしやしょうね」 「尾上伊太八をば聞きてえの」 琴孝が新内を所望した。 豊治が三味線を弾き、津摩太夫が新内『尾上伊太八』の一段を語った。 みなが新内に聞き入っているあいだに、お常はそっと階下に行って、上田屋の女将に耳打ちした。 女将があがってきて、廊下から、 「お加菜さん、ちょっと来ねえ」 お加菜は鼻紙を持って廊下に出た。 女将は小声ながら、きびしい口調で詰問した。 「おめえは、アノ新傘さんとやらにお近付きのようだが、どこのうちで出なすった。相身互いのこったから、知らせてやらねえければなりやせん。言いねえな」 岡場所には独特のうるさい仁義がある。あとで、他の料理茶屋や女郎屋ともめることを心配していたのだ。 お加菜はしゅんとなって、 「アノお客にはたった一度、島屋で出たばかりさ。きょうは付き合いで来なすったけれど、他の三人が初会だに、俺ひとり裏では悪いから、初会のようにしてくれろと、言いなすったから。お常どんが見たのは、その話をしていたのさ」 「ほんに、そうかえ。そういうわけなら、いいが」 女将もいちおう納得して階下におりた。 やがて幇間と三味線弾きも引きあげ、銚子や硯蓋なども片付けられ、いよいよ床入りとなる。 (続く) |
第5話 深川仲町(その二)
さきほどまで宴会がおこなわれていた座敷に、四組の布団が敷かれた。あいだを屏風で仕切るだけの割床である。
新傘と琴孝が隣同士、やや離れて、祝鶴と天馬が隣同士だった。 「おらが長屋はここいらか。きょうも隣りだの」 琴孝がおどけて言った。 新傘が答えて、 「さようさ。相変わらず、お心安く」 ふたりは先日も、ほかの岡場所の割床で隣同士だったのだ。 祝鶴がやや声を高めた。 「新公は遠いな。遠くてよいぞ」 新公と呼ばれた新傘も声を高めた。 「それは、なぜえ」 「女と脂ッ濃く絡むから、やかましくって寝られぬ。ノウ、天宗」 天宗と呼ばれた天馬が、 「新傘どのばかりでもごぜえせん。おめえの隣りも、あんまり静かでもござりやせん」 と、祝鶴もけっこう派手なことを指摘した。 四人は天井を向いたまま笑った。 四人の女郎がそれぞれの寝床に来た。 お園は琴孝の寝床に落ち着いたあと、パンパンと手を鳴らした。 女中のお留がやって来た。 「お留どんか。わっちが煙草をもってきてくんねえ。ついでにの、茶もひとつよ」 「あい」 いったん去ったお留が、しばらくして戻ってきて、 「お園さん、開けてもよしか」 と、寝床を囲った屏風の外で言った。 「開けねえな」 お留は屏風を開け、お園に薬缶と、紙に包んだ煙草の葉を渡す。 隣りでは、お加菜が帯と上着を取り、夜着の裾のほうに置きながら、 「きょうは、よっぽど寒いねえ。おまえさんも、上着を脱ぎねえな」 「そんなら、ひとつ脱ごうかねえ」 新傘が羽織と上着を脱ぎ、屏風に掛けようとした。 「屏風へ掛けなさんな。わっちがたたんであげやしょう」 お加菜は新傘の羽織と着物をたたむと、寝床の周囲に屏風を引き回した。 座敷のあちこちであがっていたア行、ハ行の声もいつしかやみ、夜はしんしんと更ける。 新傘とお加菜がひそひそと寝物語をしているのを聞いて、祝鶴が寝床のうちから声をかけてきた。 「新公、寂しくってなりやせん。行ってもよしか」 「そちらで御用がなければ、おいでなせえし」 祝鶴は煙草入れと煙管を持って、新傘とお加菜の寝ているところにのこのことやって来た。 お加菜が枕もとの酒を勧めた。 「一杯、おあがりなせえし」 祝鶴はふたりのそばにどっかと座ると、 「酒よりやァ、おいらがいきさつを聞いてくんねえ。 お直が床に来るや、『もし、おめえさんにお願いがある』。 俺は『何ンだ』と聞いた。 お直が言うには、 『わたしが心安くする女郎衆が年明けで、あす仲町を去りやすが、どうぞ会ってきとうござりやす。そのほか、借りもあるから、ぜひそれも返してきたい』 俺は『そんなことなら、行ってこい』と言ってやった。 そのまま出て行ったきり、いまだに帰りやがらない。まあ、俺が納得ずくで行かせたのだからしようがないが、我慢ならないのは、おのしらがベチャクチャ、天馬のグウグウ、琴孝のイチャイチャ。やかましくって、寝らりやァせず」 祝鶴が憤懣をぶちまけているところへ、お直が戻ってきた。 「おや、こんなところに。ありがとうごぜえしたねえ」 お直はしゃあしゃとして、祝鶴にしなだれかかった。 「厚かましい。寄りやァがんな。布団と俺ばかりにしやがって。床を空けて歩くのも、てえげえ程があるもんだ。いま時分まで勤めれば、夜鷹でも七、八百文は稼ごうよ」 祝鶴が怒りにまかせて罵った。 お直も血相を変えた。 「それだから、訳を言ったじゃないか。夜鷹とはなんのこったえ」 「俺は江戸っ子だぁ。うぬらがようなあまと口をきいていると、夜が明ける。新公、俺は帰るによ」 新傘がなだめ、酒を勧めた。 「そんなに腹を立てずとも。ひとつあがって」 お加菜もあいだを取り持ち、 「お直さんも寄ンねえな。わっちが燗をしてきやしょう」 騒ぎを聞いて、琴孝が起き出してきた。 「もう帰るか。では、俺も行くわの」 とうとう、そのまま帰ることになった。 琴孝が大きな鼾のしている方を見て、 「アノ宗匠はどうする」 新傘が答えて、 「置いていってもようごぜえしょう」 「やはり、知らせないのは悪かろう」 祝鶴が屏風の外から、 「目を覚ましねえな。おめえさんは、あした帰ってもよかろうぜ」 と、自分たち三人が帰ることを告げた。 天馬もようやく目を覚まし、 「おおきに酔ったぞ。モウ何ン時だ。そうか、では帰りやしょう。コレ、起きねえか」 と、そばに寝ているお三輪を揺さぶった。 三輪は「まだいいわな」と言いながら起きあがったが、無意識のうちに手を髪に回して飾り物を数えていた。時々、客が髪飾りを盗むからだった。 四人は支度をして、階段をおりる。 見送りに出てきた四人の女郎が、 「お近いうちに」 と、声をそろえた。 上田屋の若い衆が提灯を持ち、船宿まで案内する。 祝鶴はまだ憤然としていた。 「今夜のような、いまいましい晩はねえ」 琴孝がなぐさめ、 「そうさのう。この腹いせは」 新傘と天馬がすかさず、 「裏櫓か」 「裾継で」 裏櫓も裾継も岡場所で、深川七場所のうちである。 東の空が白み始めていた。 (終わり) 第六話へ |