江戸の風俗八百八店

永井義男

2004年5月1日更新

第5話 深川仲町(その一)

 東京都江東区の一帯は、かつて深川と呼ばれた。江戸時代、深川には岡場所が多数あり、俗に「深川七場所」として有名だったが、実際には七ヵ所以上の岡場所が点在した。なかでも、仲町は永代寺(富ヶ岡八幡宮)の門前にあった岡場所で、七場所のなかではもっとも高級な遊里として知られた。安永三年(一七七四)の史料によれば、一昼夜を四つ切(四分割)にして、一切の遊女の揚代は銀十二匁だった。
 安永八年ころの、深川仲町である。


 両国橋のほとり、船宿と芸者の置屋にはさまれた場所に一軒の仕舞屋があった。俳句の宗匠天馬の住まいである。
 宗匠といっても、なかば遊び人だった。独り身のため、遊び仲間も気兼ねなく訪れることができる。きょうも、いちおう俳号を持つ悪友が集まると、初めのうちこそ句会の相談などをしていたが、最後は女郎買いに出かける算段となった。
 ひとりは新傘という号で、八丈の羽織に、青茶返しの小紋の上着といういでたち。
 もうひとりは祝鶴という号で、黒羽二重の袷羽織に、微塵縞の七子の上着。
 三人目は琴孝という号で、空色返しの小紋の羽織に、黒羽二重の上着に藤色博多の帯を締めていた。
「さあ、参りやしょう」
 と、深川仲町に行くことがきまった。
「船宿はどこがようござりましょうね」
「やはり、そこの二見屋がよかろう」
 天馬も縞紬の小袖に丹後縞の羽織を着て、四人連れ立って近所の二見屋に向かう。
 二見屋は掘割の竪川に面していた。
 祝鶴が声をかけた。
「かみさん、一艘こせえてくんねえ」
 二見屋の女将は満面に笑みを浮かべて、
「ハイ、どこでござりやす」
 琴孝が答えて、
「油堀さ」
 船頭が屋根舟に乗るよう、うながし、
「サア、お召しなさりやせ」
 四人が乗り込む。
 桟橋の端まで見送りにきた女将が、
「ハイ、さようなら、ごきげんよう」
 と、舟の艫を押す仕草をした。
 四人が無駄口をたたいているうちに、舟は竪川から横川に入り、やがて油堀に入った。
 船頭が言った。
「もしえ、何屋においでなさいます」
 四人はあれこれと知ったかぶりの御託は並べるが、要するに馴染みの茶屋はなかった。
 船頭もそのあたりは心得ていて、
「どなたもお近づきがなくば、上田屋がようござります」
 上田屋は中どころの茶屋である。
 しばらくして、舟は裏櫓と呼ばれる岡場所の河岸場に着いた。
「潮がねえから、もう先へは参りません。ここから歩いていただきやす。あっしも、櫓をしまってから、おっつけあとから参りやす」
 船頭が、引き潮で水位が低いため仲町近くまでは行けないことを告げた。
 四人は舟からおり、すでに夕闇がせまる道を仲町までぶらぶら歩いた。上田屋の暖簾をくぐってなかに入る。
「お客だよ。お常どん、見通しへお連れ申しねえ」
 出迎えた女将が、二階座敷を仕切る遣手のお常に声をかけた。「見通し」は、二階の表座敷のことである。
 四人は階段をのぼって、表座敷に落ち着く。
 お常は煙草盆を持参し、座敷の行灯に火をともしながら、
「どなたぞ、お名指しでもござりやすかえ」
 祝鶴が言った。
「誰でもいいから、中年増を呼んでくんねえ。みんな、遠慮なしに言ってやんねえ」
 新傘はさりげなく、
「先日、どこやらで見かけた、お加菜とやらを聞いてくんねえ。おめえは、どうなさりやす」
 と、天馬と琴孝にたずねた。
 天馬はお津礼という名前を出し、琴孝は誰でもよいと答えた。
「聞いてみやすよ」
 と言いながら、お常はいったん階段をおりて外に出て、見番に向かった。
 そのあいだに、女中が銚子、肴を入れた硯蓋を持参したが、四人は女郎の結果がわかるまでは落ち着かないため、ほとんど酒にも手をつけない。
 やがて、お常が戻ってきて、
「見番に行ってきたところ、お加菜さんはだいじょうぶですが、お津礼さんには木札に○が付いていまして、よそに行った印でございまして。そこで、お直さんということで。そのほか、お園さん、お三輪さんを呼び申しました」
 祝鶴と琴孝が上機嫌で、
「よしサ、よしサ。芸者を呼びにやってくんねえ」
「羽織にしようかねえ」
「太夫がいいわな」
 羽織とは女の芸者、太夫とは男芸者つまり幇間のことである。
 お常が幇間の手配をした。
 やがて、女郎屋からお加菜、お直、お園、お三輪の四人がやってきた。女郎が到着したのを知ると、新傘は雪隠に行くように見せかけて座敷を出るや、廊下でお加菜を呼び止め、なにやら耳元でささやいた。
 その様子を、お常が目ざとく見ていた。
 女郎四人が座敷に落ち着き、お定まりの盃のやり取りがおこなわれる。その間、お加菜は新傘と目を合わせようとしない。
 そこへ、幇間の津摩太夫と三味線弾きの豊治が現われた。
 お常が言った。
「津摩さん、一段、語んねえな」
「何ンにしやしょうね」
「尾上伊太八をば聞きてえの」
 琴孝が新内を所望した。
 豊治が三味線を弾き、津摩太夫が新内『尾上伊太八』の一段を語った。
 みなが新内に聞き入っているあいだに、お常はそっと階下に行って、上田屋の女将に耳打ちした。
 女将があがってきて、廊下から、
「お加菜さん、ちょっと来ねえ」
 お加菜は鼻紙を持って廊下に出た。
 女将は小声ながら、きびしい口調で詰問した。
「おめえは、アノ新傘さんとやらにお近付きのようだが、どこのうちで出なすった。相身互いのこったから、知らせてやらねえければなりやせん。言いねえな」
 岡場所には独特のうるさい仁義がある。あとで、他の料理茶屋や女郎屋ともめることを心配していたのだ。
 お加菜はしゅんとなって、
「アノお客にはたった一度、島屋で出たばかりさ。きょうは付き合いで来なすったけれど、他の三人が初会だに、俺ひとり裏では悪いから、初会のようにしてくれろと、言いなすったから。お常どんが見たのは、その話をしていたのさ」
「ほんに、そうかえ。そういうわけなら、いいが」
 女将もいちおう納得して階下におりた。
 やがて幇間と三味線弾きも引きあげ、銚子や硯蓋なども片付けられ、いよいよ床入りとなる。
                             (続く)

第5話 深川仲町(その二)

 さきほどまで宴会がおこなわれていた座敷に、四組の布団が敷かれた。あいだを屏風で仕切るだけの割床である。
 新傘と琴孝が隣同士、やや離れて、祝鶴と天馬が隣同士だった。
「おらが長屋はここいらか。きょうも隣りだの」
 琴孝がおどけて言った。
 新傘が答えて、
「さようさ。相変わらず、お心安く」
 ふたりは先日も、ほかの岡場所の割床で隣同士だったのだ。
 祝鶴がやや声を高めた。
「新公は遠いな。遠くてよいぞ」
 新公と呼ばれた新傘も声を高めた。
「それは、なぜえ」
「女と脂ッ濃く絡むから、やかましくって寝られぬ。ノウ、天宗」
 天宗と呼ばれた天馬が、
「新傘どのばかりでもごぜえせん。おめえの隣りも、あんまり静かでもござりやせん」
 と、祝鶴もけっこう派手なことを指摘した。
 四人は天井を向いたまま笑った。
 四人の女郎がそれぞれの寝床に来た。
 お園は琴孝の寝床に落ち着いたあと、パンパンと手を鳴らした。
 女中のお留がやって来た。
「お留どんか。わっちが煙草をもってきてくんねえ。ついでにの、茶もひとつよ」
「あい」
 いったん去ったお留が、しばらくして戻ってきて、
「お園さん、開けてもよしか」
 と、寝床を囲った屏風の外で言った。
「開けねえな」
 お留は屏風を開け、お園に薬缶と、紙に包んだ煙草の葉を渡す。
 隣りでは、お加菜が帯と上着を取り、夜着の裾のほうに置きながら、
「きょうは、よっぽど寒いねえ。おまえさんも、上着を脱ぎねえな」
「そんなら、ひとつ脱ごうかねえ」
 新傘が羽織と上着を脱ぎ、屏風に掛けようとした。
「屏風へ掛けなさんな。わっちがたたんであげやしょう」
 お加菜は新傘の羽織と着物をたたむと、寝床の周囲に屏風を引き回した。
 座敷のあちこちであがっていたア行、ハ行の声もいつしかやみ、夜はしんしんと更ける。
 新傘とお加菜がひそひそと寝物語をしているのを聞いて、祝鶴が寝床のうちから声をかけてきた。
「新公、寂しくってなりやせん。行ってもよしか」
「そちらで御用がなければ、おいでなせえし」
 祝鶴は煙草入れと煙管を持って、新傘とお加菜の寝ているところにのこのことやって来た。
 お加菜が枕もとの酒を勧めた。
「一杯、おあがりなせえし」
 祝鶴はふたりのそばにどっかと座ると、
「酒よりやァ、おいらがいきさつを聞いてくんねえ。
 お直が床に来るや、『もし、おめえさんにお願いがある』。
 俺は『何ンだ』と聞いた。
 お直が言うには、
『わたしが心安くする女郎衆が年明けで、あす仲町を去りやすが、どうぞ会ってきとうござりやす。そのほか、借りもあるから、ぜひそれも返してきたい』
 俺は『そんなことなら、行ってこい』と言ってやった。
 そのまま出て行ったきり、いまだに帰りやがらない。まあ、俺が納得ずくで行かせたのだからしようがないが、我慢ならないのは、おのしらがベチャクチャ、天馬のグウグウ、琴孝のイチャイチャ。やかましくって、寝らりやァせず」
 祝鶴が憤懣をぶちまけているところへ、お直が戻ってきた。
「おや、こんなところに。ありがとうごぜえしたねえ」
 お直はしゃあしゃとして、祝鶴にしなだれかかった。
「厚かましい。寄りやァがんな。布団と俺ばかりにしやがって。床を空けて歩くのも、てえげえ程があるもんだ。いま時分まで勤めれば、夜鷹でも七、八百文は稼ごうよ」
 祝鶴が怒りにまかせて罵った。
 お直も血相を変えた。
「それだから、訳を言ったじゃないか。夜鷹とはなんのこったえ」
「俺は江戸っ子だぁ。うぬらがようなあまと口をきいていると、夜が明ける。新公、俺は帰るによ」
 新傘がなだめ、酒を勧めた。
「そんなに腹を立てずとも。ひとつあがって」
 お加菜もあいだを取り持ち、
「お直さんも寄ンねえな。わっちが燗をしてきやしょう」
 騒ぎを聞いて、琴孝が起き出してきた。
「もう帰るか。では、俺も行くわの」
 とうとう、そのまま帰ることになった。
 琴孝が大きな鼾のしている方を見て、
「アノ宗匠はどうする」
 新傘が答えて、
「置いていってもようごぜえしょう」
「やはり、知らせないのは悪かろう」
 祝鶴が屏風の外から、
「目を覚ましねえな。おめえさんは、あした帰ってもよかろうぜ」
 と、自分たち三人が帰ることを告げた。
 天馬もようやく目を覚まし、
「おおきに酔ったぞ。モウ何ン時だ。そうか、では帰りやしょう。コレ、起きねえか」
 と、そばに寝ているお三輪を揺さぶった。
 三輪は「まだいいわな」と言いながら起きあがったが、無意識のうちに手を髪に回して飾り物を数えていた。時々、客が髪飾りを盗むからだった。
 四人は支度をして、階段をおりる。
 見送りに出てきた四人の女郎が、
「お近いうちに」
 と、声をそろえた。
 上田屋の若い衆が提灯を持ち、船宿まで案内する。
 祝鶴はまだ憤然としていた。
「今夜のような、いまいましい晩はねえ」
 琴孝がなぐさめ、
「そうさのう。この腹いせは」
 新傘と天馬がすかさず、
「裏櫓か」
「裾継で」
 裏櫓も裾継も岡場所で、深川七場所のうちである。
 東の空が白み始めていた。

                        (終わり)
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