番外編T 軽井沢宿(その一)
現在は避暑地として知られる長野県軽井沢町にはかつて、中山道の宿場である軽井沢宿が置かれていた。天保十四年(一八四三)には本陣一軒、脇本陣四軒、旅籠屋二十一軒があった。宿場町だけに飯盛女(宿場女郎)も多数いて、宝暦年間(一七五一〜六四)には二百五十人にもおよんだという。
安永八年(一七七九)ころの軽井沢宿である。 商家の主人の嘉兵衛と出入りの職人の伊介という、ふたり連れの旅だった。 嘉兵衛は馬に乗り、伊介はあとから歩いている。ふたりともこれまでに東海道は何度か経験していたが、中山道は初めてだった。 日はすでに西に傾きかけている。 そろそろ軽井沢宿に着く。 馬の轡を引く馬方が、たずねて言った。 「旦那、何屋におろしやすえ」 馬上の嘉兵衛は織色木綿の黒羅紗の装束をした半合羽を着て、腰には細身の脇差を一本差していた。 「何屋でもよいわい」 馬方は後ろを振り向き、声を張りあげた。 「お供さん、どうしようね」 黒木綿の合羽を着た伊介が答えた。 「旦那はもちろん、俺も木曽路は初めてだ。どこでも、よさそうな内ィ、付けてくんねい」 馬方は笑うと、 「じゃあ、女のええ内にしようね」 嘉兵衛は馬上でうなずき、 「うむ、美しい女郎のいるところがよいわい」 「そんなら、津川屋にしやしょう」 軽井沢宿に入ると、あちこちから、 「お泊りかえ」 と、旅籠屋の女中が声をかけてくる。 馬方は「津川屋だぁ、津川屋だぁ」と、すでに泊まる旅籠屋が決まっていることを告げて進む。 津川屋に着くや、馬方が触れた。 「サア、お泊りだよ」 女中のお咲がさっそく迎えに出て、 「お早うお着きなさりなさりました。それ、与八どん、お湯ぅ取らっせえ」 下男の与八が、足をすすぐための湯を用意する。 馬方が伊介に言った。 「なんと、ええ内でごぜんしょうが」 伊介はうなずきながら、 「よしよし、おおきに大儀だった」 と、料金とは別の酒手を渡した。 馬方は上機嫌で、 「これはありがとうごぜえす。そんなら、ご機嫌よう。お咲どん、ご馳走さっせえよ。ヘエ、いめえましい。見れば見るほど、ええけつだ」 と言いながら、尻をたたいた。 「アレサ、よさっせえな。そんなら、休まっせえ」 お咲は怒ってみせたが、最後はちゃんと馬方をねぎらって送り出していた。 嘉兵衛と伊介が案内されたのは、八畳の奥座敷だった。 ふたりが女郎を呼ぼうかと相談しているところへ、お咲が顔を出した。 「もしえ、女郎衆ゥを出し申しましょうかね」 嘉兵衛が真顔で、 「おらァ、女郎衆より、こなさんが呼びたいわナ」 「それはもう、ありがとうございます。ほんにおめえがたは、お江戸はどこでござります。わたしも久しくお江戸におりましたが、ちっとしたことで、いまはこんな所ィ来ております」 お咲のことばに地元のなまりがないのは、かつて江戸で暮らしていたからだった。 伊介が横から、 「おおかた、色恋沙汰のもめごとだの」 嘉兵衛も笑いながら、 「そうじゃろう、そうじゃろう」 お咲はさらりとかわした。 「そういうことにしておきましょう。ところで、女郎衆は年増衆かえ」 伊介が「もちろん、もちろん」と言ったのに対し、嘉兵衛は「イヤ、わしは新造がよいぞや」と答えた。 年増とは年増の女郎、新造とは若い女郎のことである。 「アイ、そんなら、年増衆と新造衆にいたしましょう」 と、お咲がいったんさがる。 下働きをしている小娘のお初が銚子を持参した。 しばらくして、お咲がふたりの女郎を引き連れて座敷に現われた。 ひとりは苅藻といい、二十四、五歳くらい。黒木綿の紋付の布子を着ていた。 もうひとりは浮草といい、十六歳くらい。花色木綿に茜裏の綿入を着ていた。 お咲が儀礼の杯の応酬をおこない、 「アイ、憚りながら」 と、まず年長の嘉兵衛に杯を渡した。 お咲は心得ているため、嘉兵衛の杯を浮草にまわす。 浮草は不審そうに言った。 「ヤレ、わしにかえ。違ったんべえによ」 年齢のつりあいから、自分の相手は若い伊介と思っていたのだ。 お咲は笑いながら、 「いえ、おめえでございます」 と、嘉兵衛・浮草、伊介・苅藻という組み合わせを告げた。 伊介がお咲をかえりみて、 「旦那は下戸だが、わっちやァ飲みやす。なんぞ、肴ァねえかね」 「なんぞあげたらよかろうが、ここらにはなにもお肴が……、玉子はえ」 「その玉子がよかろう」 お咲はいったん台所に行き、しばらくして二膳の膳を持参した。 「あい、お吸い物ができました」 伊介の椀には卵の吸い物、下戸の嘉兵衛の椀にはぼた餅が入っていた。気をきかせたのである。 お初が座敷をのぞいて、 「お客さんがた、湯ゥあびさっしゃりませんか」 お咲も勧めた。 「ホンニいまのうち、風呂へお入りなさいましな」 「そんなら、そうしようかいの」 と、嘉兵衛が風呂場に向かう。 お初が案内に先に立ち、浮草も背中を流すために同行する。 お咲は「いま、おまんまを出します」と台所に引っ込んだため、座敷には伊介と苅藻のふたりきりになった。 「おめえ、飲みなさらんか」 伊介は苅藻がさきほどから寒そうにしているのを見て、酒を勧めた。 「いいえサ、ちっとでも飲むと、面が猿のようになり申すよ」 「寒かァ、もっとこっちィ寄りなせえ」 「最前からそうは思いますが、わしらがような者ァさぞいやだんべえと思って、遠慮のヲします」 「ナニ、いやなことがあるものか。ずっと、ここへ寄りな」 苅藻は伊介のそばににじり寄った。 「そんだら、許さっしゃりまし。どうでハア、お江戸サの女郎衆のように、なにも面白えこたァおざんねえが、その代わりにやァ、寝てみさっしゃりまし。天竺までも持ちあげてみせますべえ」 江戸の女郎への対抗意識をあらわにして、必ずや堪能させてみせると意気込みを示した。 伊介も思わず笑った。 「それは、なによりさ」 苅藻の純朴さがおかしくもうれしかった。 (続く) |
番外編T 軽井沢宿(その二)
嘉兵衛が風呂場から戻ってきて、 「サア、おめえ、入らねえか」 と、伊介に勧めた。 そばから苅藻も、「そんだら、サア」と、うながす。 「行こう、行こう」 と、伊介と苅藻は連れ立って風呂場に向かった。 浮草が言った。 「いまに、お飯が出ますべえ」 嘉兵衛が自分のぼた餅を押しやり、 「これを食べるがええ」 浮草は目を輝かせた。 「こりやァ、好きだもし。なぜ、食わっしゃりませんか」 「もうすぐ飯だから、わしはええ」 「そんだら」 浮草が手づかみでぼた餅にかぶりついた。 嘉兵衛はその食べっぷりを楽しそうにながめながら、 「ホンニ、うまそうな食い様じゃ。大概、いくつほど食べるかの」 「ナニサ、お江戸衆なんだァ、信濃者は大喰ノするように言わっしゃりますが、わしどもはそんだァじゃァござりましねえ。この位のぼた餅だら、十七、八も食えばたくさんだもし」 そのとき、お咲が膳を持参した。 「あい、おまんまを」 伊介も湯から戻ってきて、食事が始まった。浮草と苅藻がそれぞれ飯の給仕をする。 伊介が不満そうに、 「旦那、なんと木曽路はむごいね」 おかずは味噌汁と野菜の煮付けだけで、魚はなかった。 嘉兵衛も食事の粗末さに閉口していた。 「とんと魚のない所じゃの」 食事が終わり、膳がさげられる。 お咲が座敷を見渡し、 「おくたびれなさりましたろう。お床にいたしましょう。サア、おめえがたも着替えてお出なせんし」 苅藻と浮草は「あい」と答え、着替えをするために出て行く。 伊介がたずねた。 「ときに、旅籠代は」 「アイ、あすでもようござります」 「そんならあすの朝、いっしょに勘定しよう」 お咲は手早く二組の寝床をこしらえると、 「あいだを仕切らずは、悪うござりましょうネ」 嘉兵衛も渋い顔になった。 「仕切りがなにもないというのも、変なものだな」 お咲が機転をきかせ、戸板を持ち出してくるや、 「あいにく、屏風がございませんので。これで」 と、二組の寝床のあいだに板戸を横にして置いた。 伊介が面白がり、 「屏風の気取りはどうでごぜんす」 「とんだ侘びたものじゃ」 嘉兵衛も苦笑している。 お咲があいさつをして出て行くのに向かい、伊介が言った。 「そんなら、あすは七ツ半(午前五時ころ)立ちだよ」 「アイ、かしこまりました」 その後、ふたりが寝たまま板戸越しにしゃべっていると、寝巻きに着替えた苅藻と浮草がやってきた。いよいよ、お床入りである。 浮草は夜着をめくって、嘉兵衛のそばに横たわった。 「もっとこっちらィ寄らっしゃりましな。ヤレハア、げに気のつまった寝ようだもし。帯さあ解かっしゃりまし」 「おまえも解きな」 「わしやァ、ハア、帯どころじやァおざんねえ。コレ見さっしやりまし。真っ裸でい申すよ。お江戸の女郎衆ァ、馴染みにならねえけりやァ、帯さァ解かねえそうだが、わしらァ三味のゥかじることもならず、江戸節ナァ知らず、あにも面白えこたァおざんねえ代わりに、床サ入っちやァ、勤めとやらァおっぱなれて夫婦逢だモシ」 三味をかじるとは三味線を弾くこと、江戸節とは浄瑠璃の河東節のことである。 嘉兵衛は笑いをこらえながら、 「では、帯を解こうか」 「帯サもふんどしサもおっ取って、股ぐらサ割り込みなさろ。それからァはあ、わしがええようにすべえサ」 「これでよいか」 「もっとひっつきなさろ。ソレ、よかんべえが」 浮草が大胆な性技を披露する。 いっぽう、隣の寝床では伊介と苅藻がいちゃついていた。 「今夜ァでかく寒い晩げだ。ちくと足さ、あっためてくれさっしゃりまし」 と、苅藻が足を伊介に押し付けた。 「コレ、あっちの女郎衆は裸になったそうだが、なんと、ぬしはどうだ」 「そりやァはあ、安いこんだけれども、あんと思はっしゃるべえと思って、ひけえていました」 苅藻も真っ裸になった。 伊介も帯を解く。 「いまから、寝かしはしましねえ。いやじやァあんべえけれども、最前からの約束だァから、天竺まで持ちあげねえけりやァ、心がすまねえもし」 「そんなら、この足をこうしな」 伊介が江戸の女郎屋仕込みの体位を望んだ。 苅藻は従順な返事をした。 「どうにでも好きにさっしゃりまし。今夜ひと晩げはおめえの女房だァもの」 戸板を隔て、ふたつの寝床であえぎ声があがる。 翌朝。 浮草と苅藻も土間のところまで見送りにくる。 お咲が言った。 「はい、お荷物はみんな付けましたよ」 伊介が礼を言い、 「お世話、お世話」 嘉兵衛もお咲をねぎらい、 「夕べから、みんなおめえのお世話じゃの」 伊介が最後に、三人にあいさつした。 「おおきにお世話になりやした」 浮草と苅藻が声を合わせて、 「そんだら、機嫌よく立たっしゃりまし」 お咲がふたりの後姿に向かって言った。 「どなたも、お江戸に帰る際には必ず訪ねなすってくださりまし」 嘉兵衛と伊介は振り返りながら、 「おさらば、おさらば」 「そりやァもう、如才はなしさ」 ふたりは昨夜のことを思い出し、顔を見合わせて照れ臭そうに笑った。 (終わり) 第8話へ |