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モトミーズとは?(田中 求著「モトミーズとの歩み〜ザ・ファック・ユー・メイク」より抜粋)
「ポール・マッカートニーは言った、『ジョンは−みんなそうだけど−ロックンロール史上最高にグレイトでダーティなレコードを作りたいと願っていた』と。私とモトミーズのやろうとしていたのは、まさにそれだった」〜本文前書きより
第壱章 「あるモトミーとの出会い」
1999年夏の事だった。大阪から島根県出雲市へと戻ってきて3ヶ月がすぎ、激動の日々も終わりを告げつつあった。
新しい職にもようやく慣れてきた私は、思わず出来た休日を利用して地元のライムスタジオという楽器屋兼音楽スタジオへと出かけた。言うまでもなく地元ギャルバンドを物色するためだ。そこで私はジョーイ・モトミーと運命的な出会いをする事になる。
(中略)
「俺と一緒にイズモ・ギャルにモテモテになってみないか」それがジョーイの最初の言葉だった。
私に否の言いようがある筈がなかった。
彼の話によると、バンドはあるらしかった。基本的な4人編成バンドに、時たま加わるキーボードがアディッショナル・メンバー。
私の仕事は、彼らの録音作業の指揮・手伝い、楽曲の提供(モトミーズは作曲の出来ないバンドらしかった)、日本の良質なエロマンガの調達、並びにグルーピーの手配とのことだった。
「又連絡するよ」ギャルバンドが練習中のスタジオに盗撮用カメラをしかけながらジョーイは言い残し、作業が終わるとともにスタジオを去っていった。
第弐章 「ファーストレコーディング・オブ・ザ・モトミーズ」
三瓶山に於ける1週間の教職員初任者研修が終わった日の事だ。
家に戻ると、机の上にジョーイからの手紙が置いてあった。
「ツトムへ。休暇は楽しかったかい?出張費で飲みまくったかい?お土産のエロマンガは忘れちゃいないだろうね!
今度は僕が休みを取るので、モトミーズを宜しく。8/10に君がスタジオに着く頃には誰かが来ているはずだと思うよ」
名前を間違えられるという屈辱に体を震わせながら、楽器と機材を一切持っていないモトミーズの為に、私はタスカムのレコーディングシステムとあらゆる弦楽器、そして2本のスティックを愛車のマーチに積みこみ、スタジオへと出向いた。
(中略)
最初に取り上げたのはビートルズの「ドント・レット・ミー・ダウン」だった。
メンバーはこれを激情迸るナンバーとして再生させたいようだった。
私が与えた指示は「自分の仕事をしろ」の一言であったが、ドラムのジェリー・モトミーのした仕事は期待以上のものであった。
彼はわずか5テイクでこの熱情溢れるドラムを叩き切ったのだ!流石はヌンチャクをスティックに持ち替えた男である。勢いに乗った彼はこの日だけで「Why
don't we do it in the road?」、「雨を見たかい」「You can't put your arms
around a memory」「愛はどこへ行ったの」「スペクトラムの夜」の6曲のドラムを録り終えてしまった。どのテイクもミスはあったが、勢いと流れを損なわないよう録り直しは今後一切しない事に決めた。
続いて入れ替わりにスタジオにやってきたジョニーはかなりの気分屋だった。私の持参したギブソン・レスポールスペシャルとスタジオのギターアンプで充分なトレブルが得られないと分かると、リハーサルとはがらりと違ったスタイルを試し始めた。「今宵、モトミーズと」におけるサウンドがやや古臭く70年代っぽく聞こえるとしたら、それはジョニーのスタイルのためだ。
彼はまた1テイク終える毎に休憩を取りたがった。そのために私が用意したエロマンガはゆうに30冊を超えた。休憩のたびにプレイは良くなったが、エロマンガの効用による身体変形のため、立ってギターを弾く事は次第に不可能となっていった。
(後略)
以下各章掲載予定