| 美濃の正倉院 岐阜県本巣郡北方町北方 |
| ○弘法大師が創建 円鏡寺(真言宗)は、弘仁二年(西暦811年)嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が創建した真言宗別格本山で、美濃三弘法の一つです。後に、織田、豊臣、徳川氏から朱印をうけています。 ○円鏡寺開基の由来 弘仁の頃(810〜823年)、東の方から紫の雲が伸びて御所を包みました。嵯峨天皇がこのことを尋ねられると、大臣は「紫は大変よい色であります。きっと東の方に良い事がある知らせでしょう。」と申し上げました。天皇はしばらく東の空を見上げておりましたが、「空海は唐の国で修行してきており、こういう事に詳しいから空海を遣わしてその源を調べさせよ」と大臣に命令しました。 空海は、心に響くかすかな霊気を探りながら東に旅立っていきました。そして、美濃の北方村についた時、急に良い香りが村を包みました。驚いた村人たちは戸外に飛び出しました。空海は「この香りは菩薩の香りである。私はこの村で夢のお告げを聞いた。菩薩はこの地に寺を建てよとおおせられた。寺を造って村の幸を願おう」と呼び掛けました。 村人たちは歓声をあげ、空海と共に寺を建て始めました。空海は自分でノミを使い不動尊像を彫り、完成した寺に収め、寺名を定照院と名付けました。その後定照院は一条天皇より「池鏡山円鏡寺」の名を賜り、千年の時を超えて今もなを優美な姿をとどめています。 |
![]() |
○美濃の正倉院 楼門(国重文)は鎌倉時代の代表的な建造物で、その美しさから明治神宮南楼門のモデルとなったことでも有名です。 梁に残る銘によると永仁四年(西暦1296年)永尊によって建立されたもので、檜皮葺の入母屋造などすべて円柱の代表的和様建築で当時の様式・手法をよく伝えています その門の両脇には、運慶作と伝える木造金剛力士像(国重文)があります。口を開いているのが金剛、口を閉じているのが力士で、金剛・力士を一般に仁王と呼びます。鎌倉初期の寄木造で作られたこれらの像は、写実風のなかに力強さがよく表れています。 本尊の木造聖観音立像(国重文)は、像高約1.8m、檜の寄木造です。また木造不動明王立像(国重文)は穏健な写実的表現がなされており、右手を腰にあてて利剣をとり、左手には絹索をさげています。 この様に円鏡寺には貴重な文化財が多いことから「美濃の正倉院」とも呼ばれています。 |