| 岐阜県本巣市根尾能郷 白山神社 |
| ○能郷白山は岐阜と福井の県境 能郷は、四方を千メートル以上の山々に囲まれており、わずかにこの山々の間を縫って流れる根尾川に沿って、南にその門戸を細く開いているに過ぎない。 ほんの一握りの農地と山仕事に頼っていた明治以前において、毎日の暮らしは決して楽なものではなかったに違いない。こうした村人にとって、集落の中央に鎮座する氏神白山神社(奥の院は福井県との境にある海抜1,617mの能郷白山山頂にあり、養老元年泰朝大師の開基と伝えられる)は、その生活の支柱であった。 今日、わずかに中世のおもかげを伝えている能・狂言は、この白山神社の祭礼に能郷村の猿楽衆の家16戸によって、村内安全、家内安全、五穀豊穣を祈って奉納されて来た神事芸能である。 ○猿楽衆は世襲 猿楽衆の家は16戸で、能方、狂言方、囃子方とそれぞれ家が定まっており、世襲で、能方から狂言方へ養子に行けば狂言役をつとめ、狂言方から能方へ養子に行けばシテ・ワキ役をつとめ、全く別の家から猿楽方の家へ養子に入れば、その家に定められている役をつとめることになっており、また、猿楽の家から他家に行けば猿楽をつとめることは出来なかった。 しかも、演目はすべて口伝であったため書いたものは無く、ただ、慶長3年3月に白山神社神主溝尻孫太夫が改め書いたと奥書のある、高砂、八島、田村、夷毘沙門の「間狂言間語」が残っているのみである。 この厳格な規律が今日まで少しの変化も無く伝えられて来ているのは、まことに珍しく貴重なことと言わなければなるまい。 ○古能の始まりは奈良朝? この能・狂言がいつごろから始まったかは、宝物殿が2度の炎焼で焼失しているためさだかでなく、史料的に慶長3年以前に遡ることが出来ない。ただ、次のような伝説があるので紹介しよう。 『奈良朝の時、美濃権守なるものこの道をよくせり、故ありて同国立花村に左遷せられ、この村を納合(のうごう)と改む。たまたま天皇のご即位によりて大赦にあひ帰京す。ここに奈良春日神社社前に能(この時代能楽なし、舞楽なるべし)を演じて叡慮にあづかり、翁の面を賜る。拝辞して納合にかへる。これより納合を能郷に改む。』 |
| ○能郷の能狂言は純粋な能の源流 演じ方は今日の能とは異なっており、謡はシテもワキもすべて地謡方が受け持ち、装束をつけて舞台に立つものは、ただ時折身振りをするだけである。 舞の様式が古風であることなどから、今の流派の固定する以前の能の源流が、そのまま何等の手を加えられることなく純粋なすがたを遺しているものと考えられる。 現存の面形は全部で20面、この中の大部分は実に素晴らしい作品で、翁面、三番雙面、若女面、尉面、般若面及び現在使用不能に帰しているいくつかの狂言面など、その製作年代において室町期をくだるものではないと言われている。 ○上演は年1回、4月13日 能郷の祭礼は毎年4月13日、能・狂言は年1回この日に限って上演される。本来は篝能であり、夜間に行われたのであるが故あって現在は昼間に行われている。 ○見直された極めて貴重な文化財 明治以後、衰退の一途をたどった能・狂言は、昭和30年京都大学猪熊教授にその価値を見出され、昭和33年4月23日岐阜県重要無形文化財に指定されるに及んで、県内、近県はもとより遠く関東、関西の各地から来訪者相次ぎ、しだいに往時の盛況を取り戻しつつある。 昭和51年5月4日、国重要無形民俗文化財の指定を受けた。 |