「千と千尋の神隠し」と 'Spirited away'
─ 辞書の記述と辞書の利用についてひとこと,ふたこと,みこと… ─
  「千と千尋の神隠し」は今回のベルリン映画祭では 'Spirited away' というタイトルがつけられたようです。'be spirited away' というのは英和辞典を引いてみると「ひそかに連れ去られる」,英独辞典では 'verschwinden' という訳語が与えられています(本論とは関係ありませんが,英語では受動表現なのに,ドイツ語では自動詞による訳語が与えられているのが興味深く感じられます)。'spirit' という語が含まれていますから,「神隠し」のニュアンスを伝えようとしているのでしょうか。手元にある英英辞典で spirit away を引いてみると,'take somebody/something away quickly, secretly or mysteriously (as if magic)' のように出ています。「なくなる」のは「人」に限らず「物」でもいいんだということにまず気がつきますが,意味的には「不思議な感じ」というニュアンスを伴うのが分かります。とは言え,「魔法」的ということですから,「神様」とはずれている感じです。きっとキリスト教文化圏の神様は人を「隠し」たりはしないんでしょうね。そもそもお風呂にぷかぷか浮かんでいるヒヨコの集団のことも神様だと言われたら,彼らはどう思うのでしょうか。ちょっと興味があります。そう言えば,イギリスの「ハリー・ポッター」は魔法使いの世界,アメリカの「モンスターズ・インク」はモンスターの世界でした。不思議の国というのにはそれぞれの文化圏の事情がありそうです。僕が「神隠し」という語を初めて聞いたのは,多分小学校の頃同級生からだったと思うのですが,この語の説明をしてもらったとき,なんだかとってもぞっとした感じを受けたのを覚えています。このような恐れ(畏れ)のニュアンスは翻訳では失われてしまうように感じられます。先に引いた英英辞典の例文は次のようなものです。'The pop-star was spirited away at the end of the concert before her fans could get near her.' (the pop-star を her で受けているのが最近の辞書のトレンドっぽくておもしろいですが)やはり「こわい」というよりは「不思議な」感じです。

  長くなりましたが以上が前置きで,ちょっと気になったので和独辞典で「神隠し」を引いてみます。まずI文堂の和独では 'weggezaubert werden',なるほど,「魔法」という方向にもっていきました。一方,S修社の和独では 'von einem Gott entfuehrt werden' のような表現が出ています。こちらでは「神」という語を生かそうとしたと思われますが,神様による誘拐…。難しいですね。そもそも「神隠し」ってどういう意味なんだろう。I波書店の『K辞苑』を見てみると,「子供などが急にゆくえ知れずになること。古来,天狗や山の神のしわざとした」ということです。

  一つ一つの語には長い歴史を通じてその文化で培われてきた個性があり,単純な置き換えで済まない場合が多々あります。その場合は語義にかかわるどの部分を訳すのか,どこを取り上げてどこを捨てるのか,といった問題とぶつかることになります。これまでに見た英語やドイツ語の表現ではいずれも「隠す」という語のニュアンスが伝わらないような感じがしますがどうでしょうか。加えて,先に触れた「畏れ」のニュアンスまで訳出しようとしたらかなり大変そうだというのが容易に想像できます。そう言えば,翻訳にかかわるこの種の問題を取り上げた本に「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」というのがありました(米原万里著)。余談ですが。

  さて,「辞書」についてはいろいろと語らなければならないことがありますが,今回の関連では,使用者の主体的なかかわり方ということを強調しておいてよいでしょう(まあ,ありきたりの話ですが)。単純な例で言うと,和独辞典で「かご」を引いたら 'Saenfte' と出ていたからといって,単純に「かご」 = 'Saenfte' としてしまっては明らかに困ったことになるということです(Saenfte はお姫様を運ぶ「かご」のことです。リンゴを入れる「かご」は Korb,鳥を入れる「かご」は Kaefig)。

  巷では次々と優れた外国語辞典が出版されています。「かご」レベルの問題であれば,すでに十分工夫されているか,今後工夫されていくことでしょう。近年ではとりわけ英語を中心として,学習者を対象とする学習辞典に目覚ましい発展が見られ,まさに至れり尽くせりの状況になっています。一方で,様々な出版社の辞書がお互いの長所や特色を取り入れ,個々の辞書の間に大きな相違が見られないという状況が出現しつつあるように思われます(雑誌『英語青年』にリレー連載されていた「理想の英語辞書」というコーナーでは,近い将来辿りつくであろうこのような状況について「一種の飽和状態での横並び」という表現がなされていました)。このように辞書の記述が丁寧になればなるほど,使用者が(あるいは指導者が)意識しておかなければならない問題があるように思われます。

  具体例で考えてみましょう。ドイツ語の名詞には一般に複数形を作ることができる可算名詞とそうでない不可算名詞があるというのはいいとして,辞書では前者の場合には複数形を,後者の場合には「複数なし」などと表示し,そのことを「記述」しています。けれど,少し考えてみれば分かるとおり,状況はそんなに単純ではありません。例えば一見明らかに「可算」名詞であるかのような Apfel <リンゴ> であっても,いったんすりおろしてしまえば途端に「不可算」名詞となります。Apfelmus <リンゴのムース> がふつうは複数形を作らないのと同じような状況になるわけです。ついでながら,可算・不可算の扱いに関して言語によって差が見られる場合があります。よく知られた例としては,英語の information という単語は「不可算名詞」だけれども,ドイツ語の Information やフランス語の information はごくふつうに不定冠詞と用いられたり複数形で用いられたりするというのがあります。先の「リンゴ」と対照的な場合としては,このように抽象的な名詞が「可算」扱いされる場合です。極端な例を見ておくと,ドイツ語の Geduld <忍耐> という名詞は辞書記述のレベルでは「複数なし」ということですが,ではまったく可算扱いされないのかというと,やはりそうはなりません。'Sie hatte eine Geduld, die von allen bewundert wurde.' <彼女は誰もが驚くような忍耐力を持っていた> のように,詳しい特徴づけがなされる場合は不定冠詞を付されることがあります。

  辞書における言わば固定化された記述に対して,実際に用いられることばの柔軟な状況,そのしなやかさを,使用者側で意識しておく必要があるということです。

  そんなことを考えているうちに,A日出版の辞書のことを思い出しました。この辞書は日本語的な表現をドイツ語でどう表現するのか説明しています。引いてみたらおっと…(以下,一部伏字)。
神隠し(に会う)  weggezaubert (werden)   wegzaubern は「魔法で消してしまう」こと。その受身形によって「神隠しに会う」を表わした。×××という訳をさる和独辞典で見かけたが,ドイツ人には何のことだかわかるまい。ギリシア神話中のエピソードか何か思い浮かべてくれれば上出来といったところ。  *振り返ってみると彼女は神隠しに会ったように消えていた。たった今までまだそこにいたのに。Als ich mich umdrehte, war sie wie weggezaubert verschwunden, gerade war sie noch da!  (『日独口語辞典』朝日出版社,135頁)
  最後に,ここの卒業生でT修館書店の営業をやっているK茂君からいただいた『Gニアス和英辞典』を引いてみたら,「神隠し」の項になんと 'be spirited away' と出ていました。

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