2005年8月8日 加筆修正
2006年5月23日 加筆修正
2009年7月5日 加筆修正
浜松市天竜区鹿島にあるこの駅は、新浜松方面からの遠鉄の終着駅であると共に、北遠地方の玄関口であります。 また、天竜浜名湖鉄道との接続駅でもあります。
現在の駅舎は、1979年4月に建てられた2代目で、ロッジ風のお洒落な建物です。中部の駅100選に選ばれたこともあります。 ちなみに、建物の2階は、乗務員の宿泊施設になっているのだとか。
西鹿島駅は、開設当初、国鉄二俣線が主体の駅でした。列車交換設備や貨物用の側線があり、運営も国鉄が行っていましたが、 貨物取り扱いの廃止や交換設備の撤去に伴い、遠鉄が業務を引き継ぎ、現在では遠鉄の終点であると同時に車両基地になっています。
駅前の広場は、かつては、二俣方面や笠井方面に向かう路線バスが頻繁に発着していました。多い時には、 遠鉄バスと国鉄バスが合計4台も並ぶこともありました。
この場所で方向転換をしていたので、専門の誘導員が待機していて、バスが到着するたびにバックの誘導をしていました。
この菓子屋(左)と食堂(右)は、私が子供の頃から、変わることなく営業している老舗です。
駅舎に向かって右手となるこの場所は、現在、路線バスの乗り場になっていますが、かつては貨物 (木材が主体)の積み込みをするためのヤードがありました。バス乗り場になっているあたりが、貨物用の側線だった場所です。小型のディーゼル機関車が、貨車の入れ替えをしていたのを覚えています。
昔、西鹿島駅の近辺には、多数の製材工場があり、駅前の通りは、木材や製材を積んだトラックが盛んに行き交っていました。 驚くなかれ、1960年代後半までは、木材を積んだ「馬車」も運行されていました。
駅の敷地は、南北に細長く、緩やかにカーブしています。南側(新浜松側)には、検車場や洗車機があります。
細長い敷地のため、線路はジグザグ状に配線されています。 このため、奥の留置線に電車を入れる際は、構内を何度も行ったり来たりして、転線させることになります。 一度、その光景を見たことがありますが、整備担当の人が、二人掛かりで電車を前後に動かしていました。
検車場の反対側(北側)には、ホーム、駅舎、電車工場、留置線があります。
一番手前のホーム(1番線)の更に東側(写真右手)には、1960年代まで、貨物ホームがありました。
「発掘カラー写真 昭和30年代 鉄道原風景 東日本私鉄編」(JTBパブリッシング)という本を見ると、1960年の西鹿島駅付近の写真(しかもカラー!)が載っていて、30系以前の旧型電車と共に、不鮮明ですが、留置されている貨車が写っています。
1番線の端を新浜松側から写した写真です。矢印の辺りに、先述の貨物ホームの名残が見受けられます。
西側にも、かつて使われていた貨物ホームと側線の跡が残っています。ホームの跡地は民間に売却され、現在では眼科医の診療所と住宅が建っています。
レールは、天竜浜名湖線で、写真奥が新所原方面です。左手奥には、遠鉄の検車場が見えます。
電車工場です。私が訪れたときは、日曜日のため休みでした
二両編成の電車を収容するスペースがありますが、通常は1両ずつ入れて点検整備を行うそうです。
駅構内の配線は、現在と過去とではまったく異なっていて、1000系電車が留置されているこのあたり(電車工場隣)には、かつて貨物の側線や、機回り線がありました(下の写真参照)。
二俣線でSL列車が運行されていた頃は、毎日午後3時頃になると、C58型蒸気機関車が引く長大な貨物列車が新所原方面から到着し、貨物の入れ替えをした後、二俣方面に出発して行きました。 保育園からの帰り道、その光景を見るのが、幼き日の私の日課でした。
ホームは3面5線あって、最盛期にはフルに使われていたようです。現在もホームは3面残されていますが、遠鉄が2線、天竜浜名湖線が1線を使用するのみです。
写真右手の30系電車の向こう側に天竜浜名湖線のホームがあります。上でも述べたとおり、SL列車が走っていた頃の二俣線ホームでは、列車交換も行われていました。それどころか、優等列車の追い抜きすら可能な配線でした。(実際行われていたかは判りません)
貨物扱いの廃止後、交換設備は撤去され、ディーゼル機関車や貨車達も去り、構内はがらんとしていましたが、遠鉄が電車工場と検車庫を移転した際に配線の整理が行われ、現在の配線となりました。
ここからは、昔の西鹿島駅の貴重な写真をご紹介します。
この写真は、二俣線のSLが廃止になる日(1971年3月31日)の撮影で、当時の西鹿島駅の線路の様子が判る、大変貴重な写真です。
撮影場所は、現在のバスターミナルと駅舎の間で、現在の電車工場のあたりを写しています。一番右側の線路は、二俣線に接続されている貨物側線です。また、車止めのある線路は、遠鉄の1番線・2番線と接続され、電気機関車の機回り線として使うことができたようです。
2番線、3番線から延びた線路が二俣線と接続されています。気動車が乗り入れていた頃は、ここから二俣方面に出発して行ったのでしょう
SL列車が通過中の線路が、二俣線のホームです。この当時は、列車交換ができるようになっていました。
<<写真提供;847様>>
さらに今回、電車工場建設前の駅構内、建替え前の旧駅舎、それに旧型車両が鮮明に写っている貴重な写真の掲載許可をいただくことができました。
この写真は、1977年(昭和52年)2月17日の撮影です。西鹿島に電車工場が移転したのが、1977年12月ですから、建設工事が始まる直前の西鹿島駅構内を写しています。
上の写真の貨物側線(一番右側の線路)は、既に撤去されています。また、見えにくいですが、一番線から延びた線路の末端の架線柱がコンクリート柱に取り替えられており、電車留置線の建設が既に始まっていることが判ります。
<<写真提供;奥野 中様>>
上の写真の反対側(国鉄二俣線ホーム)からの撮影です。
写真中央の電車は、モハ21号で、1956年6月にナニワ工機(現、アルナ工機)で製造されました。単行での運用を考慮した両運転台型ですが、当初からクハ車と組んで2両編成で運用された他、増結用として用いられ、28年間に渡って走り続けた後、1984年2月15日に廃車されました。
そのモハ21号の右側には、トタン屋根の旧駅舎が見えます。なお、停車中の30系電車は、クハ80号と思われます。
手前には、3番線から二俣線に接続された線路が撤去された跡が見受けられます。
<<写真提供;奥野 中様>>
西鹿島駅の変遷です。赤色が遠鉄の線路、黒が国鉄二俣線または天竜浜名湖線です。
左;1950年代末頃の様子。国鉄二俣線の駅で、遠鉄が間借りしているような形でした。この頃は、貨物扱いが盛んで、駅周囲3箇所に貨物ホームや貨物ヤードがありました。
ホームは、国鉄側から1番、2番の順で、遠鉄が4番、5番を使用していました。国鉄二俣線への乗り入れ列車は、4番線から発車して行きました。
右;現在の駅構内。昔とは逆に、敷地全体が遠鉄電車の車庫となっていて、天竜浜名湖線は、かつての1番線を使うのみです。先述の通り、貨物ヤードの跡地は、バス乗り場に変わっています。