『新・街道をゆく』その2
〜八重山への道(晩編)


 日がそろそろ傾きはじめる時間となっていた。だが、いつしか空に立ち込めていた雲にそれを確かめる術を我々は失った。その天候のもと、車はまた島の西側に続く海岸線を走り続ける。朝からの精力的な活動により、なんとなく体も重くなってきた。
「最後にセイシカの橋に行こう」
 S氏がまた面白そうなポイントをガイドブックから拾っていた。小さな紹介写真に、森の中にかかる沖縄唯一の吊り橋とキャプションが付け加えられている。吊り橋自体は珍しく感じないが、沖縄で唯一という響きに好奇心をくすぐられた。
 S氏の的確なナビゲーションにより、その橋があるバンナ森林公園へは容易に到着することができた。途中、付近の展望台に立ち寄ったが、展望台の建物そのものがガウディ様式とビッグサンダーマウンテン様式との融合を表現しているようで面白い。眺望は広大な丘陵地と遠くに於茂登岳をはじめとする山々が見渡せて気持ちがよい。視線を転じれば港や市街地も一望できる。

 バンナ公園北口に車を止め、もうほとんど人の気配のない公園に足を踏み入れた。同じようにレンタカーの若い家族連れが、僕とS氏と前後して入園していた。彼等とは数度園内ですれ違ったが、他の客とはついに出会うことはなかった。
 ここは森林公園と呼ばれるだけあって、確かに広い。しかし、歩道はよく整備されており、途中途中の木々ほとんどに名称を記したプレートが用意され、ちょっとした勉強の場にもなる。本土ではまず目にすることのない珍しい植物に、なるほどと納得してしまう上手い名称がつけられているものもあれば、想像も着かない変わった名前のものも数多い。また、園内では蝶々の繁殖も積極的に行われ、シーズンには方々に咲き誇る花々に無数の蝶々が舞う風景を楽しめるようだが、あいにくいくら暖かい場所とはいえ季節は冬であったため、それらを目にすることはできなかった。

 歩けども歩けども、吊り橋にたどり着かない。道を間違えたのかと脇道に折れるが、すぐに別れ道に差しかかってしまった。いつもはたいがいはたらくカンが全く冴えをみせない。
「どっちだろう。全くわからないよ」
 お手上げの自分に対し、S氏はしばらく双方の道の奥手に目をやり、
「こっちだ」
 とおもむろに左手の道を指さした。鬱蒼とした森に続くもの寂しい林道を彼は選んだ。自信があるようだった。迷わずそれに従った。これがいつものやり方だ。冴えているほうのカンを頼りにするのが、旅では暗黙のルールになっている。たいがいは、これで成功をおさめる。
 昼なお薄暗い林道を進む。左右に道が何度か折れて、ほんの100メートルも進んだであろうか。急に明るい場所にでた途端、S氏がふと立ち止まった。吊り橋があった。
「さすが。一発で着いたよ。見事なカンだ」
 思わず僕はS氏を賞賛したが、見ると様子がなんとなく違う。

 対岸まで橋はおよそ10メートルほどしかない。下は川なのであろうが、数メートル下の底は深い藪に覆われていて、全く識別が不可能である。それどころか、この橋そのものが藪に覆われていてどうも景観がすぐれない。吊り橋ではないような造りの吊り橋であった。
「写真とはだいぶちがうなあ」
 橋を渡りながら、S氏がそう言いながら首を傾げている。もし、この橋がガイドの写真と同じものならば、あのカットはどこから撮影したものか疑問が浮かんだ。きっと、橋は別にあるに違いない。そこから本道へのルートを開拓したが、ようやく出るとそこは先ほどの入り口に近い場所だった。再び公園の奥地へと歩を進めた。
 途中で家族連れとすれ違った。例の一緒に入園した家族である。帰り道らしい。先を歩いていた男達が、いつしか後ろを歩いていたことに少し驚いているようにも見えた。理由はわかるまい。
「橋を見たから戻って来たんだ。これで間違いはない」
 今度こそと思いを秘め、僕とS氏はさらに奥へと歩いていった。

 沖縄唯一の吊り橋、セイシカの橋にたどり着いた。
 見るからに頑丈そうなワイヤーに支えられ、100メートルはあろうかという長さの立派な吊り橋が、そこに存在していた。橋は園内の湖に架けられており、上から見下ろす限り湖面まではゆうに20メートルはあろうか。道の中央部分が柵状の鉄フタで作られているため両端の手すりからでなくとも真下の世界が見下ろせる。怖い。
 橋の半ばまで進み、そこからの眺めを楽しんだ。それほどの絶景とは思わなかったが、湖と一面の緑がなかなか美しい。
「これでもう、どんなニーズにも応えられる案内人になれる」
 S氏が言った。そう、この吊り橋を最後に、僕とS氏はここ石垣島における全ての観光ポイントを余すところなく網羅してしまったのである。もう、見るべき場所はこの島では何一つとしてない。
 寂しくもあったが、S氏の言う通り案内人としては最高レベルに到達している。どんな場所に行きたい、見たいの全てに対応できる。S氏はそのことがよほど誇りに思えるらしく、ああいった場合はこうだとか、こういった場合はああだなどと、すでに様々な状況を予測しシュミレーションをし続けている。それで、いいと思う。
 僕もまた案内をすることが好きだ。いいと思った場所を案内して、喜んでもらえることが何よりの幸せだ。だから、面白い場所をこれからも僕は探し続けよう。旅は一人、大勢、いずれも楽しい。

 日が少しずつくれていくのがわかった。
 最後に、市街と港を一望できる高台にある展望台を訪れた。その名も「エメラルドの海をみる展望台」である。〇〇がみえる、ではなく、〇〇をみる、である。この表現がS氏の感性により響いたらしく、彼はその名前を終始絶賛していた。
 道脇に車を止め、展望台に登った。数年前、一度僕はここを訪れていたが、この場所の名前までは知らなかった。
 これから夜景に変わろうとしている市街の灯りが見えている。空港から今離陸しようとしている小さな機体がかすかに見えた。離島往復の定期船が帰ってくれば、港は再び静けさを取り戻す。本来のゆったりとした時間の流れが、島に戻ってくる一瞬を、僕はじっと見守っていた。
「ここ、いいね」
 S氏によれば、沖縄でも有数の絶景ポイントだと言う。天候がよれけば、それこそエメラルドの海をみることができるし、夜であれば市街の夜景がさぞ美しいことであろう。夜空も然りである。ただ、夜中に来ようにも道は暗いし、複雑でここまで辿り着ける自信がない。まあ、案内人にもあえて欠点を残しておこう。

 あたりが暗くなるのと同時に、早めに夕食の店に移動した。
 郷土料理「舟蔵の里」は、S氏同様この島を訪れる度の行きつけの店の一つである。店の構えは、初めてここを訪れた7年前とほとんど変わらない。広い敷地に士族屋敷とも思える大きな旧家を改装して作られた店舗は、店というより家にいるような落ちついた気分を楽しめる。だが、ここ数年で雰囲気はだいぶ変わった。
 係の店員の態度はかなり横柄になった。この店は大々的な宣伝活動の結果、島を訪れる人々の大部分を集客することに成功し、他の追随を許していない。もともと、料理の質も高かったため繁盛するようになったのであろう。黙っていても客は来る、そしていつも忙しい、このことがある種の奢りに変わったとしても納得できるが、明らかにそうであってはならないと思う。

 だが、料理も変わっていた。メニューは変わらないが、本質そのものが変わってしまった。味音痴な僕にはわからなかったが、食通であるS氏はいともなく指摘する。
「僕はグルクン(和名、タカサゴ。沖縄の県魚)のから揚げが好きでね。特に骨までバリバリ食べられるくらいにうまく揚げられているのが何より美味いと思っている。沖縄には何度も来て、その度にグルクンを食べたけど、骨まで食べられるグルクンを出す店はそう多くない。ここはその貴重な店の一つだったけど」
 そう言いながら、僕に食べ残された骨片を見せた。自分とは比べものにならないくらい上手に食べているが、彼はそれではもの足りないらしく、しきりに残念がっている。
 骨まで食べられるグルクンのから揚げは、その調理に相応の手間隙がかけられる。だからこそ、彼のような食通をうならせ、上客の愛されてきた店なのであるが、それが変わってしまった。

 最初、客は僕とS氏の二人だけであったが、時間が過ぎるにつれ次第に店の中が混んできた。隣のテーブルには関西からの年配客がもの珍しげに目前の郷土料理を覗き込んでいる。
 そこへ奥から、三線をかかえた中年男性が現れて曲を弾きだした。「安里屋ユンタ」である。

  安里屋のクヤマによ
  あん美(ちゅ)らさ まりばしよ
  マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨー

 こんなサービスが行われ始めたことも、僕は知る由もなかった。ずいぶんと賑やかな店になったものだ。その唄者(うたしゃー)が何かリクエストはないかと客に言う。とはいえ、島唄を知る観光客は皆無である。
「月ぬ美しゃ(つきぬかいしゃ)、お願いします」
 僕の言葉に、唄者がおっという顔をしてにやりと微笑んだ。

  月ぬ美しゃ 十日三日
  美童(みやらび)美しゃ 十七つ
  ホーイ チョーガ

  東から上りおる 大月の夜
  うきなん(沖縄) やいまん(八重山)照らしょーり
  ホーイ チョーガ

 月ぬ美しゃは、ここ八重山で生まれた美しいバラードである。
 同じ島唄でも、本島付近の唄とここ八重山の唄は違う。本島でのドミファソシド音階が、ここではあまり使われない。むしろ日本本土 の民謡に近いくらいである。ただ、高音の使い方が本土のそれとは違い、系統的には奄美諸島の島唄を似ているような気がする。もちろん、僕は専門家ではないから詳しいことはわからない。とはいえ、ここ八重山地方の島唄はいい。

 歌い終えた唄者が、さらにないかと僕に向かって言う。
「とぅばらーま、お願いします」
 僕は八重山のスタンダードバラードをリクエストした。すると、その唄者は伏せ目がちに小さく首を振り、
「すみません。この唄はこの時期は歌えないんです」
 そう言って、申し訳なさそうに笑顔を見せていた。聞くところによると、この「とぅばらーま」は島の伝統で正月のうちには決して歌ってはならないらしい。何か深い理由が込められているのだろうが、唄者はそれを説明することをあまり好まない様子だった。代わりに「小浜節」を演奏した。

  小浜てぃる島や 果報ぬ島やりば
  大獄(うだき)ばくさで 白浜前なし

  大獄に登て 押下し見りば
  稲粟ぬなうり みるく世果報

 小浜節もまた美しい八重山地方のバラードである。泡盛のグラスを傾けながら、僕はしばしその歌声に酔いしれた。
 彼の歌声が届いたのであろうか、歌が終わるなりあたりから拍手が沸いた。さらに歌ってくれるという。それではと僕は次の希望を言おうとした瞬間、
「唐船どーい」
 と、予期せぬ横槍が入った。S氏である。唄者がいくらか困った表情を見せたが、すぐに大きく頷いた。
「じゃあ、踊って下さい」
 せっかく心安らかな唄で疲れを癒してもらおうと思っていたのに、こんな早弾きダンスナンバーをリクエストするとは。しかもこの唄は八重山でなく本島のものである。僕に言わせれば、明らかな反則行為である。そして、S氏はにわかに唄者から手振りの指導を受けると、なんと一人で歌に合わせ踊り出した。たった一人で、である。
 ──Sって、こういう人だったろうか──
 S氏への認識が、また少し変わった。
 しかし、これだけの賑やかな曲であるから、ダンサーが一人だけというわけにはいかない。S氏は楽しみながらも、目で救援信号をしきりに送ってくる。やはり、一人で踊り続けることはかなり精神的消耗が激しいらしい。かくして、隣のテーブルにいた年配客が犠牲となり、ダンサーとなった。はじめはぎこちなくとも、自然に楽しくなってくるのか、最後には皆笑顔を浮かべていた。あの人達には、旅のいい思い出になったと思う。夕宴は「唐船どーい」のダンスビートと共にクライマックスを迎えていた。

 S氏が唄者から名刺を受け取っている。隣の年配客は、明日大坂に帰るが、その前に必ず竹富島には寄ると、僕とS氏のアドバイスを受け入れてくれていた。爽快な気分だ。やがて、この店に昔からいる居候の猫の相手にそろそろ飽きたS氏の様子を見計らって、席を立った。
 勘定場での対応は、この店の女将であった。凛とした姿でこの女将だけは店で唯一対応がいい。それは変わっていなかった。勘定を終えると、女将は我々にサーターアンダギーの小袋を一つずつサービスだと言って手渡し、そのまま店の外まで見送りに出てくれた。別れの際にも正しい言葉づかいでやさしく声をかけてくれる。まるで予期せぬ、粋なはからい、である。

 今夜もまた、暖かな大浴場を楽しみにホテルへと戻る。ついでに、かの土産店でS氏に幻の泡盛「泡波」の一升瓶(東京では時価いくらか想像できない稀種。この島酒は小瓶でもまず目にすることはない逸品。波照間島産)現物を見てもらい、心底驚嘆する姿を楽しませてもらった。気さくな店の女主人としばらく談笑した。そして、頼まれていた波照間黒糖を買い、ようやく一日が終わった。

 大浴場ですっかり温まった体を、思いきりベッドに投げ出し、今日一日の充実を振り返っていると、S氏が言った。
「で、明日、どこに行こうか?」
 そうだった。滞在はあと一日にもかかわらず、その予定はまだ決められていない。

 (晩編に続く)
  ちょっとー、ほんと明日どうすんのよー?  彼等のあてのない旅はそれでも続く。
  次回、「黒島への道」。乞う、ご期待。




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