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『新・街道をゆく』番外編 |
花見の季節。 沖縄ではその季節は一月におとずれる。本土ではまだ正月気分の醒めやらないこの時期に、沖縄はもう桜を見ることができる。 とはいっても、ここの桜は淡い桃色がかった花びらのソメイヨシノではなく、それよりも幾分か赤味がかったなんとも粋な風情のヒカンザクラである。 毎年、一月の必ずしも咲くわけではないが、今年は正月を過ぎてから適度な寒暖が続いたため、特に早まったのだと地元の人は言っていた。遅い年は、開花が三月になるときもあるらしい。いずれにしても、本土よりも一、二足早い花見となる。 八重山から那覇に戻ってきた僕とS氏は、その夜国際通り近くにある内装は悪くないのだが照明がむき出しの白色蛍光灯という郷土料理屋で夕食を済ました。料理は悪くはなかったが、あの色の明かりはどうも食事処としては落ちつかない。 「最後、明日は北部に行って桜でも見物したいなあ」 S氏が言った。最近、新聞でもニュースでも本島北部での開花の模様が紹介されるようになった。僕自身もまだ沖縄の桜は実は見たことがない。久しぶりに北部に足を向けてみようと思った。 数年前だろうか、本土ではビールのテレビCMで北部今帰仁(なきじん)城の見事な満開の桜並木を俳優の仲代達矢さんがゆっくり歩いているシーンがあった。あの同じ風景を見に行くのだ。 翌日、雲は多いが晴天の部類の天気となった。途中、沖縄自動車道で僅かなカタブイに遭ったが、以降はおおむね良好な移動だった。 北部一の街、名護を抜けると周囲は緑の多い風景に様変わる。中南部は緑はあるがだいたいが宅地か畑に浸食されていて自然を実感するにはもの足りないが、北部に来ればそのうっぷんはすぐに晴らされる。鬱蒼とした熱帯植物、数々の固有動植物の息づくこの広大な森林地帯を、沖縄では山原(やんばる)と呼ぶ。 世界で未曾有の平和国家であった琉球が、まだ平和でなかった時代、国は三つの勢力に分断され、それぞれを北山、中山、南山の名で複数の王朝が築かれていた。三山時代という。のちに中山王が琉球の統一を果たし首里に王府を置くまでの間、この山原は北山王の支配下に置かれていた。その中心でもあったのが、今帰仁であり、今に残るその城跡は沖縄屈指の名城の一つに数えられている。我々の最初の目的地である。 さすがに桜のシーズンであるためか、普段はひっそりとした今帰仁の城が意外に賑やかなのに驚いた。駐車場には観光バスが2台、レンタカー数台、地元からの車もある。城門傍の入城券を買うと、売り子のおばあがここから近くの八重岳には行ってきたかと聞いてきたので、まだと答えるとそちらのほうが桜は咲いていると言っていた。 荒々しく積まれたいかにも堅牢そうな石垣の城門をくぐると、なだらかな細い登り坂が続いて、その両脇に樹齢のまだ若い桜が並木をつくっている。暖かな日差しに誘われるように、僕とS氏はゆっくりとこのまっすぐな坂道を歩きだした。 枝の先の、色づいたつぼみの中にぽつんと開花しているものがあった。それがあちらこちらに見える程度の、まだ一分咲きとも言えぬような開花ではあったが、一月とは思えぬ穏やかな風に吹かれながら、この可憐な薄赤い桜を見ていると、不思議に春の盛りを感じるように思えた。辺りは眩しい日差しに照らされ、緑もまた鮮明に映えている。気分がいい。仲代さんになったつもりで、井上陽水さんの当時のBGMを口ずさんでみる。そう、これだ。 坂を登り切ると、小さな茶店があり一人のおばあが店主をしている。この近くの人で沖縄通の人間でないとまず会話についていけない。夏場はここで缶ジュースを買うと、手製らしいアイスクリームをおまけしてくれもする。が、約33%の確率で食あたる。 去年の夏、実家の父が写真を撮りにここを訪れたとき、僕はこのアイスクリームに初めてやられた。今日はというと、店は開いているがおばあの姿が見当たらない。たぶん、裏で草取りでもしているのであろう。 城壁から眺める広大な東シナ海の大海原が素晴らしい。珊瑚礁の海は、光の加減によって複雑な緑や青に色を変え、沖の外海はまさに紺碧の世界が延々と続くばかりである。正面沖に浮かぶ離島は、県最北端に位置する伊是名(いぜな)、伊平屋(いへや)の両島である。右手には本島の端、辺戸岬へと続く山原の連山が見える。今帰仁城は荒城となってしまったが、遺構の規模は首里城よりも大きいように思われる。そしてなにしろ、このなんともいえぬダイナミックさに惹かれる。 「あのときは大嵐だったからねえ」 S氏のいうあの時とは、彼が初めて沖縄を訪れた7年前のことをいう。台風の余波で、空は暗雲立ち込め強風吹き荒れるなかここまでやって来たのだが、同じこの場所で当時は嵐に吹き飛ばされそうになっていたときに比べて、今日の穏やかなことといったらない。 「これで、今帰仁の"イメージ"が払拭されたよ」 彼の中で、新しい今帰仁像が生まれたようである。 その後、危険立ち入り禁止と書いてある城壁の修復地帯を通り抜け、三の丸くらいの郭広場に下りてみると、それを見た他の観光客が続々と我々と同じようにやってきてしまった。途中危険でも何でもなかったので構わないだろう。 ふと、姿を消していたS氏が崩れた城壁の切れ目から戻ってきた。 「何か見つけた?」 「見つけた。すごい大発見」 この城にタダで入場できる入り口を見つけたと言っていた。難攻不落と言われたこの城も、S氏によってとうとう弱点を見つけられてしまったのである。この今帰仁城もじきに陥落するだろう。ただし、ハブの活動が停滞している時期であればこその入り口であるようで、あまり人には薦められない。 桜が咲いているとはいえ、花見ほどの風情を楽しむまでには至らなかったため、先ほどのおばあに言われた通り、近くの桜の名所である八重岳(453メートル)に向かった。車で20分もかからぬうちに、八重岳の登り口にたどり着いた。広い駐車場があるのでここから歩いて行くのかと思ったが、他の車はそれを尻目に道をそのまま上がっていった。観光バスの客はここで降ろされ、長蛇の列で同じ道を徒歩で登っている。僕は車を止めずに、他の乗用車とともに上がっていった。 頂上に向けて車道を走ると、案の定、道の両脇には途切れることなく桜の木が並んでいる。屋台のような店もところどころにあり、なんとなく祭りの様相を感じた。 上がり口で一分にも満たなかった開花が、高度を上げるにつれ次第にその割合を高めているのがわかった。じきに一分咲きの枝が続くようになり、それがやがて二分咲きへと変わってきた。なるほど、シーズンには渋滞になるはずだと納得しながら車を走らせていると、林間広場という大きな公園の入り口の前を通り過ぎた。大きな立て看板がある。 『頂上付近、満開!!』 これに気づいたS氏が胸を踊らせた。なんと頂上は満開とのことである。僕もまた大いに期待した。 標高が高くなるにつれ、眺めもかなり良くなってきた。本部(もとぶ)の街と東シナ海が一望できる。両側には桜。もうほとんどが二分から二分五厘の咲きぐあいである。この調子で頂上は満開へと移り変わっていくのであろう。 そして、三分咲きの層にたどり着いたと同時に道は行き止まりとなった。頂上に着いてしまった。道はこれより上はない。あたり一面、美しい三分咲きの桜が並ぶ。 「ま、満開は……」 僕は言葉を失い、S氏は呆然とその光景を見て立ち尽くす。 ここ沖縄では、桜は三分咲きでも“満開”という。我々は満開の桜に迎えられ、至福の時間を過ごした。 帰り道、途中立ち寄った瀬底ビーチの白い砂浜にたたずみ、目の前の透明な海の向こうに浮かぶ伊江島の島影を見つめながら、S氏と一つの疑問をしばらく考えていた。 結局、その答えはいまだに満足に至るものが出ないまま、現在に至るまで月日を重ねている。 ──では、本当の満開になったら、何と呼ぶのだろうか── というその疑問は、今や永遠の謎である。 |
〜山原への道〜(完) これにてとりあえずは連載終了。 楽しんでいただけましたでしょうか。 また、旅の機会に恵まれることがありましたら 『新・街道をゆく』、再開いたしますので それまで乞うご期待。 読んでいただき、どうもありがとうございました。 同行のS氏にも最大級の感謝を捧げます。 そして最後にひとこと、“やっぱり旅っていいよなあ”。 |
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