《 夢の宮11 》

 かいば
海馬をわたる風

作者:今野緒雪

表紙・挿絵:波津彬子

コバルト文庫 こ7-17  1998年12月10日初刷

ISBN:4-08-614535-9


  もはやシリーズ中のシリーズとして定着した感じのする《薔薇シリーズ》であるが、今回は山さ(う〜、文字)と出会う前の茨木と月季の情景を枠として、砂漠で発見された二体のミイラの生前を語っている。こんな感じで発見された天然のミイラとしては、ロプ・ノールの畔で発見された少女のミイラが有名ですが、まぁなんというか……エジプトのいわゆるミイラのように、人が加工したものではない、よ〜するに乾燥屍体。これが発見されて考古学者や歴史学者がヨロコブ事がありますが、それは死んだ時そのまんまに屍体が保存されているからで、すなわち文書や絵などとは違い、当時のものがいわばナマ(いや、乾燥はしてるけど)で見られる事が重要なわけですな。
  さて。鸞というのは内陸の国らしいので、海のものが出てくるのは珍しい(そんな国で、水槽に入れ替える海水を調達するのはさぞや大変だったのではないか、と余計な想像もした)。とはいえ、海はしばしば女性として考えられてきた。母なる海。海の泡より生まれ、魚を象徴としたウェヌス。海の星なる聖母マリア。北欧の嵐の女神ラン。海底から海の幸を送るシベリアの女神セドナ。また、胎児を支える羊水は海水に似ている……ともいう。今回のヒロインである麻[女朱]は、これらの女神像と重なってみえる。麻[女朱]は幼い頃の約束通り、彼女の珂霄を守り、育て、成長してはその妻となり、珂霄の子を宿す存在となったからだ。そういえば、ウェヌスの魚はその豊饒性の象徴であると同時に、彼女の息子/恋人でもあった。
  これに対して、皋悦の珂霄が「水槽から出たいと望んでいる魚」であり、しかも海/水とは正反対の特性を持つ砂漠へ向かおうとした事は興味深い。砂漠、実はこれもしばしば海に喩えられる事があるのだが、一般的には不毛の地である事は間違いない。何も生み出さず、命を飲み込むものの象徴としても用いられる。無論、実際には砂漠なりの生命があり、営みがあるのだが。この事は、同性愛というものがしばしば”不毛なもの”として考えられている事を彷彿とさせなくもない。

〈1998/12/13〉


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