はじめに、私は特別な信条、宗教をもたない人間ということを最初にお断りしておきます。
(宗教上の理由などでそういったものに賛成できないひともいるとおもうので。)私は小学校から高校まで長野県の公立の学校で「普通」に教育を受けてきました。その上でこの「国旗国歌」法案について自分なりに考えてみようと思います。
まず、学校で教員は国旗、国歌を「反対」の立場から、つまりそれらをネガティブなもの、更にいうとまるで悪の権化のように教えています。
社会科教科書にくわえてサブの資料集(日の丸をもった日本兵が悪事のかぎりをつくすお決まりのイメージイラストや日の丸を持っての出征の見送りの写真など)や朝日新聞の切り抜きのコピーなども活用して「侵略戦争」「日本の責任」などとかなり力をいれて教えていました。まいとし映画や戦争ものの本を読ませたり、作文(いかに日本が悪いことをしたか、もう二度とこのようなことがないように、といった内容の)を書かせたりその力の注ぎっぷりは、かなりのものです。
また、このようなことになったのは、当時は言論統制があって教育もそれに反対することができなかったのも原因です、恐ろしいですね、二度とこのような世の中にならないようにしましょうね、と教えます。
お断りしておきますが私は戦争はもちろん反対ですし、どれほど皆が苦しんできたかも教えていただいて知識として知っています。過去にした事にたいしては悪いことを認め謝罪するべきと思います。
しかしこの後「国旗国歌」についてのフォローはなく、このネガティブなイメージばかりが残されます。アジアの国々の人にとっては戦争を思い出させるものであり、そのような国旗国歌を使うのはいかがなものか、と。この教育が成功したのか、無関心であるといわれる若い世代でもこの法案に反対という方が多いようです。
さらに国歌ですがこれは音楽の教科書の最後のページに載っていましたが、完全に存在を無視されていました。一度も歌ったことはありませんし教えられたこともありません。
もちろん「歌わされる」なんてことはなく、どちらかというと「歌わせない」という感じです。入学式、卒業式でも一度も聞いたことはありません。それから私の通っていた高校は、社会科教師を中心にかなり「教組」が強いところだったようで、卒業式当日に日の丸を掲げるどころか、「私たちは日の丸・君が代の強制に反対します」
なんて書いた垂れ幕を正門に張り出してしまうような状態でした。
まあ生徒のレベルがわたくしを含めそんなに高くなかったので、それについてのリアクションとかもべつに無かったんですけれど。
1990年代に入ると、だんだん入学式や卒業式に国旗国歌のセレモニーをやるように、というお達しのききめがあったのか、小学校などで日の丸を掲げ始めたところもあったようですが、なぜか保護者が壇上に上がって剥ぎ取るとか、歌のときに起立しないでボイコット、なんてほとんど茶番のような行動を、さも素晴らしいことのように地元のマスコミは取り上げていました。
なにかというと国旗国歌については「押し付けだ」「言論統制」などといわれていますが、今まではこのように、「反対することを押しつける言論統制」が行われていたのです。
このような実態でしたが、私はどうも納得がいきませんでした。
そんなに国旗や国歌を嫌うなら、いったいその代わりにどうすればいいのでしょうか。天皇陛下はいない方が良いのか?、そんなに日本が嫌いなのか、などととずっと思っていたのですが教師も社会もただ反対するだけです。
よく言われることでは、「日の丸君が代はアジアの人たちにとっては嫌な過去を思い出させるので、そういったものはふさわしくない」「軍国主義を思い出させる」などがあります。とくに1番目の意見のもち主が延々と主張するとどうも迫力にまけて説得できなくなってしまいます。
しかし、生意気ですが、私が思うに「日の丸」の旗じゃなくて別の旗を使うことにしても、日本の過去の行動というものは変わらないし、日本に対して反感をもつ人はやはり反感をもつんではないか。責任のがれはどちらにしてもできないことであるから、きちんと謝罪するところには謝罪して、アジアの国とは新しい関係を築いていくべきであると思います。
また、軍国主義、愛国心などの強制になるという意見、君が代の「君」は天皇というのが問題ある、という意見について考えてみます。
戦争体験をもつ人は今少なくなっていて、社会の大部分を戦争後に生まれ育った人が占めています。つまり「教育」によって教えられた世代というわけです。教育が軍国主義と日の丸を結び付けて教えているのです。私はただ日の丸を見ても、軍国主義なんて思いません。それを言うなら見た目「朝日新聞」の旗のほうが、よっぽど軍国主義ぽく見えます。
しかし教育のフィルターがかかってしまうと、日の丸は、ああ昔は戦争に使われてたんだよねと思ってしまうのです。
君が代の「君」については、ちょっと「右」よりの意見ぽいのですが、「天皇」が「日本の象徴」であると定めている以上、「君」が天皇であるのは当然ではないかと思います。
それを、こどもに強制的に歌わせることはどうか、ともいわれていますが、歌いたくなければ歌わなくてよい、というか実際は歌わない人はどんなに強制しても歌わないものです。たとえば中学校などでは校歌を歌えといっても、音楽の授業でふつうの歌を歌えといっても歌わない人はいます。それより私は、よく中学や高校で行われている「応援」の歌や練習のほうがよっぽど強制的に感じます。しかも軍国主義で封建的で、おまけにもし一人でも歌わなかったりすると何度でもやらされたりとかしますし。
本当にこどもの感性で「歌いたくない」と思っているなら、たとえ強制しても拒否して歌わないだろうし、むしろそのくらいで曲がってしまうような考えだったらそれは大したものではないと思います。
教育においての強制の問題は他にもたくさんあるのに、このことだけ妙に騒ぎすぎていて何か変だと思います。
いろいろと考えましたが、自分としてはアジアの問題の解決の条件付きで、この法案(成立しましたが)に賛成です。国として国旗や国歌があるのは当然のことだと思います。それを「右」とか「ナショナリスト」などと危険なことのようにいうのも何かおかしい気がします。
また、この法に違反しても罰則はないので、どうしても認められないというのであればいくらでもそれを貫くことができます。
今後も、学校教育の場では「反対」の立場から教えていくと思うのですが、余りに偏らないように教えていただきたいものです。